第四十八話 閉じた真珠
野営地を日の出とともに出発し、グローテハーフェンの中心地へとジークフリートたちは進んでいく。
風にのって潮の香がふわりと流れ込んでくる。
海岸沿いの道に出ると波の音が、馬の蹄、幌馬車の車輪の音と重なり、アンネリーゼは目を閉じ耳を澄ました。
出発した時は、非日常へと足を踏み入れ、もう戻れないかのような不安があった。
それがすべて拭えたわけではない。それでも、行動をしているとその不安が徐々に薄れてゆく。
──陽が真上へ近くなったころ、グローテハーフェンの都市部への入り口の検問所に到着した。
検問所にはユリウス侯爵から派遣された侍従が迎えに来ていた。
侍従は白手袋を添えた所作で綺麗なお辞儀をすると、ジークフリートへ形式的な挨拶をする。
「ユリウス侯爵より遣わされました、侍従グンター・ホーエンベルクと申します」
「長旅、お疲れでございましょう。侯爵邸へご案内させていただきます」
ジークフリートは馬上から侍従の挨拶を受けると、簡潔に返す。
「出迎え、感謝します」
その返答を受け、侍従グンターは手袋の皺をひとつ払うように指先で整える。規則正しい所作で軽く帽子に触れ、礼をとった。
そのまま栗毛の馬へと騎乗すると、燕尾服の裾がひらっとなびく。
その装いは、ヴァルディナ帝国の象徴ともいえる黒を基調にしつつ、グローテハーフェンの色でもある、濃い青を襟元にあしらえたものだ。
燕尾服姿の侍従を先頭に、ユリウス侯爵の待つ侯爵邸へと一団は進んでいく。
侯爵邸へ続く海岸沿いの街道は、貝殻を砕いて混ぜて固められている。蹄がシャリ、シャリと音を鳴らす。
綺麗に舗装された道沿いを少し進むと、マルシェが並んでおり、人の密度が増し活気がある。
朝から開かれるマルシェは昼近くになると、ポツポツと片付けをし始める店主もいた。
グローテハーフェンは貿易都市らしく、その街はどこも賑やかで様々な人たちがいる。
すれ違う人たちは帝国の公用語を話す者が多いが、中には聴き慣れない言葉を話す者ともすれ違う。
海岸沿いをしばらくすすむと、学校や病院などの大きめの建物が増えてくる。
そのどれもが外壁は白を基調とし、鮮やかな青が差し色として建物に使われている。
中心部を通り内陸に進路を変えると、鍛冶屋などの専門的なお店が増え、さらに進めば建物の密度が下がり、閑静な高級邸宅が並び立ち、沿道には花壇が綺麗に整備されていた。
グローテハーフェンは、ヴァルディナ帝国が属国管理をしている地域だが、ここはまるで異国のような雰囲気がする。
幌馬車に乗っている面々は、うっかり物珍しそうにしてしまいそうになるが、間の抜けた顔になっては特使の沽券に関わる。
平常心を保ち、凛とした表情を装っている。
それでも気になり、アンネリーゼは横目でその流れる景色を眺めていた。
高級邸宅街の際奥にはひときわ立派な侯爵邸の外壁が見えてくる。丘になった高い位置にあるその建物は、街全てを統括するようにその地に根ざしている。
真珠のような淡い白の外壁は、左右対称の均整の取れた形状をしており、一番高い中央の建物はドーム状に丸みを帯びている。
門前に到着すると、兵や執事が整列して出迎えている。
出迎えの者達が門前に並び立ち、兵は敬礼をし、執事や高位の使用人は礼の姿勢を保っている。
その間を特使の一団は通り過ぎていく。
侍従の後に騎乗で進むジークフリートは、出迎えの者達を視界の端でとらえ、その意図を読み取りながら真っすぐ前を見据えていた。
(これはまたご丁寧に、形式は守るってことか)
そのうやうやしさが、品位を装い自らの落ち度は見せず、よそ者を品定めし、綻びがあればいつでも反転攻勢を仕掛けられる。という思惑がにじみ出ている。
そして、玄関前に着くと侍従は止まり、軽く振り向き下馬をする。
白い手袋をはめた左手は手綱を持ち、右手を胸に添え形式的に告げる。
「ユリウス侯爵は、応接室でお待ちになられております」
侍従の儀礼的な『到着したので、ここで段取りを整えましょう』という合図に、ジークフリートは飄々と返す。
「案内、ご苦労様」
その言葉を皮切りに、特使の一団は静かに動き出した。
ジークフリートは馬から降りて、ノエルへと手綱を手渡した。
手綱を渡された従兵の二人と御者は、玄関前で待機していたユリウス侯爵の使用人の案内を受け、馬房や幌馬車の保管庫へと移動していく。
護衛と通訳兼書記のアンネリーゼと補佐のリオラ曹長は、ジークフリートと共に侯爵邸に入っていく。
侍従の案内で応接室の前に着くと、侍従は規則正しくノックをする。
中からの返事を確認すると、侍従に続きジークフリート少佐とオスカー上級曹長、護衛兵一名は室内へと入る。
他の者達は室内には入らず、扉前で待機し警備に当たる。
仕立ての良い紺色のジュストコールを身に着けたユリウス侯爵は、窓辺で街を一望していたようだ。
