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黒の矜持  作者: 川端マレ
第三部 グローテハーフェン編

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第五十四話 誰にとっての善意

 夏の終わり、この地域では海上から大きな風の塊が上がり込み、天候を荒らすことが多い。

 特使の一団が来てから三日目の朝、時折強く吹く風は、窓外の樹木の枝葉を大きく揺らす。

 突風はすぐにおさまってはまた強くなり、土砂降りの雨はその風に翻弄されるように、ザッ、ザーと不穏な拍子で繰り返されている。


 グローテハーフェンの街中では、この地を訪れた行商人や役人が滞在を余儀なくされ、宿はどこも朝から満室となっていた。


「……早めに宿を押さえようとしたが、ダメか」


 街の一角の宿も例にもれず満室だ。

 行商人はため息交じりに呟いていた。びしょ濡れになったその姿は、何件もハシゴをしただろうことが見て取れる。

 宿の店主はそんな彼をみて、希望を灯すように言葉をかける。


「ユリウス侯爵様が善意で、屋敷の一部を開放してくださってるそうだぞ」


「そりゃありがてぇ、教えてくれて助かったよ」


 そう言うと行商人は、カランコロンとドアベルを鳴らし出て行った。


 ──街を見渡すように均整の取れた佇まいをその地に降ろす侯爵邸。

 その門前では、宿を求める旅人たちが列をなしていた。


 門兵たちは、差し出された身分証や通行証に目を走らせ、侍従グンターから許可の下りている種別の証を持つ者だけを選り分け、中へと通していく。


 そのざわめき立つ門前から離れた場所、侯爵邸二階の政務室。

 バルコニーの石床は、水の膜を張り、雨が入り込む度、しずくが薄い波紋を描く。


(やはり、大風が来よるか)


 ユリウス侯爵は窓外を見ながら、不敵な笑みをこぼしていた。

 普段であれば遠くに見える、かつての王が住んでいた廃城は、雨で視界が遮られ見えない。

 それでも彼は、毎日欠かさずその廃城を見つめ続けてきた。

 灰色に塗りつぶされて実像が映らなくとも、今もなお在るかのように、姿をくっきりと焼き付かせている。


 部屋がノックされ、侍従のグンターが入室すると、綺麗な礼をした後、報告する。


「昨日ご指示いただいたものは、全て滞りなく手配が済みました」


 廃城を眺め、後ろ手を組みながらユリウス侯爵は返答する。


「そうか」


 窓外に姿勢を向けたまま、ユリウス侯爵は口角を上げ、不敵な笑みを深めた。


 侯爵は昨日の夕食会で『ジークフリート少佐は寝返らぬ』と判断し、すぐに侍従グンターへ夕食会も終わらぬうちから指示を出していた。


『街の宿の一割を貸し切りにしてこい』と──


 天候の悪化は追い風だ。この地に滞在を余儀なくされる者は増え、当然、溢れるだろう。

 それをユリウス侯爵は、”善意”で侯爵邸の一部を開放する。

 宿が満室になれば、溢れた者たちは嫌でも『侯爵の施し』にすがるしかない。


 侍従グンターは淡々と報告を重ねていく。


「エルデンシュトラからの通行許可証を持つ、行商人や役人が集まる場所での“噂”の流布も、指示通り滞りなく済んでおります」


 その報告を受けながらもユリウス侯爵の頭の中では、策がもう組み立て終わっている。


(帰路になる主要経路で”山賊の襲撃が多くなっている”と噂を立てておく)

(護衛の少ない任務ゆえ、あの少佐なら足場が悪くとも目立たない旧道を選ぶだろう)


 旧道は現在封鎖されている。それこそが、ユリウス侯爵の狙いだった。


(暗殺部隊を送り込み襲撃させるには、旧道はうってつけ)

(封鎖されていようが関係ない。あの山には、役人が地図に描かない道がいくつもある)

(地の利は私にある)


 人気の少ない旧道で襲撃させる。そこでジギスムント宰相の指示だという痕跡になりうるものを残させる。

 だが、それだけでは不確かだ。念入りに策を張り巡らせる。


「隠密の配置変え、旧道の見張り、検問所周辺の監視員を増員しておけ」

(最後の手段は……まだ使わぬ)


