第六十二話 分岐点
ユリウス侯爵邸を出たジークフリートたち特使一行は、先日宿に置いた食料を回収し、そのままグローテハーフェン中心地から北上し、帰路につく。
途中野営を挟むことになるが、その場所は行きの時も使用した少し開けた場所だ。
侯爵邸で山賊の噂を聞いたあと、すぐに検問所と旧道管理舎へ確認の手紙を出していた。
その返事はまだ来ていない。この野営地で伝令からの報せを待つこととなる。
野営地を超えた先は、来るときにも使ったメインルートに入るか、旧道へ向うかの分岐点になる。
メインルートに行くならば明日の目的地は『検問所』旧道を選べば『管理舎』
ジークフリートの中で、どちらを選ぶべきかは、ほぼ決めている。
侯爵邸で聞いた噂の信憑性を精査すると、旧道を選ぶことは罠だと読み取れた。
そのためメインルートで帰るほうが安全だと考え、準備を進めていた。
食料の買いだしをあえて偵察に見せ、大回りルートの旧道を選んだように見せかけた。
それを見てユリウス侯爵は旧道をジークフリートは選んだと考え、罠を仕掛けているはず。
旧道に手間をかけさせて、自分はメインルートで帰る。この算段で決めた。
(これすらも、自分が裏をかいたつもりになっているのだとしたら……)
曖昧な情報をかき集めて出した結論は、いつでも自分を不安にさせる。
『もしあの時……』それはいつもジークフリートの頭の中で囁き続けてくる。
(なにを弱気になっている)
情報を出来る限り集めた。その結果選ぶのだ。
その先がどうなっているかは進まなければ分からない。
それでも、もし、取り返しのつかないことになったら──
青毛の馬の背に揺られ、ジークフリートは真っすぐと行く先を見据え、目的の野営地へ向かう。
隊列は徒歩の護衛二名が先導し、騎乗でジークフリートとオスカー上級曹長がそれに続く。
二人の左右にも護衛兵が付き、その後に荷物を載せた幌馬車が続き、最後尾に騎乗の護衛兵が後方を警備しながら進んでいく。
西の山脈に陽が近づいたあたりで目的地の野営地に到着する。
焚き火から立ちのぼる煙が、夕闇に細く溶けていく。
パチパチと薪が爆ぜる音と、夕食のスープがコトコトと煮立つ温かみのある音が、今この時の日常は、まだ保たれているという安心感を与える。
それぞれが野営の準備をする最中、ほどなくして伝令から報告が入る。
ジークフリートは倒木に腰を下ろし、手紙を確認した。
伝令が差し出したのは、メインルートの検問所からの返書だった。
(検問所には山賊の噂話は入っていない。なるほどね)
ジークフリートから山賊の噂話について、確認を求めた手紙の返事がこれだ。
念のため山岳ルート内へ人員を派遣して確認したところ、山賊の痕跡は見つからなかったと綴られている。
だが、これはメインルートの途中にある検問所からの返答。
旧道にある管理舎からは、まだ手紙は届いていない。
(あっちは人員も少ないからな。確認するにも手が足りないのだろう)
「まぁ、仕方ない」と、ひとつため息をつく。
検問所の方だけでも確認が取れたことで、ジークフリートは帰路をメインルートへと最終的な決断をした。
伝令からの報告に目を通し終わると、ジークフリートはすぐに皆を呼び集めた。
焚き火の傍ら、簡素な丸テーブル代わりの木箱の向こうにジークフリートが立ち、伝えていく。
「明日、地域境にある検問所へ向かう」
「出発は陽が昇る直前を予定している。そのように準備を進めるように」
その決定にオスカー上級曹長は、視線をまっすぐにジークフリートへ向け聞いていた。
そのななめ後ろにいるアンネリーゼは、ユリウス侯爵の屋敷で異国の言葉の通訳をしながら、山賊の噂話などを耳にしていた。
(検問所の先は、山賊の噂が出ていた地域……)
自然とアンネリーゼの指先は強張るが、ジークフリートの揺るがない姿と声に落ち着きを取り戻す。
今までも最善を尽くそうとする姿を見てきた。だから今回も大丈夫。
そしてふと思うのだ。
自分は少佐の迷いのない態度に安心できた。少佐は……?と。
皆の運命を背負って決断し、平然とする姿を見せることの難しさ。
(迷わなかったわけではないはず)
(今はどうなんだろう……不安……なのかな?)
