第二十五話 休まらない休息
人工硝石の視察へ出ていた関係者には翌日、休養を与えられていた。
だが、遠征中という事もあり、滞在している屋敷の敷地外に出ることは禁止されていた。
アンネリーゼも割り当てられた客室で、読書をしていたが、昨日の光景が脳裏に焼き付き、本は開かれたままページが進まずにいた。
静かな室内にため息が、ふとした瞬間に音となって零れだす。
同室で滞在しているリオラ曹長は、朝から本来の持ち場の会議に参加している。
ひとりこの部屋にいると、何をしていてもすぐにぼんやり思考の渦に飲み込まれてしまう。
(私が過ごしていた世界は、当たり前じゃなかった……)
知らないで過ごしていたことが、悪いという訳ではない。
全ての不条理を知る事なんて出来ないのだから。
でも、目を逸らし、無関心でいる事は違うのだと思う。
(知ったからこそできる事……)
アンネリーゼが深くため息をついたタイミングで、客室のドアが開き、リオラ曹長が帰ってきた。
部屋の空気が動き、閉じこもった思考が中断される。
リオラ曹長は手に持った書類を、テキパキと自分の鞄へしまいながら、ぼやくように話し始めた。
「もう、いやになっちゃうよねぇ。こっちは視察で疲れているのにさ」
「この備品がない、あれはどこにしまったとか」
「会議に行ったのか、面倒をみにいったのか、分からなくなっちゃう」
書類をしまい終わると、困ったような表情を浮かべ肩をすくめ、苦笑を浮かべる。
そんなリオラ曹長の様子に、アンネリーゼの表情も自然とほころぶ。
(きっと皆に慕われているんだろうな)
朗らかなリオラ曹長の人柄に、先ほどまでの重苦しさがふっと和らいでいく。
アンネリーゼの眉間に寄っていた皺が解けていく様子を見て、リオラ曹長は、優しくはにかみ笑顔を向けた。だが、そのすぐ後、ふと思い出したように表情を曇らせる。
「そういえば、アイゼンブルク少佐から、呼び出しがあったんだ……」
「何の呼び出しでしょうね?」
「さぁ……?」
軍に所属するって大変なのだろうなと、アンネリーゼは気づかい、言葉をかける。
「大変でしょうけど、頑張ってください……」
その言葉を受け、リオラ曹長はいたずらっぽく微笑んでみせる。
「あ、ちなみにアンネさんも呼ばれてるからね。仲良くしようね」
アンネリーゼは背筋を伸ばし、予期せぬ展開に心臓が跳ねるが、なんとか平静を保とうとする。
そのまま緊張をしまい込んで苦笑いを浮かべた──
屋敷の二階、客室の反対側に、ジークフリートが滞在している執務室がある。
その執務室の前に、アンネリーゼとリオラ曹長が立つと、リオラ曹長が遠慮気にノックする。
室内からの返事で、ドアを開き室内へと入っていく。
ハインリヒが報告へきていたのか、紙束を抱え室内にいる。
奥の執務机では、ジークフリートが手際よく書類をまとめていた。
「かしこまらなくていいよ」
そうジークフリートが声をかけると、ドア近くにあるソファへ目配せする。
その合図を受けて、リオラ曹長は敬礼し、アンネリーゼも小さく頭を下げてから二人でソファに腰かける。
静けさの中、座面が沈む音だけが妙に大きく響いた。
ふたりが着席したのを確認すると、ジークフリートは纏めた書類を机の端によせ、組んだ手の上に顎を乗せて見つめる。
愛想の良い笑顔を浮かべ、呼び出しの理由を口にした。
「通常業務外の護衛の任務と、不慣れなのに硝石工場で頑張ったあなた達を労いたくてね」
その声色も、表情も、人の警戒心をやわらげるものだ。
アンネリーゼも少しずつ、彼の人柄を理解しつつある。それでも、完全に警戒が解けるわけではない。
かすかに緊張したまま、形式的に礼を言う。
「お気遣いありがとうございます」
その言葉を聞きながら、ジークフリートはじっとアンネリーゼの顔を観察する。
ふと彼女の目の腫れに気がついたのか、興味深げに声をかけた。
「へぇー、泣いたんだ?」
突然の指摘に、アンネリーゼは動揺し、視線を外し思わず自分の手元を見つめた。
傍で聞いているハインリヒは、無表情のまま心の中でつぶやく。
(少佐……デリカシー無いな)
面白がるジークフリートに、アンネリーゼはムッとし、肩をわずかに縮こまらせて抗議する。
「誰でも……泣くことはあると思うんです」
「アイゼンブルク少佐も、泣く事くらいありませんか?」
ジークフリートが泣く──
それは誰も想像すらした事もないことだ。
その言葉にジークフリート本人は、顎に手を当て、思案気な表情をしている。
(泣くって、したことあったかなぁ……)
室内の空気が、一瞬だけ静止した。
その中で、少佐が泣いている姿を想像してしまったハインリヒは、フッと吹き出してしまう。
ジークフリートの視線がハインリヒを突き刺す。
「ハインリヒ。」
氷のような空気の中、無表情に返事をするハインリヒ。
「はい」
「どうして笑ったの?」
「笑ってません」
「嘘つくんだ?」
「……あれは……咳です」
その二人のやり取りを黙って聞いていたリオラ曹長は、関わってはいけないと姿勢を正したまま無関心を装う。
(咳で誤魔化し通す気なんだ……いけるの……?)
沈黙と、冷えきった空気が支配し、時間が止まったかのようだ。
「ふーん。まぁいいや」
ハインリヒは内心うろたえつつも無表情を貫く。
(逃げられたか……?)
