第三十話 銀の鍵
エルデンシュトラ東部、駐屯所の臨時指令室、兼応接室では、必要最低限の機材と書類が所狭しと積まれ、外から吹き込む風が紙をはためかせる。
その中央で、地図を睨みつけていた黒い軍服姿の男が声を上げる。
「今朝の報告はどうなってる。被害の確認が遅すぎる」
響く低い声の持ち主──帝国陸軍大佐ゲルハルト・ブロイアーは、無造作にかき上げた赤髪の奥から鋭いダークブラウンの眼で睨みつける。
長年の軍歴と数多の戦場を経た風貌。そして、傍らに置かれたマグカップには、地元産のビールを模した簡素な絵が描かれている。
無骨さと庶民性が奇妙な同居をしていた。
唸るような指揮の声に、振り返った部下が慌てて報告を差し出す。
ブロイアー大佐は、その書面に目を通すと表情がほんのわずかだけ緩む。
「全壊が三件、死者なし、負傷二名……か。上出来だ」
現在エルデンシュトラでは、公共機関の麻痺により、小規模な諍いが起きているが、大佐の隊がそれを沈静化していた──
(それにしてもなんだって、あの少佐はまた会談しにくるんだ……)
二日前ジークフリート少佐から、大佐の元へ手紙が届いたのだ。
内容は簡素なもので、先日のお礼と会談の打診であった。
「お前らも片付けろ。中央の"少佐殿"がそろそろ来る。見せ物にしちゃいかん」
吐き捨てるように言いながらも、地図を丁寧に畳んで部下に手渡した。
──エルデンシュトラ駐屯所に、漆黒の帝国軍制服をまとった男が足を踏み入れる。
銀灰の瞳、ゆるりと風に流れる黒髪、若き少佐ジークフリート・フォン・アイゼンブルクが姿を現した。
ジークフリートは迷いのない足取りで応接室へ向かうと、ドアをノックし軽い敬礼を添え入室する。
室内でブロイアー大佐の姿を認めると、彼は再び立ち止まり、無害そうな微笑を浮かべながら、今度はより丁寧に敬礼を添えた。
「帝国陸軍少佐、ジークフリート・フォン・アイゼンブルク。到着いたしました」
「突然の申し入れにもかかわらず、ご対応感謝します」
応接室のソファに座るブロイアー大佐は、深く腰を掛けジークフリートに応じる。
「今更好青年の皮を被らなくても、お前の抜け目のなさは前回で十分知った」
年長者ならではの余裕がそこにあった。
ブロイアー大佐は目の前のソファを指示する。ジークフリートはその指示をにこやかに受け取ると、ソファへと腰を下ろした。
着席と同時にブロイアー大佐は言葉を出す。
「で、今回は、何の用事だ?」
ジークフリートは、唇の端だけで笑みを作り、無駄のない動作で膝の上に手を重ねる。
その整った所作のまま、全身の変化を観察するように大佐を視線で捕らえる。
「屋敷の中に開けられない場所がある。そして鍵が行方不明」
「大佐はご存じないかな?と思いまして」
微笑みは崩れぬまま、しかし空気は緊張を帯びた。
そして、そのまま話しを続ける。
「もし、大佐が鍵を持っているとしたら、理由はふたつ」
「鍵の中身を知られたくないか、鍵を使う場所が見つからなかった。そのどちらかだ」
「前者が理由の場合、鍵のことは、こちらに教えてもらえないだろうね」
「そうなるとこちらは、爆破して開けることになる」
「用途不明で持ち帰った。それが理由だった場合」
「大佐も鍵の使い道と、その中身が気になっているはずだ」
「でも、その状態で俺に鍵だけを渡すとは考えにくい」
「だから大佐も解錠に立ち会う。その条件なら鍵の事を話す気になるでしょう?」
(判断する情報は差し出した、さぁ、どうする?)
