第二十七話 寄り添えない
タラモンの民たちが住む東区の外れ、山裾には古い墓地がある。
この日、ダランは父と母のお墓参りに来ていた。
風化した石碑が並ぶその場所は、タラモンの人々がかつて祈りと共に、死者を見送っていた場所だった。
地衣類も付いていないような、比較的新しい石は、墓と呼ぶには粗末な物だ。
古くからある石碑には名が刻まれているが、その質素な石にはどれも名前がない。
近年に亡くなった者の身体はここには還らず、どこにあるのかさえ分からない。
ダランの父と母もまた、本来ここで眠るはずだったが、心だけここに埋葬されている。
所々に生えた背の低い針葉樹の奥は、むき出しの岩肌に変わっていき、イワヒバリの澄んだ鳴き声が、細く響いていた。
岩の隙間には、風に揺れる丈の低い草が根を張り、地を這うように広がっている。
石の塊の前にダランはしゃがみ込み、母が好きだった白い花を供え、小さな声で話しかけた。
「……父さん、母さん」
石の塊の下には二人が生前身に着けていた、守護石が埋められている。
そこに眠っていない父と母に、捧げた白い花びらだけが、風に揺れていた。
この墓場は、地元の住人が訪れる事はほとんどない。
実態のない墓へ弔いに来るのは、虚しさだけが残るのだ。
それでも何かに、すがりたくなるダランは、定期的にこの父と母が眠らない墓へと来てしまう。
墓地の奥で父と母に語りかけるダランだったが、その静かな心の対話を妨げるものが現れる。
遠くで誰かが話す声と、密度の濃い人の気配が、徐々に近づいてきている。
(集団?なんだ……?誰だ……)
この地域に住む者のほとんどが顔見知りのダランは、集団でこの場所に来ることの異質さがすぐに感じ取れた。
身を小さくすると、大小様々な岩や木の影に隠れ、縫うように近づいてゆく。
遠くに見える団体が、黒い軍人と文官のような服装の人間だと分かった。
それを確認すると、ダランの喉は緊張でヒュっと音をたてる。そしてそのまま固唾を飲んだ。
(なにしにきたんだ……)
黒い集団はダランには気が付いていないようだ。
ダランは姿勢を低くしたまま木に隠れ、その一団が何をしようとしているのか、息を殺して見つめた。
この日、この場所に、弔い目的ではない、黒の一団がやってくる──
──タラモンの民たちが使用している墓地に、到着したジークフリート率いる一団は、入り口付近で一旦停止し、指示が飛ぶ。
「墓に刻まれている名前と没日の記録、墓と思われるものの数、その後、実態確認を行う」
号令と同時に、それぞれが分かれて記録をとり始める。
同行していた、ハインリヒ大尉、アンネリーゼとリオラ曹長も、一般兵と共に指示を遂行していた。
一人、集団の仕事ぶりを監視しているジークフリートは、あたりを見回しながら墓場の状態を確認していく。
手前の風化した石碑は、まだ墓としての体裁を保っている。
だが、ある場所を境に、石はただ無造作に積まれた塊となり、墓と呼ぶにはあまりにも粗末な姿に変わっていた。
(あそこから先、人は埋まっていないんだろうな……)
ジークフリートが、奥に目線を動かした際、視界の端でチラっと影が動いたように感じる。
違和感を確かめようと視線を巡らせるが、異変は確認できない。
(見間違いか……?)
