第二十九話 謝罪
昼間の残り香がまだ花や石畳に残る頃、太陽が落ちた途端、夜風は高地らしい冷たさを取り戻す。
屋敷の外では任務にあたる兵士たちが、外套を翻しながら夜の気配を見張っている。
静かな夜、その奥にある執務室には、今まさに言葉にならない緊張が漂い始めていた。
アンネリーゼは、日中の出来事の責任を取るべく、ジークフリートの執務室を訪れていた。
意を決して入室したアンネリーゼは、胸の奥で呼吸を整える。
室内には先に、ハインリヒが居たようで、ドア付近で目が合う。
会釈をし、ジークフリートへと向き合うと、彼女の顔を見るなり、あっさりとした口調で所感を述べてくる。
「へぇー。また泣いたんだ?」
微笑を浮かべながら、何の気なしに出される言葉は、状態確認のひとつとして捉えているのだろう。
そんなジークフリートの言葉に、アンネリーゼは複雑な心境を抱く。
(大事に感じているのは私だけで、アイゼンブルク少佐は、日中の出来事はどうでも良くなってるのかな……)
それは謝罪しやすくもあり、同時に『こんなことで悩む自分は情けない』と、思わず目を伏せたくなる。
ハインリヒは無言で敬礼をし、そっとドアを閉めて出て行った。
その時ふと見えたハインリヒの横顔は、いつもより少しだけ柔らかい表情をしていた。
二人きりの室内。
ただでさえ緊張してしまうジークフリート相手に、これから謝罪をしなければいけない。
それだけでアンネリーゼの鼓動は速くなり、呼吸が浅くなる。
深呼吸をひとつすると、アンネリーゼはジークフリートへ頭を下げて、はっきりと言葉にする。
「日中の件は、すみませんでした。」
頭を下げている間、心臓の音がやけに近くに感じ、その拍動が頸動脈を伝い、ドクドクと緊張を高めてしまう。
ジークフリートは一瞬眉根を寄せたあと、アンネリーゼの泣いただろう姿。そして今の謝罪の様子。
彼女の中でどういう過程をたどって、ここへ来たかの予測をたてる。
その上で、ジークフリートは執務机に両手を組んで置き。毅然とした態度でアンネリーゼへと対応していく。
「帝国軍として従属している際、個人感情での行動は禁忌だ」
「あの場面で、あなたは自分の行動を、自分で判断できる立場じゃない」
きっぱりと言い放たれる言葉に、分かっていたことだが、アンネリーゼの肩は縮こまり、身体の前で重ねられた手が小さく震える。
震える手に力を入れて、アンネリーゼはジークフリートへと顔を向ける。
「……はい、自覚が足りませんでした」
目を見続ける事を意識はしても、本能は逃げたがり、視線を下へと誘導しようとする。
それを食い止めるように、軽く口を結び、表情ひとつ揺らがないように堪える。
ジークフリートの銀灰の瞳の色が、より一層冷たさに拍車をかける。
それまでの緊張を解くように、ジークフリートが姿勢を変えると、イスが小さくキシっと音を立てた。
その音さえも緊張しているアンネリーゼには、耳に刺激として残り、肩がびくっと跳ねた。
彼女の様子をただ黙ってみていたが、空気の張り詰めを破るように、ふっと息をこぼすと、一瞬だけ表情を緩める。
「ただ、あの場面で、あなたが行動をしていなかったら、タラモンの青年は死んでいた可能性が高い」
「そして、相手側に、帝国にもあなたみたいな人間がいると印象に残った」
アンネリーゼは、自分の行動が、一方的に断罪されたわけではないと感じ、強張っていた肩が少し下がる。
その微妙な身体的変化を、ジークフリートは確認しながらも、再度、軍の秩序を説いていく。
「だが、結果論で上手くは行っても、行動には責任が伴う」
破ることは許されない絶対的な規律を述べると、またもや緊張が走る。
帝国軍の立場として、相手にあの場で、謝罪をするのはあってはならない。
「あなたの行動の代償は、今回は俺からの叱責で済んだ」
「でも、それが大事に至ったら、あなたはその代償を命で支払う事になる」
命で支払う代償の言葉は重たく、その場にある空気は張り詰める。
アンネリーゼの額には、うっすらと汗がにじみ、結ばれてた口元に力が入る。
「軽率な行動をすれば、あなたを処罰しなければいけなくなる」
「気を付けて?」
その突きつけられる現実的な言葉は、アンネリーゼの心に突き刺さる。
その様子に、ジークフリートはふっと微笑をこぼし、普段の冷たい眼差しを少しだけ崩した。
「あなたには死んでほしくないからね」
ジークフリートから出てくる言葉とは思えず、アンネリーゼは驚き目を開いた。
自分を心配してくれているのだと、アンネリーゼは受け取り、それまで張り詰めていた緊張が解かれていく。
先ほどまでの優しい声音が、ふいに無邪気な笑いへと変わる。
「あなた、言葉ひとつひとつに一喜一憂しすぎだ。あはは」
「そんなんじゃ、会談で、相手に足元みられちゃうよ」
その言葉に、アンネリーゼは目を丸くすると、きゅっと眉を寄せ、とたんに悲しそうな表情になった。
(全部試されていたの……?)
真面目に謝罪しに来たはずなのに、胸の奥に小さな悲しさが芽生える。
「少佐の言う事は間違っていません」
「でも、真剣な謝罪すらも試されていたようで、正直悲しいです……」
アンネリーゼの、この率直すぎる感情と、それに連動する態度は、公式の場面だと不都合が多い。
だが、それを会談相手が人間味ととらえて好転する場合もある。
ジークフリートはしばし顎に手を当て考える。
(どこまで人間性を残させるか……)
だが、ふと思うのだ『変えてしまうのは勿体ないな……』と──
それを振り払うように、目の奥は虚空になる。
短く息を吐くと、普段通りの飄々とした態度をジークフリートは演じる。
「死んでほしくないのは本心だよ。怒らないで、ごめんね?」
ふふっと笑い、頬杖をついてアンネリーゼを悪びれもなく見ている。
アンネリーゼは、どうして少佐はこんなにも人を振り回すのだろうと、心底疲れを感じていた。
それでも、どこか憎めないと思ってしまい、呆れ半分、優しくはにかんだ──
最後まで読んでくださりありがとうございます。
彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。