そこまで考えてしまって自分を止める。
過去にもジークフリート少佐の内面を考えて、詰められた経験が頭によぎる。
ジークフリートの記憶力を目の当たりにした時、彼の辛さをアンネリーゼは考えてしまった。
あのときの会話が、頭の奥でよみがえる。
◇◆◇
──本当に記憶していたのであれば、過去の出来事も忘れられず全部記憶として残っているはずだ。
(忘れられないのもきっと辛いんだろうな……)
そんなことをひとり悶々と考えているアンネリーゼに、ジークフリートは顔を覗き込むようにきいてくる。
「ねぇ、今何を考えていたの?」
「あなたが困っていたの、俺助けてあげたから答えてくれるよね?」
◇◆◇
あの時はなにも配慮せず、『忘れられない記憶を抱えている人は、きっと苦しいのだろう』と勝手に思い込んだ。
その思考を拒絶するように、ジークフリート少佐はアンネリーゼの内面を逆に掘り起こし、詰めてきた。
(考えていないフリ……出来るかな……)
チラっとジークフリート少佐を見ると視線がぶつかった。
(まずい)
そう思うも見逃されるわけがない。
きっとまた色々探るように考えていたとバレただろう。
「アンネリーゼ」
「はい……」
「ねぇ、今何を考えていたの?」
(やっぱりバレてる……どうしよう……)
誤魔化せない。でも誤魔化したい。
「すみません。大切なお話の最中ですよね……」
その緊張した空間に『グゥ……』という誰かのお腹の音が落ちる。
(……っ!……誰のお腹の音かは分からないけど、借ります!)
この偶然は又とないチャンスだと、アンネリーゼはお腹をおさえ、自分のお腹の音だというかのような動作をする。
オスカー上級曹長は横目でアンネリーゼを見ると、控えめに進言する。
「空腹は隠せないですからね……」
「なるほどね。お腹がすくのは仕方ない」
そのやり取りにアンネリーゼはホッとため息をこぼす。
明日の予定を告げるために集められたが、その報告を終えたという合図がされ、それぞれが持ち場に戻る。
ジークフリートはアンネリーゼの傍に来るとポツリと言葉を落とす。
「あなた、懲りてないね」
ジークフリートの表情は、少し呆れたようで、でもどこか寂しさを滲ませた微笑だった。
アンネリーゼは返す言葉が見つからず、ただ黙っていた。
(前だったら、もっと色々訊かれて……きっと言葉で追い詰められていた)
(……少しだけ、扱いが変わった気がする)
あの時とは違ったその態度と、最後に見せてくれた切なそうな微笑にアンネリーゼは目が離せなかった。
ジークフリートが張られた天幕へと入って行ったあとも、天幕の入り口をそのまま見つめていた──
その夜、夕食が終わったあと、それぞれが焚き火のそばで談笑していた。
ノエルはもじもじとアンネリーゼに話しかけた。
「あ、あの……アンネリーゼさん……」
「ん?どうかしましたか?」
焚き火の灯りがチリチリとノエル二等兵の顔を照らし、うつむく表情に影を揺らめかせていた。
アンネリーゼはその言いにくそうな様子に心配を重ねる。そして、ノエルから出てくる言葉に耳を傾けた。
「さっきのお腹の音……あれ、自分だったっす……」
アンネリーゼはそれを聞くと、口元へ手をやり「ふふっ」と笑う。
ノエルから出された言葉は、心配したような内容ではなかった。
それに安心しつつ、良かった。とほっとしたように穏やかに返す。
「そうだったんですね」
そのお腹の音で自分は助かった。
そして、こうやって気にして言いに来てくれる様子に、有難さと申し訳なさが奇妙な同居をしている。
その二人のやり取りを横で聞いていたオスカー上級曹長が、少しからかったように言葉をかけた。
「やっぱりお前か」
「通訳官アンネリーゼ、さりげなく庇ってただろ。ああいうの、気にしなくていいんだよ」
「あ、いえ、庇ったわけではなく……」
アンネリーゼはそれを良い機転になると使わせてもらったのだ。
『庇った優しい人』みたいに言われると居心地が悪い。
「あれは私もちょっと助かっていて──」
それを遮るようにオスカーは続ける。
「誰だって腹は減る。俺もあの時、鳴りそうで必死にこらえてたからな」
そこへ、その話をずっとニヤけ顔で聞いていたリオラ曹長も明るく口を挟む。
「私も、私も―!」
「そうっすよね!?」
三人は顔を見合わせ笑っている。
その様子を食後のお茶が入ったマグカップを両手に持ち、アンネリーゼは暖かい気持ちになりながら眺めていた。