 ユリウス侯爵は振り向くと執務机に移動し、指示の書かれた紙を差し出した。

 そしておもむろに、侍従グンターに集めさせていた特使隊員たちの、行動パターンを書き連ねてある書類に目を通す。

 しばし逡巡(しゅんじゅん)したのち指示を与える。


「中庭近くの部屋と、ダイニングホール近くの部屋を庶民に開放してやれ」


「はい。かしこまりました」


 そこでふと、娘カタリナの面影が脳裏に思い浮かぶ。


(中庭近くはカタリナも利用するな……)


「……中庭周辺の護衛は、念入りに配置しておけ」


「仰せのままに」


 侍従グンターは身体前に手を添え綺麗なお辞儀をし、報告を終えると政務室を退出した。


──同じ頃、グローテハーフェンの侯爵邸の地下。


 この地下には窓がなく、嵐の日も晴れの日も、ひんやりとした湿気と陰鬱(いんうつ)な空気がこもっている。

 ろうそくの灯りだけが頼りだが、その間隔は広く、光が届かない闇のほうが多い。


 カタリナが地下に行かないように、ユリウス侯爵はあの日から終日見張りを付けるようになっていた。

 だが、カタリナには策がある。


 一人の見張りと侍従の娘が、恋仲だという情報を持っていた。

 彼は庶民の出。対する侍従の娘はそれなりの身分を持っている。

 いわゆる身分違いの恋というやつだ。


 その恋が露見すれば、侍従の娘と見張りの兵は、たちまち引き離されるだろう。

 カタリナは、そのことを誰にも話さないと約束した。

 代わりに彼が見張りを担当する時間だけ、地下へ降りることを黙認させていた。


 こうして度々地下に降りては、幽閉されている隊長の娘と言葉を交わしていた。

 なぜそこまでするのか、カタリナ自身はっきりと言い表すことができない。

 ただ、娘の話から、父娘の強い絆を感じたのだ。


 それはかつて、自分が持っていたもの。それを思い出したい衝動なのかもしれない──


 隊長の娘が幽閉されている扉の前に立つと、カタリナは声をかける。


「昨日は来られませんでしたが……変わりはなかったですか?」


 隊長の娘は固いベッドの上で、膝を抱えて顔を伏せていたが、その語りかけの声にゆっくりと顔を上げた。

 その表情は日々影を増している。


「えぇ……変わりは……なかったです……」

 

 言い終えた瞬間、顎の筋肉がきゅっと固まり、そのまま小刻みに震え出した。

 歯を食いしばって堪えようとしたせいで、喉の奥で押し殺していたものが逆に(あふ)れ出す。

 娘はまた顔を伏せると、肩をぎゅっと縮め、漏れないようにしていた嗚咽(おえつ)をにじませた。


「どうして……こんなことに……」


 それ以上が続かない。

 薄い毛布の端を掴んだ指先に力が入り、白くなる。

 鉄扉越しに見えるその背中の震え方に、カタリナは(もう持ちこたえられない……)と悟った。


 彼女は父ユリウスに(だま)されてここに収容されている。

 そのことがカタリナの罪悪感を増幅させる。


 これまで隊長の娘と言葉を交わし、カタリナは彼女がここにいる経緯を知った。


 父ユリウスの息のかかった者が、隊長の娘に接触し、わざと『エルデンシュトラ任務に就いている隊長殿が、悪意に利用されている』と情報を与えた。


 隊長の娘は父親を助けたくて、休学届を出し、エルデンシュトラへ帰ろうとした。

 情報を与えられた時、通常では手に入らないユリウス侯爵の紋入りの通行手形を渡されたという。

 侯爵の名が押された手形。隊長の娘にとってそれは、侯爵様の関係者であれば信用に値する情報だと、疑う理由のない『本物の証』に見えたのだろう。


 そこまで整えられた舞台の上で踊らされた娘は、準備を終えると通行許可証を握りしめ、エルデンシュトラへ向かった。

 だが、それを待っていたかのように、検問所へ辿り着く前に(さら)われ、その結果がこの地下室だった……


 地下牢への旅の準備を娘自身の手で行わさせた。誰も娘がここにいることなど気が付かないだろう。


 謝ることは隊長の娘への謝罪にはならず、ただカタリナが赦されたいだけになってしまう。

 謝ることすらできず、カタリナはただ「どうにかします……」とだけ伝えて地下牢を後にした──

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