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黒の矜持  作者: 川端マレ
第一部 始まり編
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第六話 少年時代

 ジークフリートは城の敷地内の南にある軍管区の将校宿舎へ向かう。

 公爵家嫡子として私邸はあるが、効率を重視した結果、将校用の個人宿舎を利用することが多い。

 

 カチャカチャと自室のドアの鍵を開け、パタンとドアが閉まるのを確認するとすぐに施錠をする。

 ジークフリートの部屋は必要な物だけが置かれ、装飾という概念は一切ない。

 整然と配置された家具は、造りは上質だが、どれも機能を重視している。

 掃除は他人の手は入らず、全てジークフリートがやっている。この部屋に入る者は誰もいないのだ。

 

 将校用宿舎の浴室には、湯管からの重力式注湯が備え付けられている。

 ジークフリートはそこで一日の汚れを綺麗に洗い落とす。

 黒髪は水分で艶を増し、それを乱雑にタオルで拭い乾かしていく。


 帰宅後の一連の流れが終わると、ベッドへゴロンと横になる。

 ふぅと深く息をつき、ベッド横のサイドテーブルに置かれた読みかけの本に手を伸ばしかけるが、疲労感がまさりそのままうつうつとし始める。

 そして……過去の自分の夢に誘われていく──


◇◆◇


 公爵家の庭先には綺麗な石畳が並び、脇には青いルピナスが咲いている。

 屋敷の一角の二階。広く整えられた子供部屋に少年がいる──当時十歳の少年時代のジークフリート。


 机に向かっていたジークフリートは、ふと何かを思い出したように顔を横にむけ、教師のマティアスへ問いかける。


「マティアス。昨日の皇帝陛下誕生祭にあなたは行ったの?」


 唐突な問いかけだったが、マティアスはジークフリートの好奇心に真摯に対応する。


「お祭りですか?娘のアンネリーゼと行ってきましたよ」


「へえ……、お祭りってどういったことをやるんだろう?」


 ジークフリートは手に持っていた羽ペンをパタパタと揺らし、想像を膨らませようと頑張っているようだ。

 でも、彼には想像の元になる体験が無い──


「パレードの音楽は少し聞こえるけど、知らないんだ。教えてよ」


 マティアスはその言葉に、胸を痛める。


(子供であれば、自由に自分の肌で感じたいだろうに……)


 だが、ジークフリートは立場がそうなのだろうか、その身を狙われることが多い。

 屋敷内からほとんど出たことがなく、限られた人間しか彼に接触できない。

 押し黙ってしまったマティアスの様子を、怪訝そうに見つめながら。


「お祭りの事、聞いちゃいけなかった……?」小首をかしげ、少し心配そうに尋ねてくる。


 その言葉にはっとし「いえいえ、お祭りの話をしましょう」


 そう答えるとマティアスは昨日の出来事を話し始める。

 少しでもジークフリートに伝わるように……その場にある物や人の流れ、五感で感じる全てを話していく。


「お祭りの出店で売っていたパイは、砂糖と塩を間違えたのか塩辛かった」


「あはは、そんなことあるんだ」ジークフリートは目をキラキラとさせて、夢中になって話を聞く。


「アンネも甘いと思って食べたのでしょう。あまりの塩辛さに、目を白黒させていました」


 困った様子を見せたあと、マティアスは思い出してクスクスと笑う。

 ジークフリートは羨ましくとも、それを知ることが新鮮で嬉しく、自分が体験した事の無い『普通』が他の人にはあるのだと感じる。


「お祭りはとにかく人が多い。近くの老夫婦が人とぶつかった拍子に、財布が落ちたのです」


「へぇ、人がぶつかる程多いんだ……」


 どの話もジークフリートには、見たことも感じたこともない世界で興味が尽きない。

 食いつくように話をきく姿を、マティアスは暖かい瞳で見つめ、続けて話す。


「子供の視点だからそれがよく見えたのでしょう。アンネは気が付き、その老夫婦に財布を渡すことができた」


「それはお手柄だ」ジークフリートは老夫婦が感謝している姿や、アンネリーゼはどう受け止めたのだろう?など空想の中で、自分の事のように感じ楽しんでいる。


「ええ、その後よくできたねと頭をなでると、アンネは照れくさそうにしていました」


 ジークフリートにとって、ささいな日常や人とのやり取り、どれもがとても新鮮だった──


 西日が窓へ差し込む時間になると、マティアスとの勉強は終わり、ジークフリートは広間へ行くのに廊下を歩いていた。

 マティアスから聞いたお祭りの話を思い出す。


(楽しいんだろうな……)大きくなったら行けるといいなと胸を膨らます。


 ふとその時、マティアスが言っていた、娘のアンネリーゼの頭をなでた話が浮かんでくる。


 ジークフリートには、誰かに撫でられた記憶はどこにもなかった……


 公爵の父は大切にしてくれるが、そうやって親しみを込める人物ではない。

 さらに名前だけ知っている母は、ジークフリートを出産する時に亡くなっているのだ。

 なんとなくモヤモヤした気持ちを抱え、廊下の角を曲がる──


◇◆◇


 ──ジトっとした汗の気持ち悪さに目を覚ましたジークフリートは、なぜ今になって幼いころの記憶が夢になって出てきたのか、自分でも理解できなかった。

 再び寝息が深くなり、夢の淵へと沈んでいく。

 宿舎の窓からは、雲間に顔をのぞかせた月が静かに部屋を照らしていた。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。

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