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黒の矜持  作者: 川端マレ
第二部 エルデンシュトラ編
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第二十四話 命を削る結晶

 続く細道を進んでいくと、木々の隙間から遠くに、家畜小屋のような建物が並び建っているのが、見えてくる。

 ふいに風向きが正面へと変わると、それまで感じなかった臭気が、一団を捕らえる──


 思わずアンネリーゼはハンカチを出し、口元を押さえたが、そんな布で防ぐことができるものではなかった。


(すごい匂い……)


 木の密度が薄くなるのと対照的に、臭気は濃くなる。

 道の両脇に廃材の山が積み重なり、板の間に黒く(にじ)んだ液体がこびりつき、陽光でわずかに湯気を立てていた。


 アンモニアと、すえた刺激臭。

 肉と脂が混ざり、その場の気体全てが密度を増し沈殿している。

 それは鼻腔に張り付いたまま溶けず、喉の奥まで刺すかのような臭いだった。


 一歩前に足を進ませようとしても、それを本能が拒むかのように重くなる。


 思わずゴホッとせき込むアンネリーゼだったが、吐き出した空気分、その場にある酸素を吸い込むと、乾嘔(かんおう)へと変わる。

 この密度の濃い腐敗臭は、慣れない者には到底耐えられるものではない。

 生体反応として出る涙をぬぐいながら、一団から遅れをとらないようについていく。


 横で歩くリオラ曹長でも堪えているようで、布で押さえながら歩いている。

 

「大丈夫?これはさすがにあたしもきつい」

 

 アンネリーゼは返事をする事も出来ず、ただ頷くことしかできなかった。


 ここに来るとき、アンネリーゼは軍用ブーツとトラウザーズを支給されたが、その意味がよく分かった。

 周囲に排水溝や浄化されていない泥濘(でいねい)の池があり、副産物や廃液が流されている。

 だが、上手く流れていないのかそれが溢れ、足元は土なのかよくわからない得体のしれないもので、ぬかるんでいる。

 

 開けた場所へ到着すると、正面奥には粘土壁に藁屋根の小屋が数棟あった。


 ジークフリートは足を止め、手で一団を制止する。周囲を見回しその様子を観察しはじめた。


 側面はやや高台になっており、その少し先に、木製の見張り台と少し整った木造の建物がある。

 そこへ通じる道だけ、泥を避けるように切石が並べられているのを見ると、ここを管理する者が滞在する用の建物だろうと推察できる。

 切石に付く足跡が乾いていることから、誰かが常駐している様子はない。


(朝晩だけ形ばかり見回って、あとは放置、ってところかな)


 後方を振り返ると、部下の数名を指で示し指示を飛ばす。


「監視塔と管理舎。書類や保管されている物品があれば記録。一応確認しておいて」


 指示された部下たちは敬礼を返すと、切石の続く先へと歩を進める。


 その様子を確認し、ジークフリートは本隊を率いて正面の広場へと向かう。

 足元は悪く、足をとられかねない。一歩足を下ろすその先を確認しつつ進んでいく。

 水はけの悪い道には無数の足跡と、車幅の狭い荷車の跡。更に、あまり大きくない偶蹄類の足跡が、点々と残る箇所がある。


(搬出にヤギかなにかを利用していたのか)


 来る前に立ち寄った集落では、ヤギが放牧されていたが、それが家畜目的ではなかったのかもしれない。


 道の横に簡素な雨よけの下に、藁が大量に詰まれている。横には空になった便所ツボが無数に転がっていた。


 労働者たちとも数名すれ違うが、彼らは黙々と仕事をこなし、帝国軍の一団がこの場所に来た。という事すらも目に入っていないようだ。

 目はうつろで赤く炎症し、皮膚は爛れている。他の事を考える気力すらもないのだろう。


 そこで働いている者はみな、布を巻き付けただけのような粗末なもので、足は裸足に近い。

 防護する衣服もただの布切れ一枚で、こんな不衛生な場所で作業をしていて、健康で居られるわけがない。


 ジークフリートは開けた場所に出ると、足を止め、全体へと指示を出す。


「各自、働き手の数、使われている材料、道具、建物の用途、記録を取るように」


 号令とともに兵たちは分かれて動き始める。

 ブーツの底にまとわりついた泥が、動き出した際にベチョと音をたててその場に落ちた。

 人は沢山ここにいるのに誰もが無口で、生き物の音はまるでせず、モノの音しかそこには無かった──


 ジークフリートは周囲を見回し、粘土壁の小屋の中へ入っていく。

 そこは通気性が悪く、臭気はより一層籠っている。

 その部屋にある樽の中には、人糞、尿、藁、灰、動物の死骸を交ぜたものが中に入っている。


 近くには、これから樽に入れるものだろう、満杯の便所ツボや、家畜の死骸が折り重なるように積まれている。


 その中には──()()()と見て取れるものもあった。

 

 それを確認すると、ジークフリートは眉間に皺をよせる。目を逸らすでもなく、ただその『かたち』を認識する。


(やっぱり……人も使っていたか)


 各処に散らばって、記録を取っている部下を呼び寄せる。


「ちょっと、こっち手伝ってくれるかな?」


 その声に集まってきた部下と、死骸が折り重なるように積まれているのを横にずらし、人であった遺体を並べた。


「この小屋にある遺体の数を記録しておいて」


 力作業が堪えたのか、ジークフリートはふぅと大きく息をつき、黒い革の手袋を脱ぐと、その場に立って目を瞑っていた。

 ひとときの後、開かれた瞳は並んでいる遺体へと向けられ、そのまま逸らされることはなかった──


 ドア付近で立ち尽くしていたアンネリーゼは、意識を飛ばしそうになりながらも記録を付けていく。

 先ほどまで隣にいた、リオラ曹長は人手の足りない場所に呼ばれて、手伝いに行ってしまっている。

 そのことで、どれだけ隣に誰かがずっといてくれるのが、有難いことだと身に染みて理解した。

 だが、そんな弱気になっている場合ではない。


(私は何のためにここへ来たのか)


 自分で決めてここへきている。そう心を奮い立たせる。

 文字を綴るたびに、隠されていた『事実』が刻み込まれていくようで、指先が強張る。

 

 記録を取りながら、ここへ来る前にみた硝石を、ふとアンネリーゼは思い出す。

 瓶の中で光に反射し、粉雪のように綺麗だった塊──

 何も知らずに『……綺麗』と言っていた自分。


(硝石は命を削るように作られていたのに……)


 自分が無知だった事をとてつもなく恥に感じ、目の奥が熱くなる。

 臭気は今もその場を支配している。瞬きするだけでも目に沁みる。

 目からこぼれる涙が、感情からなのか、その場の臭気からなのか、はっきりさせぬまま紙に記録を残していく──


 真上にあった太陽が傾きだし、その影を長くする頃、ひととおりの調査を終えて、一団は人工硝石所を後にする。

 

 木々に囲まれた細い道を歩く皆の足取りは重く、誰も口を開かない。

 沈黙とともに残されたのは、全身の汚れと、脳裏に焼き付いた光景だけだった──

最後まで読んでくださりありがとうございます。

彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。

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