第六十七話 相反する想い
南部の地域に滞在しているダランは、この日は天候も悪いため、人工硝石工場の改善工事ではなく、長老の手伝いをしていた。
夕方になると、朝から降っていた雨は上がり、西の空は茜色に染まっていた。
「じっちゃん。雨漏りのしている家って南のほうか?」
「そうだ。廃屋ちかくの家だ」
しばらく人の住んでいないその廃屋は、ちょっとした目印になっている。
「分かった。じゃあ行ってくる」
南の地域では動ける働き手は少なく、現在滞在しているダラン率いる青年部が、この南部の困りごとを引き受けていた。
これまで南部の村は、タラモンの中でも特にその圧政の苦渋を飲まされていた地域。
同族として力になることも出来ず、それがずっと引っかかっていた。
今やっていることは、その償いでもあった。
ダランは青年部の若者二名を引き連れ、荷車に修理用の板や工具を積み込むと、廃屋ちかくの民家へと向かう。
雨漏りで困っている家の近くまで来ると、使われていない廃屋の煙突から煙が上がっているのが見える。
廃屋には人はいないはずだ。
(ボヤか?)
放置したらまずい。そう思ったダランは一緒に来ている二人に声をかけた。
「廃屋から煙が出てる。確認しにいくぞ」
「お?本当だ、バケツに水用意しといたほうがいいか?」
「あー、そうだな。頼むわ」
短髪の青年は、荷台にあったバケツをガサゴソと取り出す。
そして両手にそれをぶら下げ、集団で使う井戸へと走って行った。
ダランと残ったもう一人の長身の青年は、煙の出ている廃屋へと向かった。
廃屋の入り口のドア近くに来ると、そこは静まり返っており、薄い壁越しにパチッと木の爆ぜる音が時折きこえて来るだけだ。
中で何かが燃えてはいるが、火事になっている感じではなかった。
ドアの前でダランは声をかける。
「誰かいるかー?」
……沈黙。
長身の青年は、はぁとため息をこぼすと、つま先をトントンと鳴らしダランへと声をかけた。
「誰もいないんじゃねーの?火だけ消して、さっさと修理に行こうぜ、ダラン」
「あぁ、そうだな」
そのダランたちのタラモン語でのやり取りを、中にいる人間は聞いていたらしく、室内から声がかかる。
「すみません……行商の旅の途中、雨に打たれ少し雨宿りをしていました」
「服が乾けばここを出るので、それまで貸してください」
まるで『開けられるのは都合が悪い』というように返事が返ってきた。
でもおかしい。
(行商人なのにタラモン語で返事してきた?)
ダランは不自然に思った。
圧政を受けていたせいで、タラモンの言語は徐々に淘汰されていっている。学ぶ人間は少ない。
今やタラモンの言語を、外部で扱える人間はそういない。
(タラモンの女子が悪いやつに捕まって、”そう言え”と脅されているのでは……)
(助けてやらないといけない)
得意の妄想で推理し、なにか手持ちで武器になるような物は……と、手で自分の身体をパパっとさぐるが、そんな物は無い。
(万が一の時は拳で行くしかねぇ)
グッと拳を握りしめ、ごくりと唾をのむ。
でもふと思う。
女が話すタラモン語はネイティブの発音とは少し違う。
言葉は正確だ。でもイントネーションが違うのだ。
(意味わかんねー)
だが、見て見ぬふりは出来ない。
肩甲骨を一度ググッと背中に寄せ、軽く身体を整える。深呼吸をひとつ挟み声をかける。
「とりあえず、中を確認させてくれ」
「なんもなければここを使うのは構わない」
「開けるからな?」
そういうと、中でかすかに低い男の声がふたつ短く言葉を交わし、その合間に、さっきタラモン語を話した女の声が混じった。
壁が薄いお陰で耳を凝らせば人のやり取りがほんのり聞こえる。だが、その内容までは聞き取れない。
中で何かを引きづる音がしたあと、女は答えた。
「分かりました」
ダランはドアに手をかける。
