第五十六話 噂話 後編
白い大理石が敷き詰められた中庭近くのロビーは、壁沿いに、青の長椅子と月桂樹の観葉植物が置かれ、白い世界に青と緑が鮮やかに彩られている。
二十名ほどの人がその場におり、ガヤガヤと話し声や物音で賑わっていた。
ジークフリートは歩を止めず、その喧噪のなか、軽やかな足取りで進む。
ロビーの中央には、大きな真珠貝を模した彫刻から水が流れ、そのまわりを囲うように丸テーブルとイスが置かれている。
そこからすこし離れた柱の近くに、呼び出した三名が待機していた。
ジークフリートは合流すると、短く言葉をかけた。
「待たせてすまないね」
この中庭近くのロビーは、人々が休憩するにはちょうど良い広さを持っており、行商人たちには格好の情報収集の場になっているようだ。
「ちょっとここで、休憩。おしゃべりタイムだ」
ジークフリートは、柔和な笑みを浮かべると、オスカー上級曹長とリオラ曹長を見て、壁沿いの長椅子を視線で示した。
そして、アンネリーゼには別の指示を与える。
「アンネリーゼ。あなたは、この場にいる異国語を話す者たちの言葉を、通訳してくれる?」
アンネリーゼは少し怪訝な表情で聞き返す。
「世間話を拾ってってことですか?」
「そう。こっそり盗み聞きした異国語を通訳。お願いね」
そう言うとジークフリートは、さっさと先に丸テーブルの所へ行ってしまう。
その後ろをついていき、アンネリーゼも着席した。
昨日の件があって、アンネリーゼの心理状態は落ち着いてはいなかった。
だが「自分で分別をつける」と宣言した通り、心に蓋をして、指令をこなす。
アンネリーゼは耳を澄ませ、近くで話す異国の人の言葉へ集中していく──
「いやぁ……十年この街へ取引にきているが、こんな街中満室は初めてだよ」
「宿だらけの街だぞ?こんなことあるか?」
アンネリーゼは、正面に座るジークフリートへ伝える。
ジークフリートはテーブルに頬杖をつき、興味なさげな様子を浮かべながら通訳される内容に集中する。
「宿が多い街なのに、街中が満室になったのは、十年この街に取引へ来ていても初めてだと言っています」
「なるほどねぇ」
(十年で“初めて”か……よくできた偶然だなぁ)
アンネリーゼは更に、少し遠くの別の言語を話す者の言葉も拾い上げる。
「ここ一週間で急に港奥の倉庫の使用を禁止されて、まいったよ」
「あぁ、満杯な倉庫にさらに詰めこめって、無理なもんは無理だ」
「だがこうやって、恩情を与えられては文句は言えんな」
アンネリーゼはなるべく話の主の方は見ないように、正面にいるジークフリートと会話をしているかのように話しかける。
「少し遠くの方は、港奥の倉庫が使用禁止にされて、一週間前から使えなくなったと」
ジークフリートは真珠の噴水を見ながら、指先でトントンとテーブルを叩き「ふーん」と相槌を打っている。
(受け入れる倉庫の数を減らせば、そりゃ溢れるだろうねぇ。それを視察で見せて被害が甚大だと理由に使った)
(港湾局か、侯爵命令か……どっちだ?)
ここに集められている人は、ユリウス侯爵の”善意”で、嵐から身を守る場所の提供を受けて滞在している。
特使が滞在中に、一般市民を受け入れるのは通常だとあり得ない。
何か思惑があって、このような異例の処置をしていると思うのが自然だろう。
噂の流布か、市民に暗殺者を紛れさせているのか。
これ自体を陽動として、水面下で別のことを進めている──どの線も捨てきれない。
(倉庫の件は、ユリウス侯爵にとっては知られたくない情報のはず)
ただ、はっきりと分かるのは、ユリウス侯爵がこの状況を作り出し、何かを謀っているのは疑う余地がない。
そもそも本当に一般の人間なのかも怪しい。ユリウス侯爵の息のかかった者が、市民のフリをしている可能性もある。
もし仮に一般の人間ならば不測の事態も起きかねない。そのリスクを負ってでもなし得たい目的があるのだろう。
(ユリウス侯爵は何を企んでいる?)