ジークフリートの目つきは逃がさないようにブロイアー大佐に合わせられたままだ。
大佐は鍵を持っていない可能性もある。
だが、その過程を含んで話すと逃げ道を与えかねない。
不利益な条件と有益な条件を差し出して、相手の出方をみるのが最善だとジークフリートは読んだ。
そんなジークフリートの思考を見抜こうと、ブロイアー大佐も鋭い視線を投げている。
(俺が持っている前提で話を進める気だな……)
(鍵は知らんと、しらを切ったらこいつはどう出るか……)
おそらく、あっさり下がって爆破を進めるか、口を割らせる為に追い詰め策を提示してくるだろう。
(どちらにしても、俺の不都合にしかならないな)
腹をくくったブロイアー大佐は、鍵の所在を自分が握っていることを認める形で、ジークフリートの提案を受け入れる。しかし同時に、立ち会ったうえで見過ごせない事実が出れば、黙ってはいられないと牽制をする。
「ハハハ!俺を立ち会わせて、お前の都合の悪いものが出てきても、知らんぞ」
ジークフリートは眉ひとつ動かさず、穏やかな笑みを浮かべた。
「その時は、大佐を口封じしなきゃいけなくなっちゃうね。あはは」
「まぁ、今の所、大佐の持っている鍵が、その倉庫に合うかどうかも分からないけど」
(やはり、鍵は大佐が持っていたか)
その情報が分かっただけでも収穫だ。だが、ジークフリートにはそれ以外にも、大佐にやってもらわないといけないことがある。
むしろここからの方が、主要目的ともいえるだろう。
お互い鋭利な返しを交わし、鍵の件は話がまとまると、ジークフリートは地続きでさりげなく次の話題にすり替えていく。
「まぁ、立ち合い開錠は二日後でいいですか?」
「二日後?」
「明日、ナーヴァル議会に参加するからね」
「ほぅ。そんな情報を俺に話していいのか?」
その言葉を、ジークは淡く微笑んで受け止めた。
「ふふ、知ってしまった。つまりもう大佐は”知らなかった”ではいられないという事だ」
「議会の進行状況によっては、大佐は無関係ではいられなくなる」
ブロイアー大佐は口角を上げて笑う。
「書面で交わした約束でなければ、なんとでも言えるだろ」
ジークフリートはその言葉を、肩をすくめて受け止める。
「公式上はね?」
人間の気持ちというものは、書面ひとつで割り切れるものではない。ブロイアー大佐のような人間なら、なおさらだ。
それを確定づけるようにジークフリートは話しを続ける。
「タラモンの民達が、この地で生きるには完全自由はまだ遠い」
「監査の目は必要だ。誰が監査をするかで彼らの生活の質は変わるだろう。つまり、ね?」
ブロイアー大佐は、勝手に進められる話を遮るように声を出す。
「俺がそれを知れば、知らん顔は出来んだろうと。なんでもかんでも思い通りに行くと思ったら、間違いだ」
その銀灰の瞳は、まるで『本当に俺の見当違いか?』と問いかけるように、静かにブロイアーの目を覗き込んでいた。
「タラモンの処遇について話した時の反応で、大佐は人道的なタイプかと思ってたんだけどなぁ」
ブロイアー大佐は感情の起伏を読み取らせないまま、静かな眼差しで相手を見据えている。
重く響く声で拒否の意思を伝える。
「お前の思惑が信用できない内は、話は飲めないということだ」
ジークフリートは一度ゆっくりと瞬きをし、思考に意識を飛ばす。
(ここで断る……か。大佐は人工硝石関連は白だな)
少しでも自分が人工硝石関連に関わっていたのなら、タラモン達を監査する大義名分を得るのは大佐にとって都合が良い。
喜んで引き受けるだろう。
だが、大佐は断った。
人工硝石の工場へ出入りする役人には密偵を付けている。
その密偵から入る情報で、硝石の流れはグローテハーフェン方面で間違いない。
大佐が元々管理する地域の逆だ。
黒の可能性が残っているならば、自分がこの地を立つ前に、きれいに掃除をしなければならなかったが、その必要はなさそうだ。
白と分かればなおの事、この地を大佐に任せるのが一番人道に沿った未来になるだろう。
(引き受けさせるには……圧を使うか、信用をとるか……)
沈黙。だがそこに漂うのは敵意ではなく、測り合い。
そして、膝上に手を重ねた姿勢をより前にし、ジークフリートは距離を詰める。
「大佐が俺を試した硝石のこと、鉱山産出以外にもこの地で硝石は作られていた」
「余分に作られた硝石がどこに流れているのか、あなたは知りたくないの?」
ブロイアー大佐の眉間の皺はさらに深く刻まれ、空気が変わった。
「お前はそれが分かったのか?」
その問いに、ジークフリートは肩をあげて『さぁ』という様子を見せる。
「監査をすれば調査はしやすいでしょう?」
ブロイアー大佐は、ジークフリートの無害そうな態度の奥にある意図を読み取ろうと、じっと銀灰色の瞳を見返した。
この少佐は常に“本音”を隠している。だが今は、あえて大佐を巻き込もうとしているのが明らかだ。
もし、本当にこの地で硝石の密輸が行われているなら、それは単なる不祥事どころではない。
帝国全体の治安や、属領統治の根幹を揺るがしかねない一大事だ。
(硝石の密売がこの地にある事をにおわせ、その地を俺に任せたい。その意図は……)
(こいつなりの信頼なのか、それとも密輸の罪を俺へ擦り付けるためか……?)
