第三十四話 それぞれの代償
騎乗で隊列を組み、黒い一団は帰路につく。
列の先頭をゆくジークフリートの斜め後ろ、ハインリヒがいつもと違うやや緊張を帯びた表情で、馬を静かに寄せてきた。
「少佐……差し出がましいのですが……」
ハインリヒがこんな風に話しかけて来るのは初めてだ。
そんな異例な問いかけに、ジークフリートは一瞬怪訝な表情を浮かべ、横目でちらりとその顔を見る。
「なぁに?」
ハインリヒの普段と違う態度とは対照的に、ジークフリートはいつも通りの緊張を解すような、軽い声色で返した。
そんな少佐の態度に、ハインリヒは口ごもり、乾いた土を蹴る馬の蹄の音が間を埋める。
随伴を大きくし、馬の動きに体を合わせながら足並みを速めると、ジークフリートに並び、遠慮がちに進言する。
「今回のナーヴァル議会……余りにも相手に寄り添いすぎていると自分は思います」
「会談自体、よしと思っていない官僚の声も聞こえています」
「中央の会議で異議を出されたら、少佐の立場が……」
ハインリヒは嫌な予感がしている。
少佐の決定を信頼はしている。これまで特務大隊の任務として、各地で多くの功績をあげているのも重々承知だ。
だが、今回のタラモンの件は、粛清された伯爵の悪行の末の事案だが、過去の皇帝陛下の決定も絡む難しい地域問題。
それゆえ対応できる人間が限られている上に、理不尽な処罰が下る可能性もあり、誰もやりたがらない任務だ。
さらに硝石の密輸も見つかり、リスクが当初よりも高くなっている。
調査を進めるうち、属国統治下の不凍港──グローテハーフェンの名が浮上した。
海上交易が盛んなその地域は、帝国も無視できぬほどの要衝である。その地が硝石の密輸の受け入れ先として疑われている。
グローテハーフェンを統治するブランケンハイム侯爵は、老獪な人物だとの噂。
もし彼が関わっていた場合、どこで何を言われ、謀られるか分からない。
タラモンの人道回復は、事が収まり安定してからでも遅くは無いのでは?とハインリヒは思うのだ。
リスクを誰よりも理解しているはずなのに、少佐の対応はハインリヒから見ると、まるでジークフリート自らの命を、使い捨てにしているように感じて仕方がなかった。
(少佐がそこまでする必要があるのか……?)
ハインリヒの珍しい反対意見に、ジークフリートは少し驚いたように目を見開くが、すぐに目を細め、ふっと笑みをこぼして告げる。
「らしくないね?ハインリヒ」
穏やかに、からかうように出される言葉の内心は冷たい。
(分かってる……それでも、代償は足りないんだよ)
背筋の伸びた姿勢はそのままに、口元は薄く笑っているが、瞳は空虚に道の先を見ている。
その焦点はどこに定まるかも分からず、ただ真っすぐと向けられていた。
そんな少佐のはぐらかした返答では、納得いかないようで、ハインリヒは眉根を寄せて食い下がる。
「万が一のことがあったら、御父上であるアウグスト元帥もご憂慮されます」
ハインリヒの問い詰めに、ジークフリートは眉尻を下げ困った様子を浮かべるが、それをかわすように肩をすくめて笑う。
「どんな形であれ、帝国とタラモンの公式な会談の取り決めが行われたら、それは双方にとって簡単に無下にはできない」
「伯爵が粛清され空白地帯になったこの地へ、過去の悪政を残したまま新しい統治者を迎えれば、また腐るだけだ」
「変化にリスクは付き物だよ」
内容は現実を突きつけ冷たい。だが、声色はいつもの柔和を抱えている。
重たくのしかかってくる代償を、遠くからただ眺め、迫りくるそれを受け入れているかのようだ。
(変える権力があるなら使わないでどうする)
そう考えるジークフリートの銀灰の瞳は冷たく、行く先の奥に据えられる。木が密度を増し、道はどんどんと狭くなってゆく。
隊列を一列にするため、脚で馬の腹を軽く蹴るとスピードを上げた。
砂時計が細い出口へと吸い込まれるように、隊列は次々と深い森へと入っていく。
