第四十九話 禁忌
互いの手が離れると、応接室には一瞬だけ静寂が落ちた。
先ほどまで交わしていた形式的な言葉の余韻が、まだ空気の中に残っている。
時計の針がひとつ進み、応接室の空気を断ち切る様に、ボーン、ボーンと音がなる。
ジークフリートは礼儀正しく立ち上がり、退室の姿勢を取ろうとした──その時だった。
まるで世間話の続きであるかのような調子で、ユリウス侯爵の柔らかい声が落とされる。
「御父上、アウグスト元帥とは、幾度か言葉を交わす機会がありましたが……」
ジークフリートの動きが、わずかに止まる。
「本日、直接少佐を拝見すると母上似ですな。アウグスト元帥とは似ておられない」
ユリウス侯爵の黄金の瞳が愉悦をたたえ、口元がわずかに吊り上がる。
そのひと言は、柔和を表面に塗りつけているが、冷たく鋭かった。
あえてこの場で、このタイミングで出されるその言葉の意味。
ジークフリートには、その言葉の意味が分かっていた。
卑怯な手段もいとわないという宣戦布告だろう。
ジークフリートは表情を変えず、受け止める。
「──そうですか」
それだけ返す。
だが声にはかすかな温度差があり、心の中で積み重ねた壁の端がパラっと綻び落ちる。
ジークフリートはそのまま無表情で礼を返し、息を整えると応接室をあとにした。
扉が閉まる寸前、ユリウス侯爵の低い笑い声がかすかに漏れる。
廊下には護衛兵と、アンネリーゼたちが待機していた。
ジークフリートたち特使は、ユリウス侯爵の侍従グンターの先導で、各自に用意された客室へと案内される。
侍従の後を、普段と変わらぬ様子で歩くジークフリートの背中を、アンネリーゼは見ていた。
先ほどユリウス侯爵との対談を終えて出てきた時、一瞬見えたジークフリートの横顔。
表情はいつもと変わらない飄々とした様子だったが、冷えた顔色にアンネリーゼは息を呑んだ。
(……顔色が悪い)
普段と変わらぬ歩幅、変わらぬ姿勢。
けれど、顔色の悪さと、握られた拳が僅かに震えていることを、彼女は見逃さなかった──
ジークフリートが退室し、ユリウス侯爵だけになった応接室。
腰をおろしていたソファからゆっくり立ち上がると、窓辺に歩をすすめた。
遠くに見える、かつて自身が忠誠を誓っていた、カール王がいた廃城をそっと見つめる。
(噂通りの切れ者。ジークフリート少佐)
ユリウス侯爵はかねてより中央に密偵を忍ばせ、逐一情報を仕入れている。
少佐の評判云々は分かり切っていたこと。今まで抱いていた疑惑が、確信に変わったことが重要だった。
ジークフリート少佐の外見で疑いようがなくなった。
(あれは、皇帝陛下の落胤だ──)
込み上げる笑いを押さえることなく「ふはは」とこぼすと、白髪交じりの整えられた髭をひと撫でする。
帝国に捕らえられたテレーゼ家の三姉妹は、人道目的でグローテハーフェンへ返還された。
三姉妹の伯爵家は滅亡していたため、身元の引受人としてユリウス侯爵が三姉妹を保護した。
白銀の三姉妹はその家がなくなってもなお、価値はあった。
ユリウス侯爵は属国として従順なふりをするために、あれこれと帝国の中枢にいるジギスムント宰相へ取り入った。
貿易都市の利点を生かし、他国から入る珍しい品の貢ぎ物をして信頼を積み重ねたのだ。
三十余年前の帝国軍が行った冬の門作戦は、グローテハーフェンの陥落により終戦を迎え、ほどなくして当時の皇帝陛下が崩御する。
その後を継いだマグナー皇子が皇帝陛下となった。
だが、マグナー皇帝陛下には元より正妃も側室もいたが、その誰にも興味を示さず後継が誕生しない。
それを危惧したジギスムント宰相から、白銀の三姉妹のひとりであるクラウディアを皇帝へ嫁がせる打診を受けた。
これ幸いとユリウス侯爵は、クラウディアを皇帝陛下の側室として献上した。
ジギスムント宰相は『白銀の三姉妹と名高い娘であれば、マグナー陛下も興味を示すかもしれない』と思ったのかもしれない。
だが、数年もしないうちにマグナー陛下は後宮の妃たちを全て処刑し、クラウディアもアウグスト元帥へ下賜してしまった。
宮廷内で何が起きたのかは、いくら優秀な密偵を忍ばせても分からなかった。
そのうちにアウグスト元帥へ下賜されたクラウディアは、男児を産み亡くなったと噂が流れた。
時期を誤魔化す為か、死亡時期も出産時期も全てが公表されず、うやむやにされている。
だが、高位の貴族や中枢に近しいものであればあるほど、疑わずにはいられなかった。
『アウグスト元帥へ下賜されたクラウディアが産んだ男児は、皇帝陛下の落胤なのでは──』
公にしたあとの混乱を思えば、静観を選ぶ者が多かった。そして、秘密裏に暗殺を謀る者もいたようだが、それが奏功することはなかった。
表上はアウグスト元帥の子としてその男児は育てられ、成長すると公爵家嫡子の軍人となって公の場に出てきた。
嫡子の名を与え、皇帝の血を隠蔽したのか、どのような意図なのか──
疑念を持った者も触れることは禁忌とされ、何事もなかったように流れてゆく。
その疑いを、ユリウス侯爵も密かに胸の内で育てていた。
だからこそ先ほど、血の繋がりをほのめかすひと言を投げたときの、少佐の態度を見て確信した。
ジークフリート少佐の変化は微小だったが、わずかに力の入った拳と硬直した背中。
(自身が、皇帝陛下の子だと気が付いている)
そして、アウグスト元帥の名を出した時に、見えた頬の強張りで察した。
(アウグスト元帥との繋がりに未練がある)
「私の目はごまかされぬぞ……ふっ、ふふ……」
(どこが綻びか、見定めさせてもらおうか)
これは面白いと言わんばかりにユリウス侯爵の笑い声が、一人きりの応接室に響き渡っていた──
最後まで読んでくださりありがとうございます。
彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。