ブロイアー大佐は、ジークフリートが情報を小出しにして大佐を値踏みしていることは、はなから承知だ。
こいつは他人を信用しない。だから与える情報は常に必要最小限。
その上で、重要な事案をここまで情報開示した意図には慎重になる。
最悪の場合、自分が密輸の“元凶”として無実の罪で裁かれる可能性すらある。それも、大佐は分かっていた。
だが、それは大佐が監査を受けても受けなくとも、ジークフリートがその終着地を想定しているなら、そうするだろう。
(そうなった時、証拠は必要だ。監査をすれば証拠をこちらで集めやすい)
(こいつを完全には信用できん)
そして、もし、硝石の密輸関連の罪をかぶせる意図ならば、ここでこの話を大佐に出すのは都合が悪いはず。
大佐は最悪の想定もしつつ、本当のジークフリートの思惑がどこにあるのか知りたい。
どちらにしても、この話を持ち出された時点で、監査を引き受け自分で調査をし、証拠を集めるほか大佐は己の最善の道はないと考える。
ブロイアーはしばし視線を合わせたのち、低く言葉を落とす。
「なぜ俺にその話を出してまで引き受けさせたい」
ジークフリートは微笑みを消し、真顔になる。
(大佐に、試しはもう効かない)
そう考えると、銀灰の瞳は普段冷たく掴みどころがないが、信念をこめたこの時は、しっかりとした意思を灯していた。
「俺は大佐がこの地をみるべきだと考えた。それだけだよ」
ジークフリートの真っすぐに届けられる視線を受け止めると、ブロイアー大佐はため息を吐く。
一瞬だけ天井を見上げ、諦めたような笑みを浮かべてから、肩をすくめて言う。
「会談を要請してきた時点で、お前は勝ち筋をもって、何かを押し付ける気だろう事は、わかっていたんだがな」
「今回は会談を受けちまったもんはしょうがない」
顔の皺がわずかにほぐれ、屈託のない笑顔が不意に浮かぶ。
「これからはお前の会談は断ることにする。ハハハ!」
豪快に笑ったあと、ブロイアー大佐はわずかに顎を引き『今回だけはお前に付き合ってやる』という覚悟が、その仕草や声の響きから自然と伝わってくる。
監査の交渉は成立した。ジークフリートは小さくひとつ柔らかな笑みを返すと、好青年の皮を被り直し、形式的に予定を告げる。
「では、二日後に旧伯爵邸でお待ちしています」
敬礼をし、部屋を出ていくジークフリートの背を見送りながら、ブロイアー大佐はテーブルの片隅に置かれた、ビールの絵が描かれたマグカップにちらりと目をやる。
(……好き勝手やりやがって、あの若造。これからしばらくビールの味もまともに楽しめそうにないな)
そう思いながらも、大佐の心には妙な充実感が残っていた。
ジークフリートのようなエリート将校など、肩書きばかりで冷徹な人間だと思っていた。
だが、実際に膝を突き合わせてやり合ってみれば、思いのほか人間味も、覚悟も持ち合わせていた。
それに、こんな厄介な仕事を任せてくるということは、少なからず自分を頼っているのだろう。
(乗り掛かった船だ。下船はできない)
苦笑いしながら、ブロイアーはマグカップを手に取る。
本当はビールが飲みたいところだが、中身はいつものコーヒーだ。
いつもより苦みを感じたが、それでも口元にはどこか満足げな笑みが浮かんでいた。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。




