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黒の矜持  作者: 川端マレ
第二部 エルデンシュトラ編
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第二十ニ話 対極・対局・大局

 エルデンシュトラの駐屯所は現在、帝国陸軍大佐ゲルハルト・ブロイアーの隊が滞在し、臨時の前線司令棟となっていた。


 各地で燻る諍いも、この隊が入ればいったん収まる。今は、そんな不安定な状態が続いている。


 その駐屯所の応接室では、ブロイアー大佐が無言でソファに腰かけていた。

 調査内容を纏めた書類に、不備が無いかの最終確認を行っている。


 筋肉質でがっしりとした体格は、応接室のソファを小さく見せる。

 赤毛の短髪を豪快にガシガシと掻くと、またすぐに紙束を捲り書類内容を確認していく。


 数々の前線を指揮し、大佐へ上り詰めた現在も、現場に赴く姿勢は部下たちの信頼を集めていた。


 もう間もなくジークフリート少佐が、この駐屯所へ互いの調査内容の擦り合わせにやってくる。


 確認していた紙束を、目の前のテーブルへパサッと置くと、腕組みをし、ため息をひとつ吐いた。


(さて……中央の"少佐殿"とやら、どんな貴族坊ちゃんだろうな)


 ブロイアー大佐は軍の階級として、ジークフリート少佐より上だ。

 だが、ジークフリートは公爵家嫡子、さらに公爵家の中でも、皇帝陛下の側近とも言われる伝統ある家系。

 少佐という階級以上の発言力がある。


 対するブロイアー大佐は、名誉で爵位を与えられた男爵家出身。

 二十歳の時に二等兵として『冬の門作戦』に参加をし、数々の死線を潜り抜け現在の地位を手にした。


(現場を守れぬ身分なんざ、ただの飾りだろうよ──)


 ブロイアー大佐は腕組みし、ソファの背もたれに体重を預けた。

 革のきしむ乾いた音が、静かな室内に小さく響く。


 その静けさを破るように、扉がノックされ、黒い軍服に身を包んだ若い男が静かに入室した。


 動きに淀みがなく、背筋は自然体のまま整っており、うっすらと笑みを浮かべた口元は、薄く弧を描いて閉じている。


 視線をブロイアー大佐へ向けると、折り目正しく敬礼をし、落ち着いた声色で名乗る。


「帝国陸軍少佐、ジークフリート・フォン・アイゼンブルク。エルデンシュトラ統治任務において、臨時指揮のため派遣されました」


 表情だけを見れば人当たりが良い、だが、目の奥には冷えた光が沈殿している。


 ブロイアー大佐は、観察するように目を細める。


(ああ……見た目だけで判断するなら、完璧に”出来すぎた青年将校”だな。その冷えた瞳の奥に、いったい何がある?)


「堅苦しい事は抜きだ。ようこそ、泥の最前線へ、アイゼンブルク少佐」


 そう言うと、テーブルを挟んだ目の前のソファへ促す。

 その指示を読み取り、敬礼をひとつ挟むと、ジークフリートはソファへ腰かけた。


 ジークフリートは張りつめた空気を破るように、軽く肩を揺らすと、人の警戒を解く温かみのある物言いで、話し始める。


「不手際のないよう動きます。以後、お手柔らかに」


 ジークフリートの笑みは無害そうだが、その腹積もりは読みにくい。


 ブロイアー大佐の眉間の皺はさらに深く刻まれ、目はまるで、相手の本心を射抜くように細められていた。


(形式上は階級に従うって事か、だが、いつでもひっくり返してやろうって感じだな)


 そんなブロイアー大佐の様子に臆することなく、ジークフリートは愛想のよい表情を浮かべる。だが、相手の力量を見定めようとする視線は鋭い。


「では、早速ですが、情報の擦り合わせを始めましょう」

「こちらが、我々が調査した内容の一覧です」


 そう言うとジークフリート少佐は、数枚束になった紙をテーブルの上へと差し出した。

 その様子を見ていたブロイアー大佐は、傍にある紙束をジークフリートの方へ寄せる。

 

 互いに差し出した情報と、調べ上げた情報を精査し始め、一刻後──


 大きな齟齬がなく、粛々と進んでいくかのように思ったその時、ジークフリートが、ふっと皮肉気に笑って口を開く。


「大佐も人を試すんですね。俺と同じだ」


 ブロイアー大佐は資料から視線を外し、ジークフリートを見やる。

 眉をひそめ、怪訝な顔で問い返すように黙っていた。


 ここから本題に入る。という合図なのだろう。ジークフリートは、鼻先で小さく笑みを零すと、試す目つきに変わり、今までの『好青年な将校』の仮面をとる。


「俺に宛てた手紙。それが硝石関係の資料の間にあった」

「誤魔化しはさせない。という意味なんでしょう?」


 先ほどまであった微笑はどこにもなく、無表情に鋭く、銀灰の目だけが冷たく光っている。


「それを俺がどう見て、どう動くか知りたいはずだ」

「でも、タダでは教えられない。俺を試したんだ、その代償は支払ってもらわないと」


 ジークフリートが支配しようとする空気を打ち消すように、ブロイアー大佐は豪快に笑う。


「ハハハ!机の中央に置くのを忘れただけだ。分かりにくくさせてすまなかった」

 

