第三十二話 平等・不平等
エルデンシュトラの東区、この日ナーヴァル議会が開かれる。
いつもは各地の長を集めて行われるこの議会に、今日は帝国の人間が参加する。
ナーヴァル議会の部屋には、銀の香炉が中心に据えられている。
白い煙が細く揺れる様子は、これからの行く末を暗示してかのようだ。
帝国の黒い一団が議場に入ると、白い煙はその背を追う様に黒に纏わりつき、細く線を引く。
ふっと空気の動きが止まれば、ゆらゆらと煙を上へと登らせ、室内を香で満たしていく。
帝国側からは、ジークフリート少佐を筆頭にハインリヒ大尉と速記の書記官、護衛の兵士五名が参加していた。
一同が揃い、それぞれの紹介を挟んだ後、タラモン側に座る長老たちの表情が変わった。
『通訳を用意した』と帝国が言っていたにもかかわらず、当の通訳が連れてこられていないのだ。
その事実に、タラモンの長たちの顔に『騙された』『侮られた』という影が落ちていた。
タラモン側には通訳としてダランもいた。公用語を話せる彼が、長老たちの意見をまとめて切り出す。
「帝国側が通訳を用意し、議会に参加したいと言ったから我々は受けた。けれども、その通訳がいないなら会談は中止したい」
ジークフリートはその言葉に、眉間に皺を寄せる。
(……それがどういう意味かわかっているのかな)
(そっちがそうなら、こっちは青年の正義感を利用するだけだ)
そう考えると、ジークフリートは深くため息をつき答えた。
「通訳は連れてきていた」
そのまま、ダランの顔をじっと見据えた。
議場の静寂に、その視線だけが強く残る。
「あなたが墓場で会った女性。彼女が通訳。でも、"来られない事情"が出来た」
ジークフリートは、相手に演技と悟らせないように、一瞬だけ眉尻を下げ視線を相手から外した。そして、ふっと短く息を零す。
後ろめたさを演出するように、いつもの冷たい微笑へと切り替えた。
ダランはジークフリートの表情の変化をみつつ、墓場での出来事を思い出していた。
それは記憶の中に鮮明に残っている。
帝国軍が墓を掘り起こした時、ダランは見ていられなくて飛び出した。
その時、若い女性が必死に『お墓を掘っています。ごめんなさい。本当にごめんなさい』とダランに謝ってきた。
その後、この少佐に叱責されていた──
(まさか……罰せられたのか……)
(俺のせいで……)
ゴクリと唾を飲み込むと、ダランの表情には言葉にならない葛藤が滲んでいる。
墓場で庇い立てしてきた女性が、通訳である確証は無い。
だが、嘘をつくメリットは帝国側にあるだろうか?と考える。
(こいつは常に失礼だけど、あの時も嘘は言っていなかった……)
墓場でダランはジークフリートと分かり合うことは出来なかったが、この男がどういう考えで動く人間かは、自分の目で見た。
(俺は関係ない。女が勝手に庇ってきただけだ……)
そう思うも、アンネリーゼの必死な声と姿が、ダランの脳裏から離れない──
ダランは深くため息をつくと、ジークフリートに厳しい視線を向けた。
そのあと神妙な面持ちで、長老たちの方へ身体を向け、タラモン語で話し始める。
「じっちゃんがた……聞いてくれ。帝国が通訳を用意していたのは本当だと思う」
「その通訳は……俺のせいで来られなくなった」
「この前報告した墓場の件で、守ってくれた女性がきっと通訳だと思う……」
長老たちは顔を見合わせて事情を飲み込んだようだ。
ダランはひとりひとりを見て願い出る。
「議会はこのまま続けさせてほしい……」
タラモンの一同が話をしている後ろでは、ジークフリートが涼しい顔をしてその様子を見ていた。
(話がまとまりそうだな。強硬な手段は避けられそうだ)
ダランの様子を見ていたブレンナは、深くため息を吐くと話し始める。
「己が未熟からの行動で、他者に与えた影響と等しく、己が責任を果たす覚悟はあるか?」
ダランは唇を引き結ぶと姿勢を正した。
通訳の彼女がどんな罰を受けたのかは分からない。だが、タラモンの長の孫として、ダランにも矜恃がある。
「……ばあちゃん、俺は自分の責任を果たすよ」
その言葉を聞いて、ブレンナは頷くと議会の継続は承認された。