ジークフリートが思考を巡らす間も、周囲では帝国の共通語を話す者達が、噂話に勤しみ、彼らは山賊の話題で持ちきりだ。
先ほど通りがかりに聞いた時よりも内容が詳しくなり、誰かが襲われたらしい、というところまで話題が進展している。
(噂話には尾ひれがつく。どこまでが本当だろうかねぇ……)
一方、異国の言葉を使う者たちは、街中の宿がどこも満室になっている不自然さ、倉庫の規制といったユリウス侯爵側に不利な情報を囁き合っている。
何かを水面下で動かそうとするとき、ユリウス侯爵なら本当の情報も混ぜて、罠をカモフラージュするだろう。
(午後からのユリウス侯爵との会議で、探りを入れる必要があるな)
情報収集をしている二人の様子を、壁際の長椅子に座るオスカー上級曹長とリオラ曹長が、周囲を警戒しつつ眺めていた。
休憩という指示。恐らく姿勢を崩して周りに溶け込めと言う合図だと二人は受け取った。
オスカー上級曹長は椅子に座った姿勢で前かがみになり、膝に腕をくっつけるようにしてくつろいでいる風を装う。
リオラ曹長も足を組み、膝を支えるように手を組んだ様子で、のんびりとした雰囲気を出している。
オスカーはバルコニーの件で、アンネリーゼが何かを知った事は確かだろう。と察していた。
(彼女には少佐が話を付けた。そして、余計なトラブルへの懸念を口にしていた)
姿勢はゆったりとさせながらも、視線は二人の護衛として鋭く光らせる。
リオラ曹長もまた、アンネリーゼに対して心配をしていた。
昨日の夕食会から部屋に戻ったあと、それまで平然としていたアンネリーゼだったが、いつもより長めのお風呂、ふとした瞬間のため息に、いつもと違う引っ掛かりを感じていたのだ。
これまでずっと同室で一緒に過ごしてきた。
すこしの変化も違和感となり、気がかりを抱えていた。
(心の疲れがたまっているのかも。それなのに少佐と対面で休憩演技って、地獄すぎでしょ)
可哀想にとリオラ曹長は、ため息をつく。
おもむろにオスカー上級曹長は口を開く。
「雑談、挟むか」
「えっ、あー確かに……おしゃべりタイムですからね。ははは……」
(上官とおしゃべりタイムきつ……)
誰かに聞かれたとしても不都合にならない話題は、天気の話題くらいしか思い浮かばず、オスカーは天気を口にする。
「風がすごいな」
「夜から急にですからね」
「……」
二人の会話は秒で終わる。
天気の話題だけだと間がもたない。
リオラ曹長は頭の中で『話題、話題、何か話題……』と必死に探す。
「あっ」と小さく言うと、続けて話題を提供していく。
「昨日のホタテのソテー食べました? あんな肉厚のホタテ初めてで、感動しました」
リオラ曹長は思い出し、すこし夢見心地のような表情を浮かべる。
「……俺は口にしていない」
(個別に運ばれてきていた。なぜ自分は食べていないんだ?)
運ばれてきた時、オスカー上級曹長は見張りをしていて席を外していたのかもしれない。
それにしても、食べ終わってもいない食事が勝手に下げられる訳がない。
新たなミステリーが発生してしまいそうな空気に、リオラ曹長は背筋を伸ばす。
(やっちゃった……?いやでも、食べたはず)
「え、えっと。緑のソースがかかったやつです。バジルの」
オスカーは一瞬眉間に皺を寄せた。
「あれ、ホタテだったのか……」
真面目に答えるオスカー上級曹長がどうにもおかしくて、味わうより『栄養摂取』という彼らしい反応に、リオラ曹長はぷっと吹き出し笑う。
「分からないで食べたんですか?あはは」
「おい、笑うな」
そう言いながら、オスカー上級曹長も目を細めて笑った。
情報収集を終えたジークフリートとアンネリーゼが、二人の元へ近づく。
「お待たせ。和やかに休憩できたようだね」
「手紙の受け渡しにノエル二等兵の所へ俺は行く。アンネリーゼとリオラ曹長は部屋へ戻っていいよ」
その指示に、リオラは立ち上がり、敬礼を小さく添える。
ジークフリートとオスカーはそのままロビーを出て行った──




