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黒の矜持  作者: 川端マレ
第三部 グローテハーフェン編

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第五十二話 晒された痛み

 観葉植物の陰で、アンネリーゼは小さくなり、ジークフリート少佐とユリウス侯爵二人から、隠れるように姿勢を低くする。


(盗み聞きになってしまう)

(記章も見つからない……後ろの扉は閉まっている……どうしよう……)


 幸か不幸か、観葉植物の陰になり、アンネリーゼの場所は暗がりで、明るい向こう側からは視認しにくい。

 二人の位置を確認しようと、視線を上げた。

 葉っぱの隙間からジークフリート少佐の横顔が見える。一瞬不快を滲ませた表情。


(何を言われているのだろう……)


 気になってしまった。

 昨日応接室でユリウス侯爵と対談して出てきた時、少佐は顔色が悪そうに見えた。

 あの時も何か対談中にあったのかもしれない。そんな記憶が心配と重なり、足を止めさせる。


 出るタイミングを逃し今更出るわけにもいかず、アンネリーゼはじっと息を殺してその場にとどまってしまった──


「──陛下に仕えるあなたを……クラウディア嬢を……預かっていた身としては」

「出自は余りにも悲劇で……」

「アウグスト元帥は……妻が、誰の子を……産んだのか──」


 時折、潮風が強く吹き、耳をかすめる空気の音にかき消された。そのため会話の一部は聞き取れない。

 それでも、言葉の断片で、分かってしまう。


 しばらくするとユリウス侯爵は、整然とした様子で、まるで歓談を終えたかのようにその場を去っていった。


(少佐の出自は悲劇……アウグスト元帥の子が、誰の子かを匂わせる発言……)

(皇帝陛下を侮るかのような話しぶり……)


 専門的な政治やかけ引きに、関わってこなかったアンネリーゼでも、二人のやり取りがただならぬものだと感じた。

 一見落ち着いた会話の中に、互いの喉元へ刃を押し当て合うような緊張感。事柄の程度がどれほど大きいのかを理解させるには十分だった。


(少佐は……皇帝陛下の……?)


 遠くの港はガス灯の灯りが点々とし、闇の中でゆるい球を浮かばせている。


 欄干の手前でひとり佇んでいたジークフリートは、握っていた拳を解く。

 ユリウス侯爵とのやり取りで生まれた感情を、吐き出すようにひとつため息を吐いた。


 室内へ戻ろうと踵を返した──その時。


 磨かれた軍靴に金属片が当たり、カラン……と音を鳴らす。

 しゃがみ、音を出した主をつまむと拾い上げ、手中に収めた。


(特使の記章……)


「聞いていたのは誰?」


 観葉植物の影を揺らし、そこでしゃがみ込んでいたアンネリーゼが、おずおずと立ち上がる。

 名乗り出ようと足を動かす素振りを見せるが、ジークフリートは落ち着いた声で制止する。


「動かないで」

「あなたがここにいたことを知られるのはまずい」


 アンネリーゼの青ざめた様子、負の感情が混ぜ合わさった表情を確認する。

 ジークフリートは目を伏せ、アンネリーゼへ背を向けると、遠くを見ているかのような姿勢に戻す。

 それは周りから見れば、夜風に当たっているかのような素振りだ。

 その場の空気に溶け込むように、誰もいない闇へ話しかける。

 

「どこから聞いていた?」


「……クラウディアという女性のお名前と、少佐の”ご出自”という言葉が出たあたりです」


(クラウディアと出自……核心は、ほぼ全部聞かれたな)


 欄干に肘を置くと、ひとつ息を吐き瞳を閉じる。

 帝国の機密情報を、公人とはいえ、一般市民に近いアンネリーゼが知ってしまった危険性──

 しばし沈黙のあと、ジークフリートの中で判断が整い、静かに告げる。


「今聞いたことは、誰にも話してはいけない。報告書にも書かなくていい。これは私的な問題だ」


 その私的な問題が少佐を苦しめているじゃないですか。

 心の中で叫ぶその言葉を、アンネリーゼは言葉に出して伝えることは出来ない。

 身体の前で重ねた両手を握る。


 少佐が、帝国のためと言いながら、自分の存在そのものを贖罪のようにしている理由が分かった。


 ユリウス侯爵は、ジークフリート少佐の出自を対象にして、揺さぶりをかけるように話していた。

 少佐が自身へ向けている贖罪を、皇帝陛下へ仕向けるように。


 ユリウス侯爵に、その重すぎる血筋を利用されていた。今までもあらゆる形で、悪意を向けられてきたのかもしれない。


(自分が生まれたことで、近くにいる人を巻き込んだ。不幸をもたらすと思っているのでは)

(それは少佐のせいではないのに……)


 遠くに見える港のガス灯の輪郭がぼやける。


 ジークフリートは硝子窓の方をチラっと見て中の様子を確認すると、室内から視線を切るように移動する。

 観葉植物の影にいるアンネリーゼへ近づくと、そっと記章を手渡した。

 中ホールからは見えない方の扉を顎で示す。


「ここで待っていて、内側から鍵を開けるから。そのまま、何事もなかったように戻って」


 アンネリーゼは受け取った記章を握りしめる。


(あんなことを言われた後でも、気を張り詰めて最善を探そうとしている……)

「すみません……ありがとうございます」


 他愛のないお礼しか言えず、何かを伝えたくてもそれが言葉として出て来ない。

 これは聞かれたくなかったはずだ。アンネリーゼが今受けているショックよりも、ずっと深く、ずっとひとりで抱えてきたのだろう。


(どれだけ苦しかっただろうか……)

(聞いてしまって……悪いことをしてしまった)


 この心の声をそのまま伝え、謝った所で、知らなかった状態に戻る訳でもない。

 そして何より、謝られてもジークフリートを困らすだけだと分かっている。


「誰にも……いいません。私の中できちんと分別をつけます」

「ジークフリート少佐はそのままでいてください」


 自分は知ったからと言って態度を変えるつもりはない。そのことで少佐の負担にはなりたくない。

 その想いをこめて言うのが精いっぱいで、唇をかみしめると震える手で記章を握りしめた。


 アンネリーゼのその様子をみて、ジークフリートは視線を外し一瞬床へ向ける。


(巻き込んでしまったな……)


 害になる相手であれば、口封じも必要になりかねない機密情報。

 だが、ジークフリートは先ほど逡巡した末にそれを選ばなかった。ならば腹をくくる他ない。


 短くため息をこぼし、囁いた。


「俺は……あなたを信じる」


 それだけ伝えるとジークフリートは、いつもの足取りで中ホール側の扉を開け、光眩しい公の世界へと溶け込んでいく。


 受け取った言葉の重さに、何より一瞬見えた横顔に心苦しさが滲んでいて、喉が詰まる。

 少佐の抱えるものの大きさを知り、それでも平然としようとする姿に、アンネリーゼは涙で世界が滲んでしまいそうになる。


(私がここで感情をだして、少佐が隠し通していることを悟らせてどうする)


 瞳の中に溜まりかけている涙を手で拭うと、深呼吸をひとつ挟んだ。

 その時、背後でカチャっと扉が開錠される音が聞こえた。


 アンネリーゼは記章を胸元へ付け、姿勢を低くしバルコニーを後にした──


最後まで読んでくださりありがとうございます。

彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。

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