ダランは帝国側へ向き直り、険しい表情のまま告げる。
「通訳の件は了解した。このまま会談を続けたいと思う。よろしいか?」
ジークフリートは「もちろん」と言うと柔和な笑みを崩さない。その笑みが本心かどうかは、誰にも測れない。
そしてそのまま、淡々と話し始める。
「ここに来るまで、道が悪くて大変だったよ」
「交易でも使う主要道路とは思えない状態だ」
ダランはその言葉に不快感をにじませる。
(なんだこいつ……まず文句から言うのか)
(お前らがそうさせているだろうに)
そのまま自身の感情を乗せないように、ダランは長老たちへ通訳をして伝えている。
通訳された言葉に長老たちは、不満を漏らす者、呆れる者、なだめる者と各々違う様子をみせる。
その様子をジークフリートはジッと視線で追い、各人の表情の変化、発せられる語彙の強さなどを測っていく。
通訳が終わったタイミングで、核心に迫る議題を提示していく。
「では、本題に入ろうか」
「南地区で行われている人工硝石の有様を、あなた達は知っているはずだ」
ジークフリートの言葉を逐一ダランは長老たちに通訳していく。
真実を突き付ける問いに、長老たちの表情が変わった。
その顔に浮かんだのは諦念とわずかな苛立ち。
『知っている』だが『どうすることもできなかった』そう言わんばかりの沈黙が場に重く落ちた。
誰も目を合わせようとせず、やがて視線を逸らすように手元へと落とす。
その長老たちの様子をジークフリートは静かに観察している。
(まぁ、そうなるだろうね)
だが、今、状況は変わっている。
タラモン達が一方的に支配される者ではなくなった時、どう判断するのか──ジークフリートはそれを見極めたいのだ。
「今までは、圧政を強いる貴族に逆らえなくて言いなりだった。それが居なくなった今、どう考えているの?」
さらに、続けて甘い現実は無いと突き放していく。
「帝国としては硝石は貴重な資源だ。供出される資源は多いに越したことはない」
「人工硝石でも産出できることを知った今、鉱山と合わせて供出してもらう方向で調整している」
ここで区切ると、ダランはますます不快感に満ちた表情で、ジークフリートをみた後、長老たちへ通訳していく。
各長老たちの表情は様々で、特に南の長老は明らかに嫌悪感を滲ませている。
南は人工硝石の負担を背負っている地域だ。
圧政を強いる貴族が居なくなっても、結局は何も変わらない。そんな無力感と苛立ち。
他の長老たちも内心は複雑だ。南に負担が集中することで、他の地域が免れていることを理解している。
だが、自分の地元を守りたいのも本音だ。視線が机上をさまよい互いの顔を探る。
ジークフリートは、その決め切れぬ空気を冷ややかに見ていた。
あきれたのか、それとも期待通りだったのか、わずかに眉を上げて口元を緩めた。
「対等に話し合えるなんて、最初から思っていなかったでしょ?」
「あなた達では決め切らないなら、提案してあげるよ」
その言葉にタラモンの長老たちとダランは、険しい顔をしつつも、ジークフリートの言葉に耳を傾ける。
「人工硝石の現場は現在、人が働ける環境ではないと分かった」
「俺の提案はね、労働環境の見直しをするまで閉鎖。猶予期間は一年間だ」
ダランの通訳が響く中、南の長老はじっと手元を見つめていた。
視線の先の膝上の手がわずかに震える。その提案は自分の地区に直結する話だ。
ジークフリートは、さらにタラモン側にとって有益な提案を与えていく。
「でも、閉鎖している間、労働者はあぶれてしまう」
「そこで、最初に言ったでしょう?ここへ来るまで道が悪くて大変だったって」
「中央とエルデンシュトラ間の、道路工事の労働者として雇ってあげる」
タラモンの民族は、いまだ圧政の爪痕に苦しんでいる。
休職者を抱えきれない現実。各地域で支え合うにも限界がある。
その対応として、別の労働員として働き口があるのは渡りに船でもある。
長老たちは信用出来ないながらも、背に腹はかえられず、矛盾した様子を抱えている。
その中でジークフリートは、静かに全員の表情を見渡していた。
愛想の良い微笑みを浮かべながらも、瞳には鋭さが宿っていた。
