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黒の矜持  作者: 川端マレ
第二部 エルデンシュトラ編
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第三十六話 記憶宮殿

 ナーヴァル議会での対談が開かれた翌日の午前中。

 ジークフリートの執務室にはアンネリーゼとリオラ曹長が呼び出されていた。

 二人には会議などの資料整理を任せるためだ。


 ナーヴァル議会では、アンネリーゼが体調不良で欠席した。

 タラモン語しか話せない年長者の発言は『音』としてしか記録されず、文書にしても意味が通らないものになってしまっている。


 本来この日は、ブロイアー大佐と合同で北の倉庫の開錠を行う予定だったが、先方の都合で延期となり、偶然にも時間が空いた。

 そもそも、次のタラモンとの会談までに仕上げる書類や、中央への報告に大忙しだった。

 忙しさの合間にできたこの余白は、渡りに船だったのかもしれない。


 先ほどのアンネリーゼの謝罪からのやり取りで生まれた空気を、いったん業務的に戻すため、ジークフリートは淡々と話し始める。


「あなた達に、依頼したい仕事がある」

「タラモンとの会談で、速記が音で聞いたままを文字にして記録したものがある」

「それだと正式な文書として使えない。あなたはその音を言語として起こしてくれないかな?」

「でも、その文書は公式の書類だから、この部屋から持ち出せない。だからこの部屋で公用語へ書き起こしをしてほしい」


 執務机にあった書類の山をひとつ抱えると、ジークフリートは応接用のテーブルセットの上にドサッと置いた。

 想像以上の量にアンネリーゼとリオラ曹長は目を開く。


「期限は二日。これを基に締結書をつくるから、そのつもりで」

「あと、それ、他の資料もあるんだけど、文字おこし以外の書類整理は、リオラ曹長が頑張ってね」


 事務仕事が苦手なリオラ曹長は、苦笑いを浮かべる。

 それに釘を刺すようにジークフリートは含んだ笑みをこぼしながら言う。


「階級が上がれば事務仕事が増えるからね?今から学べてよかったね」


 そう言うと自分の執務机へと戻っていった。


 それからしばらくのあいだ、執務室には紙の擦れる音と、羽ペンの音だけが響いていた。

 アンネリーゼとリオラ曹長が作業を進めるあいだも、ジークフリートのもとには次々と人が訪れる。

 重要な話の時には、少佐は続きの奥の部屋へ移り、短く用件を済ませてはまた戻ってきた。


 順調に書き起こしを進めていると、隣で事務仕事が苦手なリオラ曹長は頭を悩ませていた。

 アンネリーゼは気が付き、公式文書の書き方などを丁寧に教える。

 軍務資料局に務めているアンネリーゼにとって、色々な書類を作成したり整理するのは専門。

 今まで支えてもらってばかりだった恩返しができたようで、アンネリーゼは嬉しかった。


 リオラ曹長もまた、分からない事をジークフリートに聞くのは気がすすまない。聞けば分かりやすく教えてくれるだろう。

 だが、それだけでは済まされず、何か別の事を振られる気がしてならないのだ。

 それゆえアンネリーゼが教えてくれるのはとてもありがたい。

 

 そして翌日も、アンネリーゼとリオラ曹長はジークフリートの執務室を訪れていた。

 ふたりは応接用のテーブルセットに、昨日の続きの書類を並べ、作業を始めた。


 この日も昨日と同じく誰もほとんど口を開かず、ただ黙々と作業を進め、紙が擦れる音と、羽ペンのカリカリという一定のリズムが、静かな室内に響いていた。


 午前中には『音』で書かれたタラモン語の公用語へ書き起こす作業も終わり、アンネリーゼはリオラ曹長が任されていた書類を手伝っていた。


 アンネリーゼが手伝い始めた書類は、墓場で書き留めた文書だ。

 現場で書いた文字は、所々汚れていたり、インクが滲み見えにくい。

 アンネリーゼはどうしても読めない箇所があり、紙を目の前まで上げて、どうにか解読できないかと試行錯誤をし始める。

 それでも、分からず、空白にするかどうするか判断に迷い、執務机にいるジークフリートへ声をかけた。


「少佐、よろしいでしょうか?」


 その問いに、ジークフリートは書き物をしていた手を止め、顔をあげる。

 表情から、続けて話をしても問題なさそうだと判断し、アンネリーゼは困りごとを伝える。

 

