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黒の矜持  作者: 川端マレ
第三部 グローテハーフェン編

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第七十話 軸ならば

 エルデンシュトラの伯爵邸、見回りの兵だけが活動するこの夜間。

 ハインリヒは一日の業務の締めに、ジークフリート少佐宛ての書類を(まと)め、主のいない執務室を訪れていた。


 臨時に転用して使っている伯爵邸には、日々ジークフリート宛の書簡が届く。

 それを整理し、ハインリヒで代行できる仕事は消化していたが、書類は貯まる一方だ。

 今や執務室の机の上は、置き場所がないほど紙に埋もれている。それを几帳面に並べていく。


(少佐、これ、帰ってきたら寝られないやつだ)


 空席になっている椅子と、机の上に折り重なる書類を目でひととき眺めた後、ハインリヒは執務室から退出する。

 伯爵邸の二階の廊下を歩いている時だった。


 部下が慌てた様子でハインリヒを引き留める。


「ハインリヒ大尉。至急医務室へ。特使で同行していたノエル二等兵が単身帰還いたしました」


(単身?なぜ?他は……?少佐──)


 あの日出立を見送った光景が脳裏にまだ残っている。

 言い知れない胸のざわめきが再び襲ってくる。


「他の者の詳細は」


 ハインリヒは平常通り職務的に(たず)ねた。部下は取り急ぎ報告が必要だと慌てて報せに来たのだろう。その問いに言い淀む。


「まだ帰還したばかりでその……情報は……」

「了解した」


 そう言うとハインリヒは焦る気持ちを抱えつつも、規則正しい足並みで医務室へと向かった──


 コンコンとノックを響かせると医務室へ入る。

 医務室には処置用のベッドが二つ置かれている。


 その一つ、カーテンで仕切られている向こう側から、ノエル二等兵の悶絶する声が聞こえてくる。

 そこで軍医の治療を受けているのだろう。


「……つ!……いだっ……!」


 シャッとカーテンを開けると軍医の白衣の背中が見える。

 ハインリヒは落ち着いた口調でその背中に向けて許可をとる。


「話しても支障はないですか?」


 それに答えたのは、軍医ではなく、ノエル二等兵だった。

 上半身を起き上がらせ、話す体勢になろうとする。


「ハインリヒ大尉!少佐から言伝が……!」


 治療がしにくくなったのを老年の軍医は(とが)める。


「起き上がらんでも話せるじゃろ。動くな!」


 軍医はノエルの傷の無い左肩を押し、横にさせる。


 力がかかると傷が痛むのだろう「ぐぁ……!」と声を漏らしながら、ノエルは背中をベッドに着けた。


 ハインリヒはそのやりとりを眺めながら、軍医の隣に行くと、ノエル二等兵の様子を見る。

 右肩に銃で撃たれた痕がある。耳の端に傷。他に小さな打撲痕と擦り傷はあるが、血色はそこまで悪くない。


「ひとまず、帰還ご苦労。少佐からの伝言を聞こう」


 ノエル二等兵は、答える。


「はい。検問所を超えてしばらくしたら……」


 報告をしている間も治療は続いており、ノエルは治療の痛みで顔をゆがめ言葉を止める。

 

「……山岳で落石にあい、特使の隊は半壊し、少佐も怪我を負いました」


 ひとつ情報を言い終えると、ノエルは息を整えた。

 その間も苦悶(くもん)の表情を浮かべるが、伝え続ける。


「現場は二次崩落の危険があり……退避の指示を少佐は出していました」

「軽傷の自分が伝言を……ぐっ」

「……預かって単身帰還しました」


 言い終え、ノエルは一瞬脱力するが、また治療の痛みに身体を強ばらせた。


 ハインリヒはその様子を無表情にみながら答える。


「そうか。伝言はしかと受け取った」

「ちなみにその銃創はどこで?」


 ノエルは治療されている軍医の手をチラっとみて、右肩の銃で撃たれた傷に視線を向けた。


「これは……山岳を抜けて、ここの屋敷の森に入るところで……遠くから撃たれました」


 ハインリヒは一瞬眉を(ひそ)め、直立不動で答える。


「なるほど……」


(落石事故が発生して、伝令のノエル二等兵は他の場所で狙撃された)

(この状況で落石が偶然とは思いにくい……)

(だが、山岳からは距離がある。ノエル二等兵は単騎で移動。追いつけるわけがない)

(となると最初から、森近くで待ち伏せていた……)


 頭の中での思考が止まらないが、今指示を出す側の人間は自分なのだと、このまま続けていては滞ってしまう。

 一旦思考を停止させると、ノエルを見た。


「他にも崩落の状況など詳しくききたいが、それは治療の後だ」


 そして老年の軍医の方へ身体を少し向けると、指示を出す。


「軍医から一名、準備が終わり次第詰所へ来るように手配を頼む」


 それだけ言うとハインリヒは急ぎ足で医務室をでた。

 救援の部隊を整えるのに、兵達の集まる詰所へと向かう。


(落石は二次崩落の恐れがあると言っていた。落石処理が出来る部隊も必要だ)

(だが、潜伏している敵の正体が不明だ。屋敷を手薄には出来ない)

(少佐ならどうする……)


 誰もいない廊下では、表情を取り(つくろ)うのが(おろそ)かになる。

 ハインリヒは目を一度固く閉じると、様々な思いが沸きあがるのを閉じ込めた。

 強張った身体を和らげようと、深くため息をひとつ吐く。

 そして、いつもの職務的な表情へと切り替える。


(まずは先発隊に戦闘準備を整えさせ、退避できた人間を救助させよう)

(崩落現場は……詳細が分かってからだ……)


 まだその場に仲間が取り残されているのを思えば、焦燥感と無力感に苛まれる。


(全部は出来なくても考えろ……)


 思考を巡らせつつ、伯爵邸の一階の玄関を通り抜け、敷地内にある兵の詰所へと急いだ──


 兵の集まる詰所に着くと、待機している兵へ告げた。


「ジークフリート少佐率いる、特使一行の救助の任務を実行する」


 その宣言に詰所で控えていた兵たちは息を呑む。


 ハインリヒは続けて指示を与えていく。


「夜間行軍に慣れている者を中心に先発隊を編成。三十名だ」

「戦闘準備。狙撃の可能性ありと心得ろ」


 その指示に兵たちが次々と装備を整え始める。


 ハインリヒは、詰所の中央へ歩み寄ると、テーブルへ地図を広げる。

 それを見ながら先発隊を任せる少尉と、経路の確認をしていく。

 ノエル二等兵が狙撃されたであろうおおよその位置を周知。

 そして、少佐たちが退避できる場所として検討できる位置をいくつか取り上げた。


 ハインリヒは辺りを見回し、声を上げた。


「地形に明るい者はいるか」


 その問いに一人の兵が名乗り出る。


「自分、地質地形学の専攻であります」

「山岳地帯での行軍経験もあります、大尉」


 ハインリヒは名乗り出た者をじっと見た。

 彼の上腕には、ジークフリート少佐の指示で作った腕章が付けられている。


「同行しろ。崩落の規模を確認し、安全に近づけるか判断してくれ」


「工兵班は待機。状況が入り次第、第二陣を編成する」

「屋敷の守りは現状維持。誰も勝手に人数を動かすな」


 準備が進められる最中(さなか)、先ほど軍医に指示を出した通り、同行できる医者が詰所に合流した。

 必要最低限を半刻ほどで整えると、一団は騎馬隊を編成し伯爵邸を出発した。


 ハインリヒはいつもの無表情で見送りながらも、心臓の鼓動は激しく打ち付けていた──

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