朽ちて今にも外れそうになっているドアをゆっくりとあけた。
女が一人、顔を伏せ、襤褸切れをまとい、両手を身体前に揃えてこじんまりと立っている。
会話していただろう相手の男の姿は見えない。
「おまえひとりじゃないだろ?男の声も聞こえた。どこいった?」
「……って、お前……墓場で会った通訳の女だろ」
女は「えっ」と短くこぼすと、驚いたようにそれまで伏せていた顔を、ダランへ向けた。
「帝国軍のお前が何でここにいる?」
問い詰めるように出す口調はきつくなる。
隠しきれないと思ったのか、衝立の奥から男の兵士が一人出てきた。
さっき聞こえた声はもっと多かった。まだ衝立の向こうに誰かいるはずだ。
だが、出てきた男の身なりが気になり、衝立から意識が逸れる。
出てきた男の黒い軍服は土で汚れていた。よく見れば襤褸切れから覗く女の服も汚れており、あちこちに血が付いている。
軍人の男は淡々と話しだす。
「行商人と嘘を言ってすまなかった。君たちも帝国の軍人とは関わりたくないだろう」
「少しこの場を借りている」
「明朝には迎えが来るからそれまでの間だ」
軍人の男はぴしゃりと言い放つ。それは追及を受け付けないという空気を含んでいる。
ダランの後ろで控えていた長身の青年が、タラモン語で耳打ちしてくる。
「……おい、ダラン。帝国にはあまり関わらんほうがいいだろう?」
「わかってるよ……」
それでもダランには言いたいことがあった。
「俺はお前に借りがあるからな」
そういうとダランはアンネリーゼを見た。
アンネリーゼは意味が分からなかった。ダランに貸しなど作った覚えはないのだ。
「墓場で俺が飛び出した時、お前が謝ったからあの少佐に怒られてただろ。それが借りだ」
「お前らケガしてんだろ?」
「薬くらいはあるから持ってきてやるよ」
「これでお前に借りた貸しは無しだ。いいな?」
一方的に貸しを作っていたことになっていて、それはどうやら薬で帳消しになるらしい。
薬と結びついたのか、アンネリーゼは小さく声を出した。
「……この近くに……お医者様はいるのでしょうか?」
ダランは即答する。
「医者なんかいる訳ねーだろ」
「薬って言ったってばあちゃんが作った薬だ。でも効くから安心しろ」
事実をただ伝えただけだが、見るからに通訳の女は気落ちした。
(医者じゃないといけない程の怪我でもしてんのか……?)
そう思いダランは少し考えた。
短く「あっ」と思いついたように話し出す。
「この間きた帝国のあの豪快な大佐が、軍医を置いてったな。仲間のお前らの怪我なら診てくれんじゃねーの?」
通訳の女は”それなら”と言いたげに一歩前へ踏み込んだが、それを隣の兵士が制止する。
男の兵士は通訳の女の袖口を引っ張るようにして合図を送ると、奥に二人は移動した。
なにやらひそひそと話している。
二人はダランから聞かれない距離まで行くと、軍曹はアンネリーゼに小声で告げてくる。
「少佐の怪我をタラモン達に晒すのはさすがに……」
体面は分かる。それよりも現状出来る処置をしても、衰弱していく一方のジークフリートをただみているだけはアンネリーゼは苦しかった。
「でも、このままじゃ……」
アンネリーゼは手が震える。
「ノエルさんがハインリヒ大尉に伝え、ここにたどり着くには、距離を考えれば最短でも明日の朝です……」
「ジークフリート少佐が……それまで保てるとは……思えません……」
必死に泣かないように堪え、顎が震える。
二人から漏れ聞こえるひそひそ声が耳に引っかかり、ダランは思わずそちらへ耳をそばだてた。
話の内容は聞き取れない。
でも明らかに通訳の女は動揺している。
医者を必要としている。でも診せたくはない。
(おかしなやつらだな……)
そこまで思って、ふとよぎる。
この女はあいつの部下だよな──
(衝立……何か隠している……?)
