第三十七話 北の倉庫
伯爵邸は乳白色のバロック建築様式で、壮麗な建物が人工林に囲まれるように建っている。
その輝きは、貧困にあえぐこの地域一帯を、遠ざけるかのように静かに孤立していた。
その伯爵邸敷地内の北側、人工林を超えた奥、知らなければ人が出入りするはずもない場所に、古びた離れの倉庫がある。
その倉庫の扉前にはジークフリートとブロイアー大佐、そしてそれぞれの部下が待機していた。
門の開錠を試みるのは、本来、数日前に行う予定だった。
しかし、ブロイアー大佐の隊は、ここ数日要人の変死体が複数見つかり、その対応に追われていたのだ。
扉の前に立つブロイアー大佐は、腕組みはそのままに隣のジークフリートの顔を見やると、日程の変更をした謝罪を短く済ました。
「こちらの都合で日にちをずらさせて、すまなかったな」
ブロイアー大佐はふぅと深くため息を吐くと、ジークフリートへ身体をよせ耳打ちする。
「最近この伯爵邸から逃げ出し、行方をくらましていた管理職の使用人が、遺体となって立て続けに見つかっている」
「おまえ、危ないものに手を出しているのか?」
その言葉にジークフリートは、大佐の方に視線を少し動かした。
そしてそのまま口角を上げると、飄々と答える。
「最初から安全ではないでしょ。あはは」
それもそうだなと、ブロイアー大佐は肩をすくめると、胸ポケットから銀の鍵を取り出す。
そのまま頑丈に閉ざされた倉庫の扉へ近づくと、鍵穴へと差し込む。
ここにいる誰もが、ブロイアー大佐の動作に視線を合わせ、不明だった銀の鍵が、固く閉ざされた扉の入り口を開かせるのかと固唾を飲んで見守る。
重い金属の仕掛けが回るカチリという音が、誰も口を開かない空間に落とされた。
それまで止められていた空気が流れるように、安堵のため息がそこかしらから湧き出る。
ブロイアー大佐は鍵を胸ポケットにしまうと、一歩足を踏み出し扉を開こうとするが、数年来出入りが無かったからか、扉はその地にこびりついたように動かない。
「鍵はあいたはずなんだがな」そう言いながら、ブロイアー大佐はぐっと力をこめる。
腰に手を当て、後ろで静観していたジークフリートも、大佐の隣に並び取っ手を引く。それに倣い数名の兵士が協力したのち、やっと扉が開いた。
「こんなに頑丈に閉ざされていて、たいしたもんが入ってなかったら笑いものだな。ハハハ!」
豪快に笑うブロイアー大佐を、ジークフリートは肩をすくめ、小さく笑みを浮かべて見る。そしてそのまま、ブロイアー大佐の横をすり抜けるように倉庫の中へと足をすすめた。
中は人の出入りがされていないのか埃っぽさが残り、空気は淀んで冷えている。
石床には白い土埃が薄く積もり、靴音が鈍く響いた。
倉庫の天井付近に小さな窓が数か所あるだけで、ここは昼にもかかわらず薄暗い。
膨大な書物や資料が棚に収められているさまをみると、これは屋敷内に収まりきらない資料を保管しているものだと思われる。
資料の背表紙の年代を見ると、十年より前の資料がほとんどのようだ。
ブロイアー大佐はゴホッと咳払いをひとつし、埃を払うように顔の前で手を振った。
「こりゃまた随分と放置されていたんだろうな」
咳払いと突如侵入してきた人間の気配に、倉庫内にいたネズミが驚いたようで、物陰からヂッという威嚇音を出す。
無数にある無骨な木棚には、厚紙で挟み、革ひもで綴じられた資料がぎっしりと詰められている。いくつかの紙束は、古びて割れた封蝋の跡がこびりついていた。
ジークフリートは本棚の前に行くと、古いものから順番にその資料を手に取る。
革ひもの軋む音とともに、白い砂のような埃がふわっと舞い上がった。
厚紙に付いた埃をひと撫でし、軽く払い落とすと、流れるような手つきで内容を確認し始めた。
古びた台帳の紙端をめくると、黒く固まったインクの跡が連なっていた。
台帳のページをめくるたび、埃とカビの臭いがふわっと空気に流れる。
資料の精査を初めて半刻後、人工硝石工場を三十年前に建てた時の見積もり関係の書類が見つかった。
建築工事の明細、資材の発注、運搬の受領印。全ては整然と並んでいる。
だが工場が稼働後の硝石の『受け取り先』欄は、回りくどくぼかされている。
しかし、いくらぼかされていても、その他の項目を精査していくと事実はその輪郭を表すものだ。
タラモンの人民を利用した人工硝石の労働所は、圧政統治を任命され、この地へやってきた伯爵貴族が統治し始めすぐに着工され建てられている。
人工硝石で働く者の宿舎も同時に近くに建築しており、それは一区画を作るような規模の工事。
その費用の項目を見ると、半分以上を補助金で賄っていることがわかった。
(補助金……建設費用の半分以上をどこから受け取った?)
