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黒の矜持  作者: 川端マレ
第三部 グローテハーフェン編

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第六十一話 手打ち

 嵐が過ぎ去ったあと、ジークフリートは馬の体調を整えるための運動をさせ、次の日には出立の旨をユリウス侯爵へと告げた。


「明日の早朝出立いたします。滞在延長の恩情をいただき感謝申し上げます」


 その報告をユリウス侯爵は薄い笑みを浮かべながら聞いていた。

 もう”己の腹は決まっている”というかのように返す。


「こちらにはお気になさらず、ごゆるりとして頂いても構いませぬのに」


 ジークフリートにとって、元々このグローテハーフェン行きは、役目(・・)という理由で押しつけられた仕事。

 来る前から、収穫は薄いだろうと分かり切っていた。


 ユリウス侯爵にどんな思惑があろうと、それをジークフリートは呑むつもりもなく、『現状維持のまま、被害なく帰還すること』それが今回の主目的だ。


 完全なる敵地で人工硝石の事を嗅ぎ付ければ、自分だけならず同行している者も危険に晒す。

 それは避けたい。

 その条件下でこれ以上ここに滞在する理由は、ジークフリートにはない。


 ここに来たことでユリウス侯爵が、どういう状態なのかだいたい把握できたのが収穫。

 触れてはいけない禁忌の話題に手を伸ばしたあたり、かなり追い詰められている心理状態だと把握できた。

 さらに今回の会談で提出された倉庫台帳からは、人工硝石関係ではないが、帝国内に蔓延(はびこ)欺瞞(ぎまん)や私利私欲の痕跡を見つけることができた。

 それだけで十分だった。


(ジギスムント宰相がユリウス侯爵と、ここまで懇意にしていたとはね)

(でも宰相は、ユリウス侯爵がどれ程追い詰められているか、把握していなかったんだろうな)


 現にジギスムント宰相が、知られたくないだろう情報が載っている倉庫台帳を、ユリウス侯爵はなんの躊躇(ためら)いもなく提出した。


 このグローテハーフェンへの特使任務を与えたのは、ジギスムント宰相だ。

 あわよくばジークフリートが、ジギスムント宰相の手を汚さずに、帝国の表舞台から失脚すればよい。その程度の算段だったのだろうと想像できた。


 帰り道に関して不穏な噂話まで出ている。仕掛けを固められる前に出立したいというのが本心だった。


(必ず何か仕掛けているだろう)


 ユリウス侯爵の当初の目的である『ジークフリートの寝返り』は達成されなかった。それはユリウス侯爵にとってこのままでは何の収穫もない状態になっている。

 なにかを(たばか)っているのは想像に容易い。


 それをジークフリートは回避し、状況が整ってからユリウス侯爵を裁きにかける。


 必要最低限の挨拶だけ交わし、ジークフリートはユリウス侯爵の政務室を出て行った。


 つい先日まで宿を求め、市民に開放され人であふれていた場所も、大きな真珠貝を模した彫刻から水が流れる音だけが響き、夢の跡かのように静けさだけがそこにあった。


 そして明朝──日もまだ明けきらぬうちからユリウス侯爵の正門前には、特使の面々が揃っていた。

 見送りは侍従のグンターが礼の姿勢をとり兵たちが敬礼を送る。


 その(あいだ)を特使の一行は進み帰路へつく。


 一方、見送りに出なかったユリウス侯爵は、その様子を二階書斎の窓から無表情に眺めていた。

 命令はすでに出してある。

 あとはことが起きた時(・・・・・・・)どう立ち回るか。

 それが侯爵にとっては重要だった。


「悲願を成すには犠牲は必要だ」


 それはユリウス侯爵自身も様々な形で払い続けてきた代償だ。そして、それを成すにはもう生半可な代償では払いきれなくなっている。

 

(あの時、王と共に死なずに生き残った。その意味を、今さら手放すわけにはいかぬ)

(マティルダ……お前が生きていたら、今の私を見て愚かだと言うだろうか……)


 だがもう後戻りはできない。何度も分岐点はあった。

 それでも今いる道が自らが選んだ道。


 後ろ手に組んでいる指先に力をこめると、窓から踵を返しその場を後にした──


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