「でも、これが完成したら、あなた達は増々中央とは離れられなくなっちゃうね。あはは」
「これは取引だよ。どうするかはあなた達が決めて」
会議室の空気が止まったように静まりかえる。
銀の香炉からの白い煙だけが静かに揺れていた。
ダランは唇を噛み、他の長老たちも視線を交わし合う。
ジークフリートの目は、その沈黙すらも計算しているようだった。
(さぁ、どう答える)
彼は各地の長老の様子を、傍観するように眺めている。
こんなにも力の差があるのに、会談を受けるように勧めてしまったダランは、申し訳なさでうなだれてしまう。
その様子を見ていた南の長老がダランの肩に手を当て、話しかける。
「ダラン。会談を受けなかった場合、もっとひどい事になっていた。自分を責めるな」
「わしらに与えられた選択肢は少ない。だが昨日より今日のほうが良くなる」
「そう思わないとやっていかれん」
「硝石の工場より酷い場所なんかない。南の民にはわしが言う。道路の工事の件を引き受けたほうが良いとわしは思う」
それに異を唱えたのは北の長老だ。
北は地理的に中央と距離が近く、これまでは中央寄りの意見を言う事が多かった。
だが、道路が整備されれば、今度は自分たちの土地が飲み込まれる危険を感じているのだろう。
「道路を整備するんは、余りにも危険じゃなかろうかのぅ……」
その一言に議場の空気がわずかにざわめく。
だが、ブレンナが静かに語り出すと、その波もすぐに収まっていった。
「南の民に、これ以上の辛抱を強いるはしのびない。同族の民ならば、改善の道を選ぶのが道理」
取りまとめ役のブレンナが意見を出したことで、決定が動きそうだ。
ダランは『それでいいか』と言う意思を込めて各長老たちの顔を見やる。
誰も反対の意思を示さない。静かに覚悟がまとまっていく。
ダランは小さく息をつき、ジークフリートへ向き直った。
「道路の件を受け入れたい」
その回答を聞くと、ジークフリートは肩を小さくすくめると微笑む。
「そう、交渉成立ってことだね」
「こちらは見合った価値が、あなた達にあるうちは恩情を与える」
口元に薄く笑みを浮かべたまま、組んでいた足を組み替えると、それぞれの様子を見て話を続ける。
「自治権がこちらにあるままでは、あなた達にとっても都合が悪いはずだ」
「それに、すべてを帝国が管理し続けるわけにもいかない」
「だから、あなた達に自治権を認める。ただし、完全な自由は与えられない」
その場に沈黙が落ちる。
ジークフリートの表情は柔らかいままだが、言葉の端々に断ち切れない重圧が滲む。
「帝国にとってあなた達は、いまだ危険因子であることには変わりない」
「だから監査の目は付けさせてもらう」
ジークフリートは指先で机上の書類をなぞるように撫で、薄く笑みを残したまま、彼は言葉を重ねていく。
「友好的な態度である限りこちらも、人権を尊重しよう」
それまで穏やかに話を進めていたジークフリートだったが、ふっとひと呼吸おくと、そのまま銀の香炉から立ち上る白い煙を見つめる。
彼が言葉を発さなくなると、途端に室内の空気は止まり、耳奥で流れる血の音さえも捉えられるほど、そこには無が支配する。
窓から不意に入った風が、室内の時間を動かすと、ジークフリートは香炉の乱れた煙の奥を、何も映さない瞳で見つめたまま、落ち着いた声を出す。
「だが──」
「反乱の兆しが見えた場合、俺がこの地に再び、根絶をしに訪れる」
この男は、冷たい手で希望を差し出し、その代償を現実から逸らさず突きつけてくる。
その非情なまでの合理性に、そこにいた全員が声を失う。
ジークフリートは、誰の感情にも寄り添うことなく、冷ややかに続けた。
「帝国の慈悲の無さは、この三十年で嫌という程分かったはずだ」
「馬鹿なことは考えないでね?」
会議室に再び、重苦しい空気が落ちた。
銀の香炉の白い煙だけが、静かにその場を満たし続けている──
最後まで読んでくださりありがとうございます。
彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。