「インクが見えにくくなっている箇所がありまして……」


 ジークフリートは席を立ち、どれ?と紙を受け取ると、顎に手を当て紙をみる。


「前後の文章から……ここは名前が入るだろうね。没年月日が聖歴968年3月2日……」


 紙を見つめていた焦点が、やがてその向こう側へと遠のいてゆく。そして脳内にある記憶の階層にある小部屋へ入る。

 無数にある小部屋の中の墓石のモチーフへとたどり着くと、部屋の中にある様々な記憶の中から該当のものを探し出す。


「ここに入る名前はミツ・クローヴァだね」


 アンネリーゼは驚きを超えてしまい、表情がそのまま固まって思考も停止してしまう。

(名前をどうして……)


 ジークフリートはその様子が面白いのか、くすくすと笑いだす。

「偶然だよ。語呂が良かったから覚えていただけ」


 その言葉にアンネリーゼの止まっていた時間は動き出すが、それでも信じられないと眉根を寄せ、思案気な表情を浮かべている。


(ミツ・クローヴァを、32・968の語呂合わせで覚えていたという事……?)

(本当に偶然なのだろうか?)

 

 語呂が良かっただけの偶然にしても、それをこの場面で最適解を導き出すのは、記憶していたからに他ならない。

 いつもなんでも本当のようでいて、軽く流されるから嘘にも思えてしまう。

 でも、もしこれが本当に記憶していたのであれば、過去の出来事も忘れられず全部記憶として残っているはずだ。


(忘れられないのもきっと辛いんだろうな……)


 そんなことをひとり悶々と考えているアンネリーゼに、ジークフリートは顔を覗き込むようにきいてくる。


「ねぇ、今何を考えていたの?」

「あなたが困っていたの、俺助けてあげたから答えてくれるよね?」


 唐突な問いに、アンネリーゼは言葉を失ったまま、ちらりとリオラ曹長の方を見る。

 助け舟を求めるように視線を送ると、リオラは一瞬だけ目を伏せ、ごめん、無理。逃げて。という無言の合図を返してきた。


(そんなっ……!)


 アンネリーゼは心の中で悲鳴をあげるが、もちろんジークフリートの前で口に出せるはずもない。

 そしてジークフリートがそんな二人のやり取りを見逃すわけもなく、だが言葉に出すこともなく、ただ悪魔的な笑みを浮かべて、小さく鼻を鳴らすように笑った。


 ただの業務の質問だったのに理不尽だと思う。


「これが仕上がらなかったら、困るのはみんなです。教えてくださりありがとうございます」


 アンネリーゼはそう言うと、残りの作業に取り掛かろうとする。

 なんとなく、ジークフリートの心の中を考えていたというのを、本人に言うのは言いにくく感じてしまうのだ。


 ジークフリートはそんなアンネリーゼの態度から、勝手な同情を向けられたのだと察した。

 脆さを積み上げて作った壁を壊されては困るのだ。俺の中を見るのも知るのも容認できない。と詰めてくる。


「へぇ、言いにくい事でも考えていたのかな?」


 そう言うと、アンネリーゼの座るソファの隣に腰をおろす。


 急に近づいた距離に動揺してしまい、アンネリーゼはソファの端にずれる。


「俺はさ、あなたがどんな事を考えるのか、興味があるんだよ」

「普通の人間は、どういう思考回路をして、考えを持つのか知りたいんだ」


 そう言うとニコニコと笑顔を向けてくる。


(なんだろう……笑顔なのに圧がすごい)


「俺の考えていることは言った。次はあなたの番だ」


 突然始まった、答えを聞いたら自分も答えるという理不尽なゲームに困惑する。


(どういうルールでこれが始まったんだろう……)


 物理的な距離を縮め、更に言葉でも揺さぶるのはジークフリートの手段のひとつなのだろう。


「勝手にルールを決めてしまうのはズルいと思います……」


 そんな言葉尻がすぼんでしまうようなアンネリーゼの小さな訴えを、ジークフリートは軽やかに笑ってかわす。


「ズルは俺の専門分野だって知らなかった?」


 そう言うと、すっと目を細め、視線は奥底を見透かすように鋭くなる。


「誤魔化す必要がある理由。業務外の事を考えていたはずだ。そうでしょ?」


 その核心をつく問いかけにアンネリーゼは無意識に肩が強張る。そして絶対逃げられないと感じ、白旗をあげ話しだす。


「こんなに記憶力が良かったら、嫌な事も忘れられず辛いのだろうな……と考えていました」


 アンネリーゼはジークフリートの方を見ることができず、そのままテーブルに置かれている書類を意味もなく見つめる。


 ジークフリートは二人から視線を外し、ひざ上で組まれた指先を見つめる。誰にも見られないその表情は、取り繕うことなく眉尻が下がっている。それでも声色だけは普段通りに話す。


「全部覚えているわけないでしょ、偶然だって言ったのに。あはは」

「本当にあなたは騙されやすい」


 ふっと短く笑うと、ソファから立ち上がり執務机へ戻った。

 その背中に、何かを置き去りにしたような静けさが残っていた。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。


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