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黒の矜持  作者: 川端マレ
第三部 グローテハーフェン編

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第五十話 整えられた舞台

 翌日の視察は、最初から最後まで、よく整えられた『見せ物』のようだった。

 

 湾港には帆船と大型の蒸気機関船が横並びに停泊し、クレーンがギィッと音を立てて荷を吊り上げる。

 木箱や麻袋が次々と岸へ降ろされ、荷車に積み替えられ港近くの倉庫へと流れていく。

 倉庫の扉が開かれると、内部の棚は搬入された物で隙間なく埋まり、確かに搬出が滞っている様子が一目で分かった。

 

 ユリウス侯爵は、そこを見せつけるように、わざとらしく肩をすくめる。

「ご覧の通りでして。輸送が止まれば、この都市もすぐに行き詰まります」

 

 ジークフリートは答えず、倉庫の数と規模、保管できる最大量を、手元の資料と照らし合わせていく。

 帳簿の数字と目の前の山積みの荷。

 受け入れの総量に今のところ露骨な齟齬はない。

 

 湾港を行き交う商人たちは、国籍も服装もさまざまだ。

 飛び交う異国語のやり取りを、アンネリーゼは淡々と訳しながら途中で、ジークフリートへ視線を送る。

 

(……やっぱり、普段通りに見える)

 

 軍務施設の視察も、拍子抜けするほど規定通りに進んだ。

 武器と火薬の備蓄量は帝国からの指示書と一致。硝石の在庫も申告通り。

 

 ユリウス侯爵が、特使の行動をあらかじめ把握しているのは明らかだ。

 この場で、侯爵の不都合になるものが顔を出すはずがない。

 ジークフリートは、その茶番を承知しながら一つ一つの工程を崩さずにこなしていった。

 

 アンネリーゼは、視界の端でその背中を追いながら、小さくため息をついた。

 昨日、ユリウス侯爵との対談を終えたあとは顔色が悪く思えたが、今日の少佐はいつも通りにしか見えない。


(昨日のあれは、ちょっと長旅で疲れただけだったのだろうか……)


 空が茜色に変わり出す頃に、グローテハーフェンの視察は終わり、アンネリーゼは用意されている客室へと戻った。

 陽が落ちる時間になればユリウス侯爵の計らいで、歓迎の夕食会が開かれる。

 警戒していたほど、危険もなく、良かったのだが少し拍子抜けしてしまう。


 夕食会の準備までに少し時間が空いていたのでアンネリーゼは、視察で書き留めた資料を整理して時間をつぶす。

 同室のリオラ曹長も、大量に書き留めたものを仕分けなどして手伝ってくれた。


 ユリウス侯爵の使用人が部屋をノックし、夕食会の段取りを伝えに来る。

 アンネリーゼは書類をしまうと支度を始めた。


 ユリウス侯爵邸の中ホールでは、特使の歓迎をするために場所が整えられている。

 メインテーブルは10人ほどの座席が設けられ、特使からは、ジークフリート少佐、オスカー上級曹長、リオラ曹長、アンネリーゼが着席している。

 ユリウス侯爵側からは、ユリウス侯爵。娘のカタリナ、重臣や顧問など数名が顔をそろえていた。


 壁と出入り口には、それぞれの護衛兵たちが控え、夕食会が始まる。


「遠路はるばる特使の任にて、当侯邸へお越しくださり感謝申し上げます」


 ユリウス侯爵が慣れた口調で挨拶を述べる間、使用人たちが目の前で開封したワインを各グラスに注いでいく。


「陛下の威光と、帝国の加護に──」


 侯爵がゆるやかにグラスを持ち上げる。列席者もそれにならい、静かに杯を掲げた。


 ジークフリートも形だけグラスを唇に運ぶが、口を湿らせる程度で飲まない。


 夕食会が進み、ひと段落したところで、ユリウス侯爵は隣に座るカタリナへ視線をやる。


(印象付けさせておこうか)