二人が奥に行ったことで、ダランの前には衝立しかない。
内緒話が終わりそうもない二人を横目でみつつ、衝立へと歩み寄り、その中を覗く──
寝ている男と、その傍でこちらを見て、片膝を付いて剣の鞘に手をかけている男がひとり。
ダランは寝かされている男の顔を見て、ヒュっと息を詰める。
「なんで……」
全身が強張ってそれ以上言葉が続かなかった。
寝かされている男は、いつも会うと偉そうで、そのくせダランを人として見てきた。
普通に生活をしていたら、自分が同じ空間にはいないだろうと思う相手。
なのに今、その姿は血だらけで泥まみれだった──
「なんで……こんなことになってんだ……?」
こんな風に再会したかったわけじゃない。
現実としてそこに在る光景が、目を逸らすことを許さない。
血の気を失った顔、乾いた唇、繰り返される浅い呼吸。
「おまえら……さっき、ここを発つの、明日の朝って言ったか?」
返事は返ってこない。
だが、誰も肯定しないその空気が、物語っている。
ハッと短く笑うとダランは声を上げる。
「朝まで、もつわけねーだろ」
「ここで看取るつもりか?」
怒り、恐れ、諦念、羨望──
納得なんて出来やしない。すぐに飲み込めるわけでもない。
そんな感情を持たせてきた相手。
どの感情に今支配されているのか分からず、肩を震わす。
もっと自分が成長してから、こいつに会いたかった。見返してやりたかった。
「こんなの……認められない」
過去の、あの時の言葉を思い出す。
『あなたはタラモンの苦労を背負って、頑張ってね?』
何度思い出しても腹が立つ。
完璧な青年将校の姿で馬上から見下ろし、対等になんてなれるわけがないと見せつけてくる。
(クソむかつく……お前に言われたくない)
(俺たちでやれるって、今やってるのに……)
(それなのに……)
言動全部、腹立たしい。
それでもジークフリートが、自分たちと帝国の間の緩衝役になっているのだと、時間を追うごとにいやでも分かる。
グッと拳を握ると、ダランはこの中で『一番偉いのはこいつだ』と目星をつけて、アンネリーゼの隣にいる軍曹へと詰め寄った。
「俺はな、こいつに好き勝手騙されたんだ。まだ仕返しが出来ていないのに、勝ち逃げは許さない」
「お前らの軍医の所に連れていく」
それに異を唱えたのは、今さっきこの場へ合流したタラモンの短髪の青年だった。
彼は手に持っていた水入りのバケツをその場にそっと置くと、タラモン語でダランに話しかける。
「帝国のやつなんて放っておけばいい」
「無駄に関わったらろくなことにならない」
「お前、忘れてないだろ?どれだけみんなが死んだか」
「こいつが死のうが、俺たちの仲間が死んだのとなんの違いがある?」
「見捨てられ、死んでも同じだろ」
ダランは短髪の青年の言葉を飲む。
苦労の末死んだ母。行ったきり帰ってこず、ただ死んだことだけ後に分かった父。
「俺は……」
手を伸ばそうにも届かず、何もできないまま仲間が目の前で命を消す瞬間を、腐るほど見てきた。
それでも。
「目の前で仲間が死にそうになった時、見捨てたことなんてねぇよ」
(こいつは仲間じゃなくても……同じ人間だろうが)
「俺は人として、道の逸れたことはしたくない」
そう言うと、長身のタラモンの青年へと振り向き告げた。
「荷車の道具は全部ここに捨てろ。こいつを運ぶ」
ダランは踵を返し、荷車へ向かおうとする。それを軍曹が詰め寄り、引き留める。
「ちょっと待て……」
ダランは荷車へと向けていた視線を軍曹に戻すと、いら立った様子で声をあげた。
「お前の上官が死にかけてるのに、お前は建前を守るのか?」
ダランにとってそれは正論。当たり前のことだ。
だが、軍曹にとってそれは当たり前ではない。
軍曹にとって規律を守ること──それが忠誠だった。
(ジークフリート少佐はきっと、こうなることは望んでいない……)
(タラモンの人間の手を借りることも、知られることすら、伏せたかったはず)
でも──
規律を守れば失う。
軍人として出すべき言葉を絞り出そうとするが、それを拒む自分がいる。
考えあぐね、言葉が喉に引っかかる。
(この青年が示した軍医の存在。情報だけでもそれで未来が変われば、属州の民から施しを受けたことになる……)
(それは出来ない)
歯を食いしばり、奥歯がギリッと音を立てた。
でも──
(俺は……)
本心が溢れ、零れ落ちる。
「少佐を……」
「連れて……行ってくれ」
軍曹は感情を読み取らせないように、そのまま静かに俯いた。




