第四十二話 帝国政務評議会
緯度の高いこの地にも短い夏が訪れ、年中冷たいこの漆黒の城もこの時期ばかりは熱を飲み込み、熱く膨れ上がる。
陽は真上へと高く上り、遠くには入道雲が大きく青い空に奥行きを浮かばせる。
その綿菓子のような雲は、陽の熱に溶けて粘りを帯び、やがて空より滴り落ちては雨へと変わらんとする気配を孕んでいた。
この日ヴァルディナ城の政務院では、午後から皇帝陛下を名誉議長とし、各部署のトップが揃う帝国政務評議会が開かれていた。
真っ黒な円卓の中心は赤く縁どられ、ヴァルディナ帝国の黒鷲の紋章が刻み込まれている。
円卓には、議事進行として宰相ジギスムント、軍務代表として元帥アウグスト、内務卿・外務卿・財務卿など主要大臣数名。各地方を代表する公爵がその席についていた。
そして、円卓外には書記官数名が議事録として待機している。
室内の最奥、高く設えられた天蓋の下に皇帝マグナーが鎮座していた。
会議は滞りなく進み、エルデンシュトラ情勢に議題が差し掛かるとジギスムントは、傍に控える秘書のヨハンへと目配せし、予め用意していた進言書をテーブルに並べ始める。
「──陛下、近頃地方貴族の間で、エルデンシュトラ統治任務で対応しているジークフリート少佐の行動に、疑義を唱える声が上がっております」
先ほど並べた進言書は、これだけ多くの声が届いているという証拠の意図で並べたのであろう。
これも全て、ジギスムントがまめに手紙をやりとりした成果のひとつだ。
手間暇を惜しまず積み重ねてきたその実績を、まるで後ろ盾のように並べてみせる。それがジギスムントの誇示の仕方だった。
「このままでは、帝国の威信にも関わりかねぬと……」
「多くの声をなだめるには、ジークフリート少佐の対応を査問会議にかけ、帝国の態度を示す必要もあるかと存じます」
ここまで言うとジギスムントは、チラっとアウグスト元帥の顔を見やる。
アウグスト元帥は、その提案を表情を変えず聞いている。
(冷静でいられるのも今だけだぞ、アウグスト)
「私とて査問会議など開きたくはございませんが、これほど要望が多くては、無視も難しく……」
ジギスムントは両手を胸前に畳み、わずかに首を垂れた。その礼は畏まっているが、伏せた瞳の奥は腹案にギラついている。
アウグスト元帥は重厚な表情そのままに、机上に並べてある進言書をゆっくり見ると、その数を確認する。
(……タラモンとの対談が終わって、まだ幾日も経たぬというのに)
(謀ったな……ジギスムント。陛下の御名を盾に、私を試すか)
ゆっくりと息を整え、胸中に宿した怒気を押し殺す。その呼吸は重石を降ろすような静寂を帯びている。
そして、アウグスト元帥から低く、真実を問うように言葉が出される。
「その数に中身はあるのか。ジギスムント宰相殿」
「真摯な声であれば無視はできん。だが、その本意は如何ほどのものか」
「現場で流血を止め、人道回帰に奔走している者を”疑義”と呼ぶとは、不誠実ではないか」
ジークフリート少佐の後ろにはアウグスト元帥がいる。
謀りは嗅ぎ取られ、法の範囲内で、少佐の肩を持つことは想定していた。
もし、査問会議を開くことが出来れば好都合だったが、その道筋にはならないだろう。そんなことはジギスムント宰相の計算通り。
(やはり氷の男は手強い……だが、公を盾にすれば全ては止められまい)
「もちろん、少佐の功績を疑うわけではありません。ですが、地方ではタラモンへの”譲歩”が帝国の威信を損なうと……」
「そこで、私が進言したいのは」
「現在エルデンシュトラ近く、グローテハーフェンから粛清の余波により、経済が立ち行かなくなっているとの申告が出ています」
「要所であるグローテハーフェンの侯爵からも、特使の依頼が来るほど事態は重くなっている」
「ジークフリート少佐がこの問題を鎮められれば、その功績を理由に、地方貴族も納得出来ましょうと進言いたします」
このジギスムントの提案に、アウグストは不快を滲ませる。
まだ確定できる物的証拠が揃っていないゆえ、公として議題にあげることはできないが、硝石の密輸関連で現地の報告を精査すると、グローテハーフェンの統治者であるユリウス侯爵の関与が濃い。
いわばこれは敵地の最前線へジークフリートを、護衛も限られる特使として向かわせなければいけない。
危険にもほどがある。
(己の野心の為、亡き者にするつもりか……)
異議を唱えようと、アウグスト元帥はジギスムント宰相を見据え、言葉を発しようとしたその時──奥に鎮座していたマグナーが重い口を開いた。
「それが、帝国の先を見据えた、貴様の真意か……」
「……ふっ。ははは。証明したくて仕方がないようだな」
皇帝マグナーは笑っているが、その赤い目は鋭く細められる。
その視線がジギスムントをゆっくりとなぞり、皮膚の下の野心を見透かすように射抜く。
そして、口角をわずかに上げ、嘲るように息を吐いた。
「まぁ、よい。好きにしろ」
ジギスムントはこの皇帝陛下の言動を、自身を小物であると侮られたと感じていた。
どれだけ尽くしても報われない。だが、どんな仕打ちをされても、どのような態度をとられても、ジギスムントは抗えない。
皇帝マグナーが言葉を発すれば天の声で全てが覆り、自身の策も通らなくなる。
(アウグストと、あの少佐を失脚させられるならば……)
ジギスムントは堪え、屈辱で握った拳が震えるが、その拳を解き胸へと添えると、皇帝陛下へ膝をつき頭を垂れた。
「陛下の御裁可、謹んで拝命いたします」
アウグストは眉間に刻まれた深い皺はそのままに、その言葉を無表情に聞いていた。
自身の役目は、皇帝陛下から託されたジークフリートを守ること。
皇帝陛下の一声で、この危険すぎる特使の命令を却下することは可能だろう。
だが、大きすぎる力で守られ地位を固めても、人の心はついてこない。
そう陛下は然るべく判断されたのだと受け止めた。
アウグストはジギスムント宰相に視線を合わせる。
宰相は表面上、冷静な微笑を貼りつけているが、顎の骨は微かに強張り、頬の筋が震えている。
腹に抱える本音を隠そうと、奥歯を食いしばる様が見て取れる。
アウグストはその様子を冷たく見据え、穏やかではいられぬ心中を、ゆっくりとした瞬きで制する。
(私が証し方により、ジギスムントに報いを与えねばならぬ)
ヨハンが机上に並べていた進言書を手際よく回収している。その動きを見やり、アウグストは低く命じた。
「それは議事録室に保管せよ。正式な記録として残す」
ジギスムントの眉がわずかに動く。進言書は自らが回収し保管するつもりだった。だが、議会の最中、正式な記録としての保管を元帥の口から出されれば、それを拒むことは出来ない。
中身がどうであれ、この進言書は各地の貴族から集めた声。それには嘘偽りは無い。
正式な記録として保管されようとも、やましいことはない。だが、気に入らない。
(……偽造ではない。各地の貴族が自ら筆を取った正当な進言書だ。精査しても何も出ては来ん、アウグスト)
そう自分に言い聞かせるように、宰相は皮肉な笑みを浮かべた。
「元帥閣下は、これを不正とお疑いかな」
アウグストは答えず、ただ冷たく見据えた。
その視線の奥には、既にこの策謀の代償を払わせるための道筋が静かに描かれていた──
最後まで読んでくださりありがとうございます。
彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。