 恋に落ちるほど甘い男ではあるまい。それでも、人は『名と顔のある他人』を簡単には切り捨てられぬものだ。


「少佐。こちらは私の娘カタリナです。グローテハーフェンの内情にも通じておりますので、何かとお役に立てるやもしれません」


 促され、カタリナは椅子から立ち上がり、ドレスを丁寧に持ち礼をする。


「カタリナ・フォン・ブランケンハイムと申します。帝国より特使としてお越しくださり、心より歓迎いたします」


 貴族令嬢として綺麗な所作を見せるカタリナだったが、挨拶を終え着席する一瞬。

 顔を伏せ笑みがすっと消え、瞳に冷えた色を落とす。


(これが噂の……公爵家の少佐)


 帝国の特務を請け負い、大隊を束ねる有力者。それが、ただの儀礼訪問でここへ来るはずがない。

 そんな人物が特使としてグローテハーフェンへ派遣された。その事実そのものが、カタリナには重くのしかかる。


(父上は……何か、よくないことをしているのでは……)


 そう思いたくはないのに、地下で見たあの少女の姿が脳裏をよぎる。

 振り払おうとしても、胸の奥のざわめきは静まらない。

 カタリナは誰にも悟られないよう、小さく息を吐いた。


 その一部始終を、ジークフリートはグラスの縁越しにちらっと眺めていた。

 ユリウス侯爵の娘らしい礼儀正しさ。だが、ジークフリートに合わせた視線は、どこか疑心暗鬼を含んでいた。

 そして、着席後に伏せた一瞬の顔と、肩の動きで見て取れる浅いため息。


(へぇ、俺を怯えたような目でみて、何かを疑うようなその態度の意味はなんだろうね)


 ジークフリートは、運ばれてきた料理を綺麗に切り分けながら、視察では隠されるほころびを、人間観察で拾っていく。


 夕食会が進み、料理がある程度行き渡ったところで、ユリウス侯爵が穏やかに笑みを浮かべて告げる。


「この後は歓談が主となりますので、しばしご自由におくつろぎください」


 その合図で場の緊張感が少しほぐれ、それぞれ和やかに談笑を楽しみ始めた。


 アンネリーゼは、お酒を飲んでいなかったが、場の空気に当てられたのかふと頭痛を覚える。

 胸のあたりも少し苦しく、彼女は少し席を外すとリオラ曹長に告げた。


 化粧室に入り、しばらく洗面台の前で深呼吸をしてみるが、息苦しさは完全には引かない。

 中ホールに戻る気になれず、そのまま近くにあったバルコニーへ出て、夜風に当たることにした。


 潮の匂いを含んだ風が、熱を持った頬を撫でていく。

 アンネリーゼは凝り固まった肩をもみほぐそうと手を伸ばす。襟元に触れようとした指先が、胸元の記章に当たった。


「あ──」


 小さな金属音とともに、記章は弾かれ、床に転がった。

 特使の一団を見分けるために支給された記章だ。これを紛失するのは大事になりかねない。


(まずい……)


 しゃがみ込んで裾を気にしながら手探りで探していると、離れたガラス戸のあたりで、キィ、と蝶番の音がした。


 顔を上げる。バルコニーの反対側から、二人分の影が伸びてくる。

 ガラス越しに差し込む室内の明かりに浮かび上がったのは、ユリウス侯爵とジークフリート少佐だった。


(ジークフリート少佐と、ユリウス侯爵……?)


 瞬時に『聞いてはいけない』という感覚が胸をよぎり、アンネリーゼはそっと踵を返して反対側の扉へ向かう。

 だが、取っ手に手をかけると、固い手応えだけが返ってきた。内側から施錠されているようだ。


(困ったな……)


 戻ろうにも、もはや二人の気配はすぐそこだ。

 アンネリーゼは息を殺し、観葉植物が並んだ列の陰に身を滑り込ませた。

 バルコニーの床に視線を落とし、さっき飛んだ記章をそっと片手で探りながら耳は否応なく、二人の会話に引き寄せられていく──

最後まで読んでくださりありがとうございます。

彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。

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