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黒の矜持  作者: 川端マレ
第三部 グローテハーフェン編
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第四十三話 証

 タラモンとの調印式も済んだ数日後。


 山脈の隙間から朝日がその身を表そうとすれば、放射状にオレンジの光が伸び、藍色に染まった空の明暗を分ける。


 ジークフリートは夜勤報告を兵舎詰所で受けた後、ハインリヒとともに執務室へ向かっていた。

 伯爵邸の玄関をくぐり、廊下の先を曲がった時。ひとりの女性兵士とすれ違う。

 それは日々何回と起こる、いつもと変わらない日常の一コマに過ぎないものだった。

 だが、一瞬の違和感。彼女の全体をとらえ顔を識別する。


 ──ジークフリートは歩みを止め、女性兵士に声をかけた。


「──そこの兵。止まって」


 女性兵士は足を止め、壁に寄ると俯き視線を下げるようにして敬礼を添えた。


「あなた、何処の小隊かな?」


 そう言いつつジークフリートが距離を保ち女性兵士に向き合う。ハインリヒは陣形をとるように自然に位置を移した。

 ジークフリートは女性兵士の視界に入らない位置で、ハインリヒへとハンドサインを送る。

 ハインリヒは女性兵に視点を合わせつつ、無表情に視界の端でそれを読み取った。


(密偵か──)


 詰める。その刹那。女性兵士は察し、走り出す。

 数人分の距離が離れた直後、女は足を止め、短剣を抜いて自らの喉を突いた。


 駆け寄った際には、ゴロゴロと呼吸に血の塊が絡みつくような音をさせていたが、次第にその間隔が延び息絶えた。


 兵に擬態した密偵が、着ていた軍服は紛れもなく帝国軍のものだった。


(やはり紛れていたか)


 密偵が送り込まれるのは日常茶飯事。

 だが、ジークフリートが率いる第十三特務大隊は、特務を受け持つ精鋭ぞろい。

 簡単には入り込めないはずだ。


 密偵の潜入力、そして状況判断。さらに最終的な身の置き方。

 そのどれも訓練された密偵だと推察できる。


 死体を改めるため、ジークフリートは部下を呼び寄せた。

 命令を受けた兵らが、密偵の遺体を地下へと運んでいく。


 ジークフリート率いる第十三特務大隊の隊員は、三百名強いるが、その隊員の顔は全て把握している。


 今回は廊下の角を曲がった際にすれ違う。という偶然が重なり密偵を暴くことができた。

 だが、そう何度も偶然が重なるなど、あり得ない。

 恐らく密偵は他にも潜り込んでいる可能性が高い。


 普段から不定期で抜き打ちの巡察をしている。それでも入り込まれたのだ。


(対策を練らなければいけないな)


 その後、執務室へと戻るも落ち着く暇はなかった。まずはできる対策から進めることにする──


 夏といえど朝の光はまだ柔らかく、そのゆるやかな暖かさを室内へと届ける。

 伯爵邸の縫製室には二十名ほどの兵が集められていた。その中にはアンネリーゼもいた。

 執務室に戻った際ジークフリートは、ハインリヒに手先の器用そうな人員を二十名ほど集めてほしい。と指示を出した。

 ハインリヒの独断と偏見により選ばれた、手先が器用そうな精鋭たちが集まっているのだ。

 その集められた面々をみてジークフリートは言葉をだす。


「本来の持ち場から、急に呼び出してすまないね」


 ジークフリートの前にあるテーブルの上には、この伯爵邸にあった特注カーテンが折りたたまれて置かれている。

 このカーテン生地は織り込みが複雑で、同じものは外部で簡単には再現できない。

 これから作るものはすぐに複製できては意味が無いのだ。


「あなた達にはこれから、このカーテンを使い、腕章を百枚作ってもらう」

「重用な任務だから頑張ってね」


 その指示に兵士たちは動き出し、カーテン生地を別の作業机へ持ち出すと広げ、腕章用に切り分けていく。

 伯爵が贅を尽くして作らせた一点物のカーテンは、今必要なモノへと姿を変える。


 ジークフリートは百枚の腕章を作り、その腕章をつけた者だけを、伯爵邸本館の出入りが出来るようにしようと考えたのだ。


 切り分け作業に参加していたアンネリーゼに、ジークフリートが声をかける。


「アンネリーゼ。あなたは軍とは離れた感性を待っているだろう。そんなあなたには別の仕事を頼みたい」


 そう言って歩き出すジークフリートの背を追うように、アンネリーゼがついていくと、先ほどまでカーテンが折り畳まれていたテーブルに着いた。そこには紙と鞣した革が置かれている。