一団へ振り返り、確認すると皮手袋をはめた手を胸元へ優雅に添えると、丁寧に挨拶をのべる。
「ヴァルディナ帝国陸軍第十三特務大隊所属、ジークフリート少佐。ようこそ我がグローテハーフェンへ」
「この度は当侯邸へ特使でご足労いただき、感謝申し上げます」
「陛下のご威光のもと、各地の安寧を祈りつつ、まずはご挨拶を」
そう言うと優雅に流れるような手つきで、応接室中央にある革のソファへと誘導した。
ジークフリートはユリウス侯爵の形式的な儀礼をうけ、柔和な様子で返す。
「ご丁寧な出迎え、有難く存じます」
背筋の伸びたその姿勢から発せられる声色は、落ち着いて品がよく、完璧な青年将校でもあり、公爵家嫡子としての振る舞いを含んでいる。
「特使としての任を受け、この地の情勢確認と調査のため参りました」
「まずはお話を伺いましょう」
うっすらと笑みを浮かべた口元は、人当たりがよく、薄く弧を描いて閉じている。
ユリウス侯爵が着席するとジークフリートは、ほんの一呼吸遅れて腰を下ろした。
深くも浅くもないその姿勢は、礼節をもった態度であり、ユリウス侯爵への牽制でもある。
座る際に下へ向けていた視線は、床、テーブルの脚、靴、と様々な情報を拾いながら、ゆっくりとユリウス侯爵の目元へと向けられる。
「では伺いましょう。今回、貴殿が特使派遣を望んだ理由を」
ジークフリートの柔和な態度とは裏腹に、冷たく光る銀灰の瞳は、その奥底を覗き込むように鋭さを宿している。
それを受け止めるユリウス侯爵は、老獪な人物らしく表情ひとつ揺るがさない。
ジュストコールの端を小さく撫で、伸ばすと現状説明をする。
「皇帝陛下が下された、エルデンシュトラ統治者への粛清の余波により、グローテハーフェン内では物流の輸送が滞っております」
「この地は帝都イーゼンブルクへの輸送に、エルデンシュトラを経由しなければならない」
「状況の鎮静とはいえジークフリート少佐のご判断で、検問所の通行規制をされた。その判断も流通へ悪影響を及ぼしている」
「帝国中央への安定な取引、並びに市民生活を守らなければならぬゆえ、私としては特使の派遣を申し出たまでです」
その苦情をジークフリートは事実として受け止める。
「その件に関しては、永続的な事ではないとご理解いただきたい」
ジークフリートが未だ検問所の通行規制を解除できないのは、人工硝石の密輸が発覚しているからだ。
硝石の密輸は、裏経路を使い検問所を経由していないとはいえ、この問題があるうちは規制を緩めることは出来ない。
そして、その密輸に関わっているのは、グローテハーフェンの権力者の誰かであることはほぼ確定している。
グローテハーフェン側が密輸の悪事を行っていることで、通行制限を解除できずにいるのだ。
言いがかりともいえる苦情だが、密輸の件が規制の解除を阻んでいると触れることは出来ない。
だが、道中で人工硝石工場の稼働停止の手続きが済んだと、ハインリヒから報告が入っている。
じきに横流しされている硝石も、今現在輸送中のもので最後となる。
すなわち、通行規制の解除を今ここですることもできる。
だが、ジークフリートはそれをしない。
今ここで通行規制を解除できる状態になった。とジークフリートが告げれば、狡猾なユリウス侯爵は気が付くはずだ。
『人工硝石の件は、もうそこまでジークフリートに追い詰められている』と。
現在ここは敵地のど真ん中と言っても過言ではない。
そんな場所でユリウス侯爵へ、チェックメイトは近いと表示をすれば、ジークフリートだけではなく、特使の面々を危険に晒しかねない。
ユリウス侯爵の部屋にある振り子の古時計が時間を刻み、カチッと静かな音を鳴らす。
ジークフリートは落ち着いた様子で続ける。
「不便を被っている部分に関しては、今回の特使で調査をし、その補填が必要か精査します」
「ユリウス侯爵には、ご協力をお願いしたく思っています」
ユリウス侯爵は余裕を持った態度で受け入れる。
「状況が改善するのは領主として最大の願いであります。勿論、協力を致しましょう」
「本日は長旅でお疲れでしょう。部屋をご用意しておりますゆえ、ごゆるりとなさって下さい」
「明日、調査、協議を行い現場確認をしていただきます」
「夕刻にはご足労いただいたお礼としてはなんですが、夕食会をもうけております」
「互いに生産性のある会談となるよう、務めましょう」
そう言うと身を乗り出し、泰然とした様子で手を差し伸べる。
握られた手のひらは熱く、互いの熱を比べ合うように握り込まれている。
ユリウス侯爵の黄金色の瞳は、ジークフリートの銀灰の瞳の奥を捉えた。
表面は友好的だが、そのどちらも冷たくひかり、隙が無い。
互いの手が離れるまでの一瞬、どちらも先に引くことはなかった──
最後まで読んでくださりありがとうございます。
彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。




