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黒の矜持  作者: 川端マレ
第三部 グローテハーフェン編

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第六十六話 礎

 崩落現場を後にしたジークフリートは、軽傷で済んでいる護衛兵の軍曹に肩を借り、北へ向かっていた。

 歩くために布切れで折れた左腕を固定するが、少しの揺れでも伝わるたびに、打ち付けるような痛みが襲ってくる。


(……痛覚が戻ってきたか)


 その痛みを逃がすため、深く呼吸をするが、そんなもので逃げてくれるほど甘い痛みではなかった。

 じわりじわりと脂汗が滲んでくる。


(いつ……動けなくなるか分からないな)


 肩を借りている軍曹へ、ジークフリートはぽつりぽつりと言葉を落としていく。


「……ハインリヒに……伝えてほしい」

「崖崩れは……爆発音の後に起こっている……人為的だと」

「崖上の……痕跡を……調査…………するように……」


 一音出すだけで呼吸が乱れ、意識が飛びそうになる。


 ふぅっと深呼吸を挟んで思考を取り戻す。


 他に言いたい言葉は──


(……まぁ……いいか……)


 そう考えると、視点が定まらず世界が二重に見える。


(まずいな……意識を繋いでおかないと……)


 ──未練。


 この世への執着。


 生きる意味すらわからない。それでも歩き続けてきた。

 このまま何の礎にもならない死に方は……まっぴらだ──


(でも……そういうものなのか──?)


 ジークフリートを支える軍曹は、腕に感じるその重みで、少佐の意識が混濁しかけていると感じとっていた。

 しっかりと抱えなおすと、周囲の地形を見回した。


 今いる南部は、人工硝石工場を見つけようとした時、ジークフリート少佐に同行し、地図片手に歩いた過去がある。

 建物の用途やその場所、ひとつひとつ巡った。

 朧げに残っている記憶を振り絞り、近くに廃屋があった事を思い出す。


 軍曹はしっかりとジークフリートを抱えなおすと、周りの兵に声をかけた。


「この先に廃屋があるはずだ。そこへいったん避難しよう」


 その言葉に足首を負傷し、ひょこひょこと少し前を歩くアンネリーゼが振り返る。

 その目に飛び込んできたのは、真っ白に血の気を失い、紫色になった唇のジークフリートの姿だった。

 状況の悪化を目の当たりにして、直視できず、視線を正面へ戻した。


 心臓が嫌な音をたてて軋みだす。

 

(失いたくない……)


 正面を見据えて、アンネリーゼは声を出す。


「動ける私が先にいって、廃屋を確認したいのですが、ダメでしょうか?」


 アンネリーゼの発言を、近くで聞いていた護衛兵の伍長の男が、それに続いて声を上げる。


「俺もこの地は、あの時に歩いています。通訳官アンネリーゼと共に確認してきます」


 そうはいっても、本来許可を下すジークフリートは意識が薄れている。

 その言葉は耳には届いていない。


 ジークフリートを支える軍曹が、少佐に一度視線をやり、その様子を確かめる。

 そして沈黙を破るように声を出した。


「……先に見てきてくれ」


 その言葉を聞くとアンネリーゼと伍長は、駆け足で先へと進んでいく。


 痛む足首をかばいながらも、なるべく早くと気が急いて仕方なかった。


 廃屋に着くと、そのドアは蝶番(ちょうつがい)がすっかり緩んでいた。

 その重みを支えきれず、ドアの下は地面を擦っていた。

 動かせばミシッと鳴り、ゴッ……ザリザリと引きずる鈍い音を立てる。


 辺りを見回し、放置されている(わら)を手に取ると、なるべく平面になる場所の(ほこり)を掃く。

 こんな場所でしか横にさせてあげられない。それでも、どうか繋ぎとめてほしい。

 今できる行動で手を埋め尽くし、何も考えないようにしていた。

 手を止めれば崩れ落ちてしまいそうだった。


 掃除をした場所に藁を敷くと、アンネリーゼは外套を脱ぎ、まだ乾いている面を表に出してその上に広げた。


 ふと気が付けば雨は止んでおり、厚い雲間から茜色の陽が差してくる。

 廃屋の、ガラスの抜けた窓枠から入った光が、あちこちに張られた蜘蛛の巣を紅に染める。


 伍長が外から視界を切るように、窓枠に襤褸切れ(ぼろぎれ)を掛けた。


「外の様子を見てきます」


 そう言って外へ出ようとした時だった。

 ジークフリートを抱えた軍曹が、ドアを押しやり入ってきた。

 用意された寝床を確認すると、そこへゆっくりとジークフリートを寝かせた。


 部屋の中央近くには、窪みを石で囲っただけの粗末な炉の跡があった。

 かつての住人も、そこで火を焚いて暖を取っていたのだろう。

 灰と燃え残りの黒焦げた木が放置されている。


 廃材をかき集めてそこに火を灯した。


 ──チリチリと燃える廃材は小さな廃屋を徐々に暖めていく。


 下がり切った体温の中、ジークフリートは現実の狭間で夢を見ていた。


(──また、守れなかった)


 自分を狙った毒殺で、妹を失った。

 幼かったリーゼロッテは、いつも自分に無邪気な笑顔を向けてきて、信頼しきって頼ってきた。

 それを自分は健気で放っておけなく、いつも可愛がっていた。


(それなのに……)


 どこに定まることもない焦点の先に、生きていた時の妹の幻影が浮かんでは消え、そして笑顔で遠ざかっていく。


 霞んだ視界の中で、乳白色を含んだ紅茶色の髪が、かすかな光を受けてゆらぐ。

 小さかったはずの妹の面影と、今そこにいる女が、うまく分からない。


「……リーゼ?」


 その問いかけに、アンネリーゼは驚いてジークフリートの額に浮かぶ脂汗を拭く手を止めた。


(……?……えっ)


 いつもと違う呼び方。


(語尾だけ声になったのかな?)


 ジークフリートの目元は(ゆる)く細められ、うっすらと浮かべた笑みは、慈しみと申し訳なさが滲んでいた。


 初めて見るその表情が、(まぶた)の裏に焼き付く。


 意識は朦朧としている。焦点がアンネリーゼをすり抜けて別を映している。


(誰の事なんだろう……)


 その時だった。


 廃屋の遠くで人の動く音がする。

 それがこちらに気が付いて、近づいてきているのが薄い壁越しに伝わってくる。


 アンネリーゼはその不穏な訪問者に、心臓が激しく鼓動した。


 カチャ……軍曹が腰元の剣に手をかけたその音が、廃屋に落とされた──

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