「腕章は偽造が難しい仕様にしたい。だからあなたには、その腕章につける紋のデザインをしてもらいたい」


「……デザインですか?」


「軍人でもない、素人のあなただから、他では作れないようなものを描けるでしょう?」

「そして、デザインを元に革を切り抜いて、その上から腕章に顔料で色を付ける」


 ジークフリートはアンネリーゼの肩を軽く押し、強制的に紙と革が並べてある机の椅子に座らせると、そのまま「じゃぁ、よろしくね」とカーテン生地を切り出している班の方へ行ってしまった。


 一人残されたアンネリーゼは紙を前に真剣に悩む。


(何を描けばいいのだろう……)


 思い悩み、なかなか手が進まない。


(イメージするもの……)


 そう考えると、ジークフリート少佐はハイイロオオカミのようだと思い、アンネリーゼは紙に迷いながらもオオカミを描いていく。


 各場所で作業の手伝いをしていたハインリヒは、ひとり黙々と絵を描くアンネリーゼの傍に来ると、その描かれているデザインをみる。


「……これは、犬ですか?」

 

 ハインリヒが少し疑問形になってしまったのは、失礼でそういう聞き方になったわけではない。

 彼のイメージしている腕章の紋とはかけ離れていたのであろう。

 アンネリーゼの描いたオオカミは、鋭さのかけらもなく、帝国軍服が帯びる冷たさとは乖離した、純真無垢な可愛いらしい犬の絵だったのだ。


 突然の声かけに、アンネリーゼは驚き、肩が跳ねる。そして咄嗟に絵を隠すように腕を動かした。

 俯き、自身の絵心の無さに恥ずかしくなるも、小さく声を出し訂正する。


「オオカミです……」


「……」


 沈黙。気まずい空気が流れる。


 その二人のやり取りを聞きつつ、ジークフリートがデザインの確認をしに来る。

 アンネリーゼの描いたオオカミをしげしげと見つめ、普段通りの飄々とした態度でデザインを品評した。


「犬?ワン章にぴったりだね」


 一拍の静寂。

 アンネリーゼは意味が分かると、堪えきれず、ゆるく握った拳を口元に添え、クスクスと笑う。

 

「少佐も、他愛のない冗談を言うんですね」


 ハインリヒは咄嗟に顔を誰もいない壁に向けると、わずかに肩を震わせる。

 ジークフリートは何食わぬ顔で答える。


「あはは。あなた失礼だね。フォローしてあげたのになぁ、傷ついちゃった」


 そう言って悲しそうな素振りを見せつつ、肩をすくめて笑った。

 ふっとひと呼吸おくと、机の端に追いやられていた革を、無駄のない所作で手前に寄せる。


「そのデザインで大丈夫だから。次は、この革に切り込みを入れて抜型を作って」

「出来たら朱の顔料で上から塗りつけて紋にするから」


 簡潔に指示を与えると、柔和な笑みをたずさえて、他の作業を視にジークフリートは去っていく。


 こうして数刻後、集まった二十名の手により腕章は完成し、それをハインリヒが回収する。

 『ワン章』と評されたアンネリーゼのオオカミは、抜型でどうにか鋭さを取り戻し、黒い軍服にも違和感がない形に収まった。


(なんとか挽回できてよかった……)


 そう考えつつアンネリーゼは、凝り固まった肩に手を当てると、頭を横にもたげて首を鳴らした──


 夜、ジークフリートは事務仕事をいったん休憩し、執務室のバルコニーに出ると欄干に肘を置き、短い夏の夜風を感じていた。

 遠くでは、チリリ、チリリ、と夏虫が鳴いている。


 夏虫の声をしばらく聞いていたジークフリートは、ふと欄干から肘を離した。

 硝子の扉越しに、机上のランタンがちらりと見える。そこには影を伸ばした書類の山が待っている。

 軽く息を吐き、部屋へ戻っていく。


 バルコニーの扉を閉めると、先程まであった夏虫の声は遮断され、代わりにノックの音が室内に響いた。

「どうぞ」と返すと、ハインリヒが入室してきた。


 敬礼を挟んで執務机の前に来ると報告をする。


「調査していた隊長の娘の件で報告に参りました」


 その言葉の後に、まとめた資料を執務机へ提出する。ジークフリートは落ち着いた所作で紙束を手に取り、さらっと目を通していく。

 提出した書類の内容を補足するようにハインリヒは、言葉を並べていく。


「隊長の家宅から、娘の筆跡の残るものを押収しました。大学へ届けていた休学届もそちらにあります」


 ジークフリートは渡されていた紙束の中から、一枚の紙と小さいメモのような紙を机に並べた。

 そして、そこに書かれている文字を見比べる。


(筆圧、癖、ともに同一だな……)

(自ら休学届を出したということか……)