安堵したいのに、顔には出せない。背筋をひやりと汗が伝う。
その間、リオラ曹長はますます背筋を正し、まるで気配を消すように視線を落とした。
ジークフリートはおもむろに席を立つと、ワゴンに載せられているティーセットでお茶を用意し始める。
手際よく用意されていく様子をみて、アンネリーゼは(上官なのに……)と躊躇い、意を決して声をかける。
「アイゼンブルク少佐。私がお茶をご用意致します」
ソファから立ち上がりかけたアンネリーゼを、ジークフリートは軽く片手を上げて制した。
「ああ、大丈夫。これくらい出来るから、あなたは座ったままでいいよ」
「それに、あなた達は今日休養日だからね。それなのに呼び出しちゃってごめんね?」
アンネリーゼは居心地の悪さを感じつつ、上げかけた腰を再びソファへと沈めた。
他の人はどうしているのか確認したくて、チラっと隣のリオラ曹長をみると、無表情で考えが分からない。
ジークフリートは他人が用意した飲み物には、口を付けない。
第十三特務大隊に長く所属している、ハインリヒとリオラ曹長はそれを知っていた。
まるで午後のティータイムの準備をするかのように、優雅にお茶を用意しつつ、ジークフリートは話し始める。
「明日の予定なんだけど、タラモンの人たちが使っているお墓へ行く」
「そこで調査をするから、そのつもりで」
ソファ前のテーブルに淹れたてのお茶を並べると、ジークフリートは何事もなかったように執務机へ戻っていく。
アンネリーゼは『お墓』という言葉に反応し、思わずきいてしまう。
「お墓の……調査ですか?」
「そう、いつから硝石の人体利用がされていたのか、調べるからね」
調査内容は、お墓を掘り返すのだと分かり、アンネリーゼの表情は沈む。
死者の眠りを妨げる行為で、それに人道的な反発心を抱かないでいることは難しい。
「惨いですね……」
アンネリーゼの表情がわずかに曇る。分かっていても心が痛むのだ。
手元のカップをそっと持ち上げるが、手はわずかに震えている。
ジークフリートは執務机に頬杖をつき、アンネリーゼに問いかける。
「証拠は必要だ。曖昧にして、無かったことにした方がいいと思う?」
アンネリーゼはジークフリートへ向けてた視線を下に落とし、言葉尻が小さくなる。
「それは……」
俯いて考えた後、アンネリーゼは考えを話していく。
「私はこんな事実が、あったことを知らないで過ごしていました」
「知らないままでいれば、こんなに苦しく思うことも無かったと思います」
「でも……無関心でいて、誰も口にせず、そのままにしている方が残酷だと思います」
(だけど、自分たちがやろうとしていることは……)
それまで下に向けていた顔を、ジークフリートへとゆっくり向け直す。
一度だけ深く息を吸ってから、願い出るように視線を合わせる。
そして、静かに話し続けた。
「タラモンの人がもし……お墓を掘り起こしている所をみたら、また傷つけてしまう」
「やらなければいけないのなら、相手に分かって貰えるようにしたいです」
アンネリーゼの話を最後まで聞き終えると、ジークフリートは、わずかに眉をひそめ、ため息を吐く。
「分かってくれればいいけどね?」
「相手の気持ちばかり汲んで、行動しないままではいられないんだよ」
アンネリーゼの考えを否定しているわけではない。
事実、そのままにしておいて改善するならそうすればいい。でも、そうはならない。
アンネリーゼに不安な表情を隠せる器用さはない。それでも、視線だけは決してそらさなかった。
「伝わらなくても、伝える努力はしたいです……」
「アイゼンブルク少佐も、硝石の場所を少年に尋ねたとき、寄り添って伝えようとしていたじゃないですか」
「あの時少年が動いたのは、その気持ちが、伝わったんだと私は思っています」
願いを込めてアンネリーゼは最後まで伝えきる。
ジークフリートは一瞬、目を大きく見開いた。
予想外の言葉に驚いたのか、微かな息を呑む音が静かな部屋に響く。
けれど次の瞬間には、ふっと力が抜けたように息を吐き、いつもの調子に戻っていく。
「あなたの考えはわかった」
ジークフリートにとって、耳の聞こえない少年に取った行動は、目的の為の最善を考えた末の行動で、他人の目からそう見えている事に驚いたのだ。
(情報を聞き出したかっただけ、だったんだけどな)
意図しない解釈をされたようで、腑に落ちないが、その見えている姿こそ、本来の自分なのだろうか?とよく分からなくなる。
(分からない事を考えた所で、どうしようもない)
寄り添う気持ちなど、持つはずが無い相手なのだ。ヒトとして記号の存在でそれ以上の事は考えない。
そうやって強制的に考えを遮断すると、他人事のように肩をすくめ、愉快そうにその場の空気を眺め始めた。
執務机に自らが用意したお茶に、口を付けた後、ハインリヒへ視線を向けた。
「そういえば、さっきハインリヒが笑ったくせに嘘までついたこと」
「ずっと、どうしようかなーって考えていたんだよね」
「そろそろ、査定が近いなって思い出したんだ」
「楽しみにしておいてね。ハインリヒ」
ハインリヒは突如ぶり返された話に、唖然とするが、表情には出さないように努める。
(見逃されてなかったのか……)
ジークフリートは、ふふっと無垢な笑みを浮かべながら、お茶に口を付け、相手の反応をどこか楽しんでいるようだった──
最後まで読んでくださりありがとうございます。
彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。