ハインリヒは少しづつ離れていく背中を見つめ、いつもの無表情を貼り付けるも、見えない奥歯は固くかみしめられていた──
西の稜線に太陽が姿を隠そうとする中、遠くは茜色に暖かく染まっているが、真上の雲は灰色にくすみ、頭上に広がっている。
軍事転用された旧伯爵家に到着すると、馬を厩舎へ入れ、それぞれの持ち場へと散っていく。
ジークフリートも会談した書類を纏めるために、足早に執務室へむかった。
中央への報告書をまとめ、しばらくたつとノック音が室内に響く。
顔をあらわしたのはハインリヒだ。先ほどのやり取りは彼の中で飲み込めていないものの、職務へと切り替えているようだ。
「密偵からの報告です」
「人工硝石の輸送方法について、監督官から中継の輸送人員に渡されているのを確認しています」
「複数の中継を挟み、ヤギを使ってグローテハーフェンへ裏経路で輸送しているとのことです」
ジークフリートは顎に手を添える。
(なるほど、だから検問所の閉鎖をしたにもかかわらず引っかからなかったのか)
ハインリヒに向けられていた真っすぐな視線は、思考へ流れてゆくにしたがって、空を捕らえるように焦点はひとつに絞られた。そして思考の中で整理されたものを、表へと引き出していく。
「わかった。もう監督官を泳がせる必要はない。拘束の指示を出しておいて」
ハインリヒは少佐に固定していた視線を手元に移し、羊皮紙を一枚ぺりっとめくる。
そして、次の報告へと移っていく。
「駐屯兵隊長の身辺調査の件です。一人娘がグローテハーフェンの音楽大学に在籍しています。学生寮にいましたが、ここ一か月ほど休学届を出して、故郷エルデンシュトラへ帰省中とのことです」
最悪の事態を想定し、ジークフリートは不快を滲ませながらも、思考は冷静で、娘を利用して隊長をゆすっているならば合理的ではあると考える。
(娘の為に拷問を受けてなお、黙秘を続けているのか?)
娘が今どこにいるのかは分からない。私用で休学しているのかもしれない。
それでも、状況とタイミングが合いすぎている。
(検問所の通行を止めた時期と被るな……)
ふっとひと呼吸こぼすと、与えられる情報から読み取れる状況を整理していく。そこに人の考えや行動を組み合わせる。ひとつずつ情報のピースが揃えば絵が見える。
「駐屯隊長の家を捜索する許可を出す。軍法のもとでの令状扱いの申請はこちらで通しておく。娘の筆跡が残っているものを押収してきて」
「あと大学に、娘が出した休学届を軍へ提出する様に通達を出して」
「検問所に、彼女がどの通行手形を利用してエルデンシュトラに帰省したか確認するように」
そこまで言い終えると、ジークフリートは姿勢を前にし、両手を組んで机に肘をついた。
エルデンシュトラの伯爵が粛清されたとき、通行止めの手配はすぐに行っている。
通行手形が無ければ通常の道を利用することは不可能だ。娘がエルデンシュトラへ帰省したとするならば、ある程度効力の強い通行手形が無ければ通れない。それは一般の学生が入手できるものではない。
(グローテハーフェンの権力者の誰かが、関係しているのはあきらかだ)
(だが、人物の特定をしなければ逃げられる)
(駐屯兵隊長が口を割った内容次第では、特定がすすむんだけどな……)
思考の内に入っていたジークフリートが、ハインリヒへ視線を合わせる。
そして、普段通りの柔らかい声色で終話する。
「じゃあ、そのようによろしく」
ジークフリートはそのまま、端に寄せていたナーヴァル議会の書類を纏め始める。
紙の擦れる音だけが、室内に小さく響いた。
ハインリヒはその動作を一瞥すると、敬礼を添えて踵を返し、出て行った。
陽がすっかり沈んだ濃い闇は、灰を撒いたように雲が広がっている。
雲間から見える黄金色の満月は、こちらを覗き込む瞳のように浮かび、窓枠から確かにこちらを見ていた──
最後まで読んでくださりありがとうございます。
彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。