 ジークフリートは並べた二枚の紙をそのままに顎に手をやる。筆跡が一致していたのは予想外だった。

 筆跡が違っていれば、それは娘の意志で休学していないということになる。

 つまり、誰かの手によって、娘が利用されている線が濃い。

 そうであれば娘の身柄の安全を確保すれば、これまで頑なに口を閉ざしていた隊長も、証言しやすくなるだろうと考えていたのだ。


 だが筆跡は一致している。


 ますます謎が深まるばかりだ。


 しばし沈黙のあと、ハインリヒは残りの調査内容を報告していく。


「あと、検問所にて隊長の娘の名前で利用があったか確認しましたが、ありませんでした」


 ジークフリートはその言葉に腕組みをし、背もたれに身を預けると「ふーん」と返事をした後、考え始めた。


「検問所を利用していないとなると、手形の発行元からの照会は出来ないか……」


 だがそれは、娘がエルデンシュトラには帰省しておらず、グローテハーフェンに留まっている可能性が高くなる。

 検問所を通らず、エルデンシュトラ内に入るのは一般の娘ができることではない。


 万が一娘がエルデンシュトラへ帰省していると想定しても、それ自体が専門の知識を持った者の関与を疑わせる。


「まぁ、グローテハーフェン内に娘がいる可能性は高いだろうね」

「ただ、エルデンシュトラに帰省している場合も想定して、娘の特徴を持った人間の捜査は続けてもらおうかな」


 ふぅと大きくため息をこぼしたのち、静かな沈黙が流れ、疑念だけが深く沈んでいった。

 今現在はこれ以上の進展はなさそうで、二枚の紙をジークフリートは机の引き出しにしまった。

 

 次に、資料と一緒に渡されていた、中央からのジギスムント宰相の封書を手に取る。


 封筒を机に置き、左手で押さえると、すっとペーパーナイフで封を切る。

 中から羊皮紙を取り出し、視線が文字を追っていく。

 丁寧な文面の真意を読み解くと、ジークフリートは苦笑する。


(俺に死んでほしくてたまらないんだろうな)


 ふっと軽く息を漏らし、丁寧に折りたたむと封筒へしまった。


 封書の中身は、ヴァルディナ帝国の帝国政務評議会で決定された内容だった。


『グローテハーフェンの経済活動の停滞を解消すべく、特使として任命する』


 ジギスムント宰相からの公式な封書に、ハインリヒは悪い予感がしていた。

 その慮る気持ちは質問となって出てくる。


「少佐……書面にはなんと?」


 『読む?』という動作で、ジークフリートは封書を片手でヒラヒラさせると、それをハインリヒは受け取って、中身を確認していく。


 無表情のまま読み進めていく。文字を追うごとにその意図した謀りを察し、ハインリヒは憤りを覚えるが、無表情のままその感情を飲み込む。

 読み終えると、手紙を几帳面に折りたたみ、封書を執務机へそっと返した。

 ハインリヒは張り付いた喉から声を出すため一度つばを飲み込むと、静かに進言する。


「少佐……これは余りにも危険では」

「俺が代理で──」


 最後まで言い切る前にジークフリートが遮る。


「ハインリヒ。あなたは俺がいない間、ここを守るのが役目だ」

「特使を受ける旨、先方に手紙を用意するから。ちょっと待ってくれるかな?」


 そう言うと引き出しから羊皮紙を取り出し、サラサラと羽ペンで端整に文字を綴っていく。

 その無言の空間に落とされる筆記音に、ハインリヒは複雑な心境を抱え、どうにか止める方法はないだろうかと考えあぐねる。

 だが、考える時間より手紙を書き終える方が早かった。

 書き終えた羊皮紙は、インクが乾くまで少し横によけて、ジークフリートはふっと短い笑い声を出す。

 それは、ハインリヒの気持ちを見通して、安心させようとするものだ。


 長年しみついたこの癖は、初対面の相手には軽薄にも見えるだろう。だが、ハインリヒにはそれが苦しくてならなかった──

 

「三日後出発する。帯同する兵、記録用書記官、貿易都市だから他民族が混雑している。通訳としてアンネリーゼも連れていく。そのように準備よろしく」


 ジークフリートはハインリヒを信頼している。だからこそ留守を頼めるのは彼しかいない。

 そして、今回の特使でグローテハーフェンへ行くのは、完全なる敵地で収穫は薄いかもしれない。

 それでも、いまだ状況証拠のみしかない密輸の決定打を掴める可能性がある。

 硝石は帝国にとって軍事力に直結し、曖昧には出来ない。


 インクが乾くとそれを綺麗に折りたたみ、封をする。

 そして封蝋でジークフリートの紋を刻みつけるとハインリヒへ差し出す。

 

「つつがないように、よろしくね?」


 先方への静かなあてつけのように言葉に出すと、そのまま溜まっている仕事に手を付け始める。


 ハインリヒは手紙を受け取ると、やり切れなさに唇をかみしめた──

最後まで読んでくださりありがとうございます。

彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。

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