第五十六話 噂話 前編
ユリウス侯爵の政務室に短くノックの音が響く。
ジークフリート少佐に付けていた監視役が、早速侯爵へ報告をしに来たのだ。
「失礼します」
礼を挟んだ後、監視役は告げる。
「先ほど、ジークフリート少佐が、カタリナ様に接触しました」
「数分会話を挟んだ後、何事もなく終了したようです」
「ほう……内容は聞き取れたか?」
「詳しくは……ですが、猫と戯れ、雑談をしている様子でした」
場の状況を察するに、監視役はつかず離れずの距離を優先したのだろう。
その結果、ジークフリート少佐の行動を把握はできたが、意図を読み切るには情報が浅い。
(……耳が届く距離ではなかったか)
重大な局面のため、優秀な人材は各地へ派遣しているのが裏目に出た。
悟られず、情報を持ってくるには、この監視役では経験が足りなかった。
(ただ、猫と戯れた訳がなかろう……)
ユリウス侯爵はため息をひとつつく。
「わかった。引きつづき監視をせよ」
「庶民の保護のため、屋敷内は人が増えておる。カタリナには自室から出ないよう伝えておけ」
監視役は胸前に手を添えると「かしこまりました」と言い礼をし部屋を去った。
──ジークフリートはカタリナとの対話を終えると、近くに控えさせていた護衛兵と合流し、自身へ割り当てられている客室へと向かっていた。
その途中、侯爵邸に昨日まで居なかった、一般の人などが多いことに気が付く。
服の見た目から察するに、行商人や作業員。中には貿易関係の者や役人と様々だ。
(なぜ屋敷内に一般人が……?)
通りがかりに、彼らが話す内容に耳をそばだてる。
内容を聞くと、エルデンシュトラ方面から来ている者が多いようだと察せられる。
規制中の検問所を通れるということは、有力な通行証を持っているということになる。
そうなると、ある程度大きい商家の関係者だったり、役人だったり、身元の硬い人間だと伺える。
各々、世間話にいそしんでいるようだが、気になる話題を耳が拾い上げる。
「……嵐が来る前に、どうにか身を寄せられる場所が見つかって良かった」
「侯爵様の善意のおかげだ。そういえばよ、あっちは山賊が増えてるってな」
「エルデンシュトラか?あそこは今、治安が悪いからな」
ジークフリートは、そんな行商人たちの声を聞き分けながら考えを巡らせていた。
(侯爵の善意?……山賊……?)
(先日、検問所滞在時には、山賊の報告はなかったな……状況が変わったか?)
その後も、ジークフリートは噂話を拾い、侯爵の”善意”にあやかった者達には、何か法則があるのかを見ていた。
後ろでジークフリートの護衛としてついている兵は、人が増えたことで警戒心を強め、顔を強ばらせている。
すれ違う者の中には異国の人間もいるが、その言葉は分からない。
(精査する必要があるな)
ジークフリートはゆったりとした歩調で、滞在している客室へと向かった。
──客室に戻り、ジークフリートは客室中央のテーブルに地図を広げ、顎に手を添え考えている。
隣では、オスカー上級曹長が待機している。
(帰路をどうするか……)
エルデンシュトラとグローテハーフェン間には、主要経路と旧道がある。
旧道は現在、封鎖の指示を管理舎へ出している。
規制中でも使える通行手形を持っていたとしても、通ることは出来ない。
だが、封鎖の指示を出したジークフリート本人であれば、旧道を利用することは可能だ。
(……今はほとんど使われていない旧道を使うべきか)
もし旧道を使うのであればかなり大回りになる。更に道も険しくなるだろう。
だが、山賊が出ているのであれば、護衛の少ない特使隊にはリスクが高い。
(いや、まずは噂の出所を探るのが必要だ)
そう考えると、オスカー上級曹長へ指示を出す。
「中庭近くのロビーに、アンネリーゼとリオラ曹長を呼んでおいて」
「俺は手紙を二通書かなきゃいけないから、後で行く。そのようによろしく」
「承知しました」
短く敬礼すると、オスカー上級曹長は退室する。
該当地区で山賊の活動が活性化しているのか、確認をさせておいた方が良いだろう。
先日滞在した主要道路の検問所と、旧道の管理舎への二通手紙を出す。
嵐が来ているため、速達の伝令を使っても、返答は間に合わないかもしれない。
それでも、山賊が出ているならば、対処を早く行った方が、通行者への被害が最小になる。
手段が少なくなったユリウス侯爵が何を企んでいるのか。
手紙を素早く書き終えると、インクが乾くころ合いをみて封をする。
それを手に取り胸ポケットへ入れると、中庭近くのロビーへと向かった。