確認出来なかったとはいえ、違和感を放っておくことは出来ず、作業効率と部下の動きを頭の中で組み立てる。
すっと短く息を吸うと、声を張り、記録している部下にむかって指示を与える。
「非武装の者は、戻って。手前から順次、墓を掘り起こせ」
「武装している者は、二人一組になって記録をとるように」
その号令にハインリヒは、無表情で進めていた記録の手を止め、周囲を確認するが、来た時と変わらぬ静かな空間が広がっている。
(異変があったのか?……警戒はしておくか)
視線を一度巡らせた後、ハインリヒはわずかに身構えながらも記録作業に戻る。
非武装で参加していた人員は、号令とともに入り口付近へと戻っていき、スコップを手に取る。
アンネリーゼは筆をしまい、スコップを握るが内心は複雑だ。
必要な事だと分かっている。理解はしても納得できない。
だが、それは皆も同じだろう。
自分だけが良心の呵責に苦しんでいるわけではない。
複雑な思いをしまい込み、スコップを握るが手が震えてしまう。
深呼吸をした後、指先に力を込め、持ち手を握る。
土の表面を見下ろす視線が、一瞬だけ揺れた。
逃げるわけにはいかず、彼女は静かにスコップを突き立て、土に刺した。
ザクッ……
その瞬間、叫び声が静かな墓地に響く。
「なにしてんだ!お前ら!」
叫んだのはダランだ。
作業していた兵たちは、その声に反応し、一斉に作業の手を止め走り出す。
緊迫した様子に、アンネリーゼは震えが大きくなる。
ジークフリートの表情を確認すると、無表情のままタラモンの青年を見据えている。
その手元は、すでにサーベルの柄にかけられていた。
指先にわずかに力が入っているのが見える。
アンネリーゼは、このままではタラモンの青年が、切られてしまうのではないかと焦り、考える。
咄嗟に出た言葉は……
「お墓を掘っています。ごめんなさい。本当にごめんなさい」
何をしていたかは見ればわかる。ダランの予想通りだったが、それが帝国側の人間の口から出たことは、予想外だった。
ダランはその場に立ち止まり、怒りを滲ませたまま『はぁ?』という顔をしている。
「見りゃ分かるよ!おかしいだろ!」
「お前ら、どれだけ人を踏みにじれば気が済むんだ!」
ダランの怒りを受け止めたジークフリートは、アンネリーゼに視線を向けて、咎める。
「勝手に謝らないで?」
その言葉にアンネリーゼは、自分の立場をわきまえず行動してしまった事を痛感する。
体の前で組んだ両手は震え、言葉を口にしようとしても喉が強ばって声が出ない。
そんなアンネリーゼの様子を一瞥した後、ジークフリートは、ダランに向き合うと、感情を排除した落ち着いた口調で話し始める。
「目的があってやっている」
そのまま姿勢を崩さず続ける。
「でもあなた、彼女が居なかったら、今日が命日になっていたね?」
その言葉は、墓場の空気さえ鈍く重たくさせた。
緊張した空間にただひとつ、イワヒバリの鳴き声だけが、遠くで細くこだましている。
先ほどのダランが飛び出してきた衝撃は、アンネリーゼの一言で、いったん収束し対話する余裕が生まれた。
激しい怒りに突き動かされていたダランも、ふと我に返る。
荒い呼吸が少しずつ落ち着き、こみ上げる衝動が胸の奥に沈んでいく。
ひとつ息を吐き、抑えた声で言葉をつむぐ。
「理由があったにしろ、墓を掘り起こすなんて人間のする事じゃない」口調は責めつつもそこには理性がある。
ジークフリートはダランの身なり、口調、公用語が、どれだけ正確に話せているのかを観察していた。
そして、その観察が終わったのか、話し始める。
「あなたは、タラモンの民族の中でも恵まれているようだね」
「どこまであなたが、自分の民族の置かれている立場を、理解しているのかな?」
ダランは、問いかけから逸らされた話の転換に、苛立ちを覚える。
「俺の身分がどうだか、お前に関係ないだろ」
「それよりも墓の事を説明しろよ!」
ジークフリートは呆れた様子でその問いに答える。
「あなたの同族が硝石に変えられている。だから調査をしている」
「これで納得できたかな?」
ダランはその言葉で眉間に皺をよせる。残酷な現実を改めて言葉にされ、胸の奥に鈍い痛みが走る。
だが、それは今さら聞かされて驚くことではない。
ダランは、同族が何にされているのか、もう知っていた。
知っていたところで、どうすることもできない無力さが、ただ苦しい。
「知ってるよ……」
「でも、お前らがいたずらに皆を掘り起こすのは、許せない」
その手は感情を堪えるように、力任せに握られている。
「俺は、タラモンの長の孫だ。だから俺たちの置かれている立場は分かる」
「墓を掘り起こしたら、お前にこの地獄が止められるのか?」
どうせする気も、出来るわけもないくせにと挑発的な態度を見せる。
それでも、この行動に意味があるのか、それで何が変わるのか。
ダランはそれを信じたい気持ちもあった。
だが、今まで散々な扱いを受けていた遺恨は深く。信用しようとしても信じられないのもまた事実。
「そもそも……お前らが勝手に進軍して……お前らが勝手に虐殺して、お前らが勝手に俺たちを統治した!」
そこまで言うとダランはジークフリートを睨みつける。
ジークフリートはその言葉を黙って聞いている。そして、悪びれた様子もなくこぼす。
「ふーん」
その一言にダランは馬鹿にされたと感じ、増々怒りが込み上げ、顔が赤くなる。
今まで同族がどれだけ苦しみ、どれだけ無念を抱えて死んでいったか──