タラモンの民達にこの金額を出す財力が無いのは明白だ。
表向きは『枢密な補助金』になっているが、振込元は複数の商行名義で、最終的には港湾の経営者へと回されている。明らかに迂回の形を取っていた。
読み終わった資料は分かるように、その背表紙をわずかに手前へ出して戻す。そして次の資料へと手を伸ばす。
次々と資料を読み解く中、ひとつの厚革で綴じられた羊皮紙の束を手に取る。
革装の表紙を開くと、三つの細い百合が縦に並んだ紋が見えた。
ジークフリートはそれが目に入ると、短く息を吸い、無表情に固まった。
革装の羊皮紙束が手から滑り落ち、表面が床に叩きつけられる乾いたバチンという音が、静かな倉庫に響く──
音に反応したブロイアー大佐は、ジークフリートの方を見やるが、目線の先の当人は落とした資料を無表情で拾い、軽く手で砂の付いた表紙をはらっていた。
(手が滑っただけか?珍しいな)
大佐はその珍しい様子が気になりジークフリートへ声をかける。
「なにか見つかったのか?」
ふっとひと呼吸すい込むとジークフリートが返答する。
「いや?」
平常に戻り書類を捲るジークフリートの表情を大佐はしばらく観察する。そしてジークフリートの手にある厚革で装丁された紙束を見る。
そこにある『三つの細い百合が縦に並んだ紋』を目にし、世間話のひとつとして、親睦を深める意図と昔の思い出話をつい言ってしまう。という年配者の心理もあったのかもしれない。大佐は思い出すように話しはじめる。
「白銀の三姉妹。そう呼ばれた三姉妹がいた、テレーゼ伯爵家の紋か」
「グローテハーフェン北部を治めた名家だが、冬の門作戦で当主は戦死。残された三姉妹は帝国軍に捕らえられ、この屋敷に幽閉されたと聞いている」
ジークフリートはブロイアー大佐の言葉は、勝手に喋っている独り言あつかいのように、「ふーん」と生返事を返し、手元のテレーゼ家にまつわる紙束を捲っている。
ブロイアー大佐はそんなジークフリートの興味の無さそうな様子に、その場を和ますように茶化しながら笑い、話しはじめる。
「その興味のなさが余計に、なにかあると感じてしまうのだが、気のせいか?」
「白銀の三姉妹は、誰もが欲しがり、誰もが妬み、誰もが利用したがるほど美しい」
「他人に興味のなさそうなお前でも、それほどまでの美女には興味があるんだな。それを興味の無いふりしてお前。ハハハ!」
大佐のその言葉に、何をほうけたことを言い出すのかと、ジークフリートは冷めた目つきで答える。
「その三姉妹のひとり。クラウディア・フォン・テレーゼは俺の母親なんだよ」
大佐の笑いが、途中で凍りついた。
風も音も消えたように、倉庫の空気が一瞬で張り詰める。
「これは冗談でもすまない事をしたな」
「いや?誰が誰の子供とか全て知りえないでしょ」
ジークフリートはそう答えると、ふっと笑いそのまま紙束をめくる。
その淡々とした動作の中、銀灰の瞳は自分の運命を諦めるかのように淀んで曇る。
倉庫内に沈殿し、たまった時間は動き出した。
固く閉ざされた扉は開かれ陽の下にさらされる。過去の行いは今に繋がり、その痕跡はいくら埃を被ろうとも、消そうとしても消えず、いずれ真実を明らかにする──
最後まで読んでくださりありがとうございます。
彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。