 それはまるで『試したつもりはない』と笑い飛ばし、代償を支払う必要もないと牽制しているようだ。

 そして、ひとつ息をつくと、大佐の声はそれまでより一段低くなり、重く囲い込むように放たれる。


「だが……知ってると分かった以上は、言い逃れをさせるつもりはない」

「弱い立場の人間を使って作る硝石を、中枢の人間はどう考えているんだ」


 相手の出方を探るようにブロイアー大佐の目つきは鋭くなる。


 空気の張りつめを破るように、ジークフリートは肩を揺らすと、穏やかに変わり、わずかに眉を上げて口元を緩めた。


(笑って無かったことにするつもりか、そうはいかないんだよ)


「そうだなぁ、ひとつ条件を飲んでもらう。それを約束してくれるならあなたに話す」


 ブロイアー大佐の口角がわずかに上がる。


(食えないやつだな)


 どこか呆れたように短く鼻を鳴らすと、その目は一切の油断を許さない。


「なんだ?内容次第だな。見合う代償なら飲んでやる」


 重苦しい空気の中、ジークフリートは口元をゆるく釣り上げたまま、まるで芝居でも打つかのように笑い出す。


「あはは、そりゃそうだ」

「まぁ、そんなに難しいお願いではないよ」


 愉しそうにした後、ふっと息を整えた。

 そして、冷たい表情に変わると、場の空気が張り詰める。


「俺が下すタラモンの民に対する処遇について、あなたは余計な口出しをしない」

「飲んでくれたら、俺の知る硝石の情報を渡すよ。どうする?」


 おそらくブロイアー大佐は、ジークフリートに対し人道的な将校という印象は持っていない。

 この問いは大佐にとって、タラモンの民を見捨てるに等しい選択と感じられるだろう。


(情報と人道……大佐は何を選ぶ)


 ジークフリートの表情は、どこか試す様に曖昧な笑みを浮かべているが、銀灰の瞳は鋭く大佐をとらえている。

 無慈悲な行いの予感がする言葉で、空気の密度が変わり、異質な沈黙が流れ込んでいる。


 ブロイアー大佐は顎をわずかに引き、目は相手の奥を射抜くように鋭くなる。

 前線の過酷さを物語るように刻まれた眉間の皺は、さらに深くなった。


(こいつ……やはり人道に背く行いをしに来ているのか……?)

(力を削がれたタラモンを、更に虐げるのか?)

(なにを考えてやがる……)


 思考を読ませないように表情を固定し、一言も漏らさず、ジークフリートの内面を測る。


 内面を測っているのはジークフリートも同じだ。

 考えを巡らせる隙は与えまいと、論理の積み上げを行って大佐の回答をせかす。


「このお願いは、大佐の不利益にはならないはずだけど?」


 『不利益』の言葉がまるで心外だったのか、ブロイアー大佐は圧のこもる声で答える。


「俺の不利益にはならないな。だが、それを見過ごすのは矜持に反する」


 その言葉を受けると、ジークフリートはまるで役でも演じるように肩をすくめると、淡々と終話へ向かっていく。


「残念。交渉は決裂だ」


 テーブルに散らばっていた書類を、無駄のない動作でまとめる。

 その指先は、交渉の終わりを静かに告げているかのようだった。


「あなたに硝石のことは話さない」

「大佐はこのまま、大きな暴動が起きないように動く」

「役割分担でお互い干渉なしだ」


「でも──」 ふっと眉の緊張を解き、本心をわずかに見せる。


「あなたも、俺も。証拠隠滅目的で動いているわけじゃないのは分かった」

 

 軽やかに表情を崩したその顔は、納得しているように見える。


 ブロイアー大佐はソファの背もたれに身体を預けると、深くため息をついた。

 目尻に生まれた小さな皺が、呆れたような、それでいてどこか温かな色を添えていた。


「お前の相手をするのは疲れる」

「何を企んでいるのか、吐き出させたかったんだがな。ははは」


 ジークフリートは手元の書類を揃える動きをふと止め、わずかに表情を緩める。


「あなたが一番知りたかったのは、俺の人間性じゃないの?俺はそうだったけど」


 小さく息を抜くように笑った後、言葉の余韻が部屋に静けさを落とした。


 この土地で何が最も必要なのか──


 硝石はあくまで出来事のひとつに過ぎない。

 根源にある「人間」を見極めなければ、この先へは進めない。

 

 ジークフリートが人道に背く判断をした時、大佐は確実に動くだろう。

 その覚悟と度量を、今回は確かめておきたかった。


 何より、ジークフリートが試しているのは『この地を任せるだけの器の人間か』それが一番重要だった。


 ブロイアー大佐の視線がジークフリートに向けられ、その目にわずかな評価の色が浮かぶ。


「お前、思ってたよりしたたかだな。だが──そうじゃなきゃ、上なんざ務まらん」


 ジークフリートは、その言葉を受け取ると小さく笑う。

 そして、ソファから立ち上がり、再び好青年の仮面をかぶると、敬礼を添えた。


「本日は時間を作ってくださり、ありがとうございます」


 再度、軽い敬礼を添えると、無駄のない足取りで部屋を後にする。


 扉が静かに閉まったあと、ブロイアー大佐の口元が緩む。それは戦場に生きた者の短く静かな笑みだった──


最後まで読んでくださりありがとうございます。

彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。

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