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黒の矜持  作者: 川端マレ
第三部 グローテハーフェン編

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第六十三話 誤算

 翌朝、ジークフリート率いる特使の一団は野営地を出発した。

 選んだのは、山賊の噂が囁かれていたメインルート──検問所へ続く道だ。


 支度を終え、一行が野営地をあとにすると、その様子を陰からうかがっていた者がひとり、低く呟いた。


「旧道ではない……」


 そう言い残すと踵を返し、物音ひとつ立てずにその場を離れる。

 少し離れた場所まで戻り、隠していた馬へ跨がると(むち)をひとつ入れた。

 手綱をしごいて一気に走らせ、グローテハーフェン中心部へと駆け戻っていった──


 グローテハーフェンの政務室では、ユリウス侯爵が帳簿を整理していた。

 作業の手を進めていても、頭の片隅には『特使の一団が今どの辺りまで進んでいる』ということばかりが張り付いている。


 羊皮紙が擦れる音のする室内に、せわしないノックが短く響いた。

 ユリウス侯爵の「入れ」が言い終わるか終わらないかのうちに、扉が勢いよく開く。

 息を切らせた密偵が一歩踏み込み、そのまま報告を告げた。


「失礼します。ジークフリート少佐の一行は、旧道ではなくメインルートへ向かうようです」


 その報告にユリウス侯爵の指先に力がこもり、羊皮紙がわずかに歪む。

 静まり返った室内に、そのかすかな擦過音(さつかおん)だけが滲んだ。


 ジークフリート少佐の行動を(かえり)みて思考を巡らす。

 宿に運び込んだ食料。監視が仕入れたその報告はどう考えても、長い旧道を行く準備に思えた。

 

(食料の買いこみは計算だったか……)


 冷静に考えていれば気が付いたかもしれないことだが、時すでに遅い。

 ユリウス侯爵はため息をひとつ挟んだ。

 しばし沈黙し、視線を密偵に向ける。


「……あれを使え」

「侍従グンターにも伝えろ。あれを使うと」


 密偵は生唾を飲む。その音すらも耳奥で残るほど室内は静まり返っていた。

 すぐに返事を返そうにも喉が張り付き、言葉を出すのに半秒遅れてしまう。


「……は、はい」


 そのまま密偵は礼をすると、踵を返し政務室を後にした。


 本来であれば、属国から独立する際に、万が一にも帝国と事を構える時用に仕掛けていたものだ。

 だが、今のままだとその機会すら永遠に訪れない。逃がせば滅びを待つだけになる。


(万策尽きたとしても、手放すことは出来ぬ)


 一人残ったユリウス侯爵は、手元の羊皮紙が歪んで折れることすら気にせず、力任せに握った拳をわずかに震わせていた──


 一方、特使の一行は、ユリウス侯爵が旧道に仕掛けた罠を避け、メインルートを順調に進んでいく。

 夕刻には検問所へ着き、長旅の疲れを癒していた。


 行きは満室に近かった検問所も、ブロイアー大佐が人工硝石工場の停止を確認すると規制も(ゆる)やかとなり、ジークフリートたち特使が着くころには、駐在する兵士達の人数も減っていた。

 そのため、ジークフリートは個室でゆっくりとする事が出来ていた。


 簡素な兵舎の一室で、ジークフリートは机に広げた地図と書類に目を走らせながら、ふと視線を止める。


(……カタリナ・フォン・ブランケンハイム)


 ユリウス侯爵の娘とのやり取りを思い出す。

 夕食会で見せた不安を押し隠したような横顔。

 そして、雨音の響く回廊で交わした会話。

 特使派遣の理由を遠回しに尋ねてきた言葉の選び方──それらをひとつずつ頭の中で並べていく。


(娘はほとんど情報を与えられていない。それでも”何かが起きているのでは?”と不安そうにしていた)

(そして父親に直接聞かず、俺に探りを入れるあたり意味深だよねぇ)


 侯爵家の内側で、ユリウス侯爵に疑念を抱き、それでも踏み込めずにいる娘カタリナ。


(俺は味方じゃないって分かっているだろうに)


 ユリウス侯爵は、娘カタリナをこの件には一切関わらせたくないのだろう。


(まぁ、そりゃそうか)


 この件は関われば極刑は免れない。

 だが、娘カタリナは遠回しに尋ねてきた。それは彼女の中で、見過ごしたままでいいのかという迷いから来ている。


 猫を撫でるカタリナの手は、途中で何度か震えていた。

 何も知らなければ不安も抱かず、探るような言い回しでジークフリート相手に疑問を投げたりもしないだろう。


(ユリウス侯爵は娘に隠している。でも彼女は何かを知ってしまった)


 名前と顔を、改めて記憶の棚にしまい込む。


(あの回廊で交わした他愛ない会話が、無駄にならないといいけどね)


 ひとつ息を吐くと、ジークフリートは地図を畳み、外の見張りの気配に耳を澄ませた。


 コンコンとドアをノックする音が室内に響く。ジークフリートは柔和に返事をする。

 入ってきたのはここを管理する大尉のラウエだった。


 ジークフリートはラウエ大尉に、手が空いたらでいいからと呼びだしていたのだ。


 彼には、エルデンシュトラ旧伯爵邸の地下に、監禁している隊長の娘の件で調査を依頼していた。

 この検問所を規制してから通った女性の数と、その手形の種類。経路。それらを精査しておいてほしいと行きの時に伝えていた。

 その報告へやってきたのだ。


 隊長の娘は、何らかの理由があって偽名を使った可能性や、その他様々が考えられた。

 もし、この娘の身柄を確保できれば、頑なに口を閉ざしている隊長も口を割るかもしれない。

 隊長が話す内容次第では、人工硝石の密輸に関する重要な証言となる。


「規制期間中に通行した女性はこちらに書き出しておきました」


 そう言ってラウエ大尉から出されたのは一枚の紙。

 規制中の検問所を通る女性は少ない。

 さらに20代前半の女性となるとその数は、ほぼゼロに等しかった。


(現段階で検問所は利用していないとみるべきだな)


「ありがとう。検問所の規制が解除されて利用するかもしれないから、引き続き若い女性の通行を注意してみてほしい」

「もし伝えてある特徴のある女性が検問所を利用した場合、通さず保護して」

「そして、俺に連絡をしてほしい。くれぐれも手荒な真似はしないように」


 グローテハーフェン滞在中も、比較的自由に動ける従兵のノエル達に、娘が在学していた大学の友人関係を当たってもらったが、手掛かりになる情報は何もなかった。


(どこにいるんだかねぇ)


 そもそも、ここまで探しても見つからないとなると生きているのかさえ怪しい。

 だが、一抹の望みをかけた行動が何処かで繋がる場面は多々ある。


 ふっとひとつ呼吸を漏らすと、ジークフリートはラウエ大尉に声をかける。


「ひきつづき検問所の管理をよろしくね」


 その言葉に短く敬礼を添えると、ラウエ大尉は静かに部屋を後にした。

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