第四十一話 認められない
ヴァルディナ帝国──その政の中枢に座するは、ジギスムント・フォン・グラーフェ宰相。
皇帝のすぐ傍ら、城の中心に政務室を構え、いまや帝国随一の権謀術数家としてその名を知られる。
三十年前、皇帝陛下が皇子だった時代──
冬の門作戦では本来帝国の意向として、背後の憂いを断つためにタラモン族の根絶を求められていた。
だが、作戦途中で戦地のマグナー殿下から『根絶を望まず。圧政による統治をもって代えよ。統治を担うに相応しき人物を帝都より選び、遣わせ』との親書が届き、意向をくんで帝都の中枢で走り回って尽力したのは。ジギスムント宰相だ。
当時まだ、政務次官だったジギスムントにとってはかなりの負担だった。
それでも『これをやり切れば、マグナー殿下もお認めになられる』との思いで必死に駆けずり回った。
人脈を駆使し、心無い圧政が得意な貴族をあたり、地方であるエルデンシュトラの統治を依頼して回ったのだ。
だが、どうだろう。
あれほど尽力したにもかかわらず、いつになってもマグナー陛下はジギスムントを信頼することはなかった。
最後はいつも、公爵のアウグスト元帥を頼る。
それがジギスムント宰相には我慢ならなかった。
「私の貢献があってこそだというのに……」
皇帝陛下には正式な後継がいない。
ジギスムント宰相には密かな野心があった。
現皇帝のマグナー陛下が崩御すれば必ずや混乱が訪れる。
その時、自分がうまく立ち回れば『この男こそ皇帝の玉座に相応しい』と誰もが認めるだろう。
そのための裏工作も、着々と進めてきた。
「私は評価されるだけのことをしてきた」
そう、独りごちると、口元の口角が自然とあがる。
その時ドアをノックする音が、政務室に響く。
入ってきたのはジギスムント宰相の秘書ヨハン・ツェルナーだ。どこか他人事のような無関心さを漂わせるが、職務は過不足なくこなす男だ。
「グローテハーフェンのユリウス侯爵より、親書が届いています」
無機質な口調でそう言うと、ヨハンは宰相の机に親書を静かに置く。
用件を終えたとばかりに、興味なさげに窓の外を眺め始めた。
ジギスムント宰相は、羽ペンを長年握りつづけてできたタコの残る筋張った手で、机上の親書を攫うように受け取る。
鎖の先にぶら下がった単眼鏡を拾い上げ、目元にあてがった。
その苦労が沁み込んだ指先で、硝子の縁を軽く押さえると文面を追う。
次第に険しかった顔色から、ゆっくりと喜色が滲みはじめ、口元に薄く弧を描いた。
(アウグスト……お前が抱えた罪は重いぞ)
宰相が親書を読んでいる間、下がれともなんとも言われないので、ヨハンはぼんやりと待機したままだ。
彼は口の中で小さく欠伸を噛み殺し、つまらなそうに宰相の背後の窓へと目をやる。
大きなゴシック調の窓の頂部には、石の細工で描かれたクローバー模様があり、そこから下は大きな十字が窓を分割している。
ランタンとシャンデリアから漏れ出す光が、室外のバルコニーへ十字の影を落としている。
ヨハンは先ほどの欠伸で出た、目じりの涙をこすりながら、クローバーから覗く月をみる。
(あっ綺麗な三日月……いい詩が浮かびそうだ……)
そう考えると虚ろに窓の外の月を眺め続け、時折薄く笑みを浮かべる。
ジギスムント宰相がふと顔を上げると、ヨハンが窓の外を見ながら、どこかニヤついたような、ぼんやりした表情を浮かべていた。
その様子に、ジギスムント宰相は得体の知れぬ不気味さを覚える。
(……本当にやる気があるのか、こいつは)
大きなため息が自然に出てしまう。
ヨハンはジギスムント宰相の妻の甥で、彼の事をぞんざいに扱えない。
だが、どんなに自分が必死でも、何ひとつ分かろうとしないその鈍感さが、宰相をさらに苛立たせる。
宰相から出された不必要に大きな咳払いが、室内に短く響く。
ヨハンは窓へやってた視線を宰相に戻し、彼の苛立つ態度にため息を短くこぼす。
(毎日毎日苛ついて、かわいそ)
「ジギスムント宰相。まだ用事、ありますか?」
そんなヨハンを見る事もなく宰相は「もういい」とだけ答えた。
せわしなく引き出しをあけ、親書用の羊皮紙を机に広げる。
羽ペンの先を布で軽く拭い、指先で角度を確かめるとインク壺へと差し込み、すぐさま書き始めた。
ヨハンは踵を返し、優雅にドアへと向かう。
(待ってて損しちゃった。もっと早く聞けばよかったな)
(でも、月が綺麗だったから、まぁいいか)
ドアの前で一礼し、よくできた詩を思い出し、にやける顔を隠そうともせず部屋を出て行った。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。