この男にとってはどうでもいいことなのか。
「お前……」
「帝国が……俺らを踏みにじったんだろうが!」
叫ぶと同時にダランは握りしめた拳を振りかざし、ジークフリートへ突進するが、数メートルもたたず、ハインリヒと他数名に取り押さえられてしまう。
取り押さえているハインリヒが確認する。
「どうしますか?」
ジークフリートはその問いに、表情ひとつ動かさず答える。
「そのままでいいよ」
命が繋がったダランに、感情論には乗らないという意思の表れなのだろう、ジークフリートは無情な論理を積み上げていく。
「俺があなたに謝った所で何も変わらない」
「過去の行いをこの場で口に出して、何の意味があるの?」
こんな事で、自分に与えられた立場を棒にするなんて浅はかだ。
だが、若く青年らしい行動を、馬鹿げてると断罪する気にもなれない。
ジークフリートの飄々とした様子は、あざけているようにも見えるだろう。そんな分かりにくい態度のまま毅然と話す。
「あなた、自分の使い方、間違っているんじゃないの?」
「タラモンの長の孫。あなたは一族の中では優遇されているはずだ」
「この地域で、あなたほど恵まれている青年は少ない」
ジークフリートは、ため息をひとつ吐くと、ダランの瞳をじっとみて、声色変わらず告げていく。
「俺はここであなたを殺す事は出来ても、タラモンの長老達を変えることは出来ない」
「あなたならそれができるんじゃないの?」
ダランは抑え付けられながらも、ジークフリートに好戦的な物言いをする。
「殺さない代わりに帝国の有利に、動けって言うのか!」
ジークフリートはまるで他人事のように肩をすくめ、答える。
「どうするかは俺が決める事じゃない」
(俺には出来ない事が、あなたには出来る。と言ったのにな)
自分の言った事を湾曲してとらえられる。その事自体はどうしようもできない。冷静に聞けないのか、聞く気が無いのか、伝え方が悪いのか……
(まぁいいや)
「それで、俺たちは墓を掘り起こすつもりだけど、まだ異論はある?」
ダランは、感情に任せてぶつかった自分が、ひどくみじめに思えた。
どうしようもないやりきれなさと、納得できない思いが胸に渦巻き、声は掠れて弱くなる。
「わからねぇよ……」
ダランの闘争心が無くなったのを見て取ると、ジークフリートは、押さえつけている兵に離すように身振りする。
押さえつけていた兵士は、敬礼を添えて下がった。
ジークフリートの終始偉そうな態度に、ダランは、この人物が今回中央から来ている将校だと、確信を込めてきく。
「お前は、今の状況をどう見ているんだ?」
「今回ナーヴァル議会に、参加しようと考えたのはお前なんだろ?」
「通訳まで用意して、参加の打診をしてきたのはどうしてだ?」
そこまで内部の事情を知っているのかと、ジークフリートは興味深げに口角をあげた。
「へぇ、そんなことを知るほど、あなたはタラモンでの重要人物だったんだ」
ダランはぽつりぽつりと話し始める。
「俺は今の状況を、どうしていいか分からない……」
「もしあの時、根絶が選択されていたら、俺は生まれていなかった」
「でも、生きているだけで苦しい今で、よかったのかって思うんだ」
ダランの話を黙って聞いていたジークフリートは、視線を彼に向けたまま、彼の置かれている状況、そして、過去に戻ってやり直すことは誰にもできない現実。
様々な事を考え、自分自身ですら無力に感じていることを、言える立場でもないと結論に至る。
深くため息を吐くと、無機質に答えていく。
「今あなたが存在している事実しか、確かなことなんてないでしょ」
「俺にあなたの人生の善し悪しなんて分からないよ」
突き放すように告げられたその言葉は、ジークフリートでさえも答えの分からないものへの回答だ。
だが、分からないからといって、何もせず、事勿れ主義はジークフリートの選択肢として無い。
「あなたの人生の選択肢を、俺が考える事じゃない」
「自分の目で見て考えて、納得する未来を選ぶほかないでしょ」
互いに感情を寄せ合い、慣れ合う関係ではない。とジークフリートはとどめを刺すように笑う。
「相談する相手間違ってるよ。あはは」
そう言うと部下に墓を掘り起こす指示を出す。
合図とともに兵士たちが一斉に動き出す様子を、ダランは唇をかみながらじっと見つめていた。
もう、どうやっても止めることはできない。
今まで帝国の人間には、何を言っても届かなかった。けれど今日、初めて感情をぶつけて、やっと言葉を返された。
それなのに、結局は何も変わらない。ぶつけたところで現実は動かず、自分の無力さだけが胸に残った。
そんなやり場のない感情をポツリとこぼす。
「お前……本当に嫌いだわ……」
そう言うと、ダランはそのまま膝を抱え、墓が掘り起こされるのを黙って見ていた。
その呟きを聞いていたジークフリートは、ふふっと笑うと、深く息を吸い込んだ。
組んでいた腕を解くと、腰に添え、ダランの姿に視線をチラっと移す。
冷たいと感じさせる銀灰の瞳を、一瞬伏せる。再び顔を上げ、ダランの見つめる先を添うように、視線を流す。
しばし黙って、噛みしめると、わずかに息を吐き、眉尻を下げて目を細めた。
その表情が何を物語っているのか、それを見る者も知る者も誰もいない──
最後まで読んでくださりありがとうございます。
彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。




