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黒の矜持  作者: 川端マレ
第二部 エルデンシュトラ編
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第二十話 二種の普通

 エルデンシュトラ領内の北部から、南下するようにジークフリート率いる第十三特務大隊の本隊は進んでいく。

 悪路が続く坂道を登りしばらくたつと、タラモン民族の住む地域に入る。


 北部のこの地域は、地層的にも鉱物の産出が見込め、それで生計を立てている者が多い地域だ。

 家屋の横には黒く汚れた衣類が干されている。

 奥の精錬所からは黒い煙がもくもくと登り、ここ一帯の空気はどこも煤けて息苦しい。


 道に面している通りの民家の窓からは、住人がこちらを見ていた。

 だが、武装した兵士たちが、目の前を通る頃にはサッと布を引き身を隠す。


 簡素な石の民家が点々と続き、道は土を踏み固めた粗悪な状態で、水はけが悪い場所には水たまりが出来ている。

 端はぬかるんだ泥道で、荷車のわだちが深く刻まれていた。

 少し開けた場所に出ると、住民の食糧用だろう、小さな畑に根菜類やソバが植えられていた。


 部隊は小一時間ほどの行軍ののち、粛清された貴族の屋敷がある南東の丘陵地帯へと足を踏み入れた。

 地図で見るとエルデンシュトラの東側だ。

 タラモンの中枢のナーヴァル議会もこの東の地域で行われている。


 東の区域に入ると、空気ががらりと変わる。


 見た目的にも帝国地方の集落と変わりなく、屋外に干された洗濯物の衣類を見ても、通常の民と遜色無いようだ。

 道は一部が石を埋めて舗装されている。

 おそらくここは粛清された貴族がよく使っていた道なのだろう。

 

 屋敷の前に将校用の馬車が到着すると、少尉を筆頭に数名の先発隊が敬礼をした状態で出迎えていた。


「第十三特務大隊先発隊、待機完了。アイゼンブルク少佐の到着を確認。」


 将校用の馬車からジークフリートが降り、少尉の号令に耳を傾ける。

 整列した兵たちは微動だにせず、視線をまっすぐ前に向けていた。


「ご苦労様」

「なにか変わりはあったかな?」


 ジークフリートの落ち着いた声に、少尉は姿勢を正したまま応じる。


「二日前、ブロイヤー大佐が、屋敷の現状確認で滞在していました。」


 それを聞いたジークフリートは、目に表情をともさず、唇の端だけ小さく笑む。


(信用されてないなぁ)


 それも分かり切っていたことなのか、特段気にすることもなく少尉に伝える。


「ブロイアー大佐への手紙を用意するから、それを届けてくれないかな?」

「半刻後には用意しておくから、ここの屋敷の……そうだな、執務室に来てくれる?」

「二階の南の奥にあるよね、執務室」


 事前に貴族の屋敷の間取りを確認していたのだろう。図面はジークフリートの脳内に収められているようだ。


 少尉は緊張しながら姿勢を正し、返事を返す。


「承知しました」


 ジークフリートは様々な確認が終わると、リオラ曹長とアンネリーゼを手招きし、屋敷の玄関へと歩き出す。

 二人は、そのままジークフリートの後について屋敷に入っていった。


 後ろでは、隊への指示に動き回るハインリヒの姿があった──


 屋敷の豪奢な玄関ドアを開けると、繊細な彫刻を施したような階段が正面に見える。

 一歩足を踏み入れた瞬間、鼻をつく臭気にアンネリーゼの足が止まる。


(なんだろう……この匂い……)


 今まで嗅いだことのないような、すえた、鼻につく重たく湿った臭気。

 それは濡れた鉄と、古くなった油のようなものに酸っぱさが含まれている。


 ジークフリートとリオラ曹長は、何も感じていないかのように、歩みを進める。


 匂いの正体を掴もうと、アンネリーゼは鼻をスンスン鳴らし、視線を漂わせるが、見た目には綺麗な屋敷として映る。


 歩みを止めることなく、ジークフリートは二人に話しかける。


「二階は比較的、綺麗に保たれてるみたいだから、二階の客室を二人で使うといいよ」

「地下は、まだ埋葬していない遺体がゴロゴロしているらしいから、あまり行かないほうがいいね」


 アンネリーゼはその言葉で、この臭気の正体が分かる。


(遺体がゴロゴロ……沢山の人がここで亡くなっている……)


 その事実にアンネリーゼは、目の奥が熱くなるのを感じる。

 ギュと目をつむり、それ以上感情がこみ上げないようにこらえた。

 胸に手を当て息を整えると、自分が何のためにここへ来たのか、自分が決めてきたのだろうと奮い立たせる。

 気持を落ち着かせた所で、身体症状は出てしまい、指先はカタカタと震えが止まらない。

 それを止めるように手で押さえ、必死に足を前へと運び、二人についていく。


 前を行く二人をみて、これは”普通”の事なのだろうか、どうして”普通”でいられるのだろうかと考える。


「慣れているんですね……二人とも」


 アンネリーゼは、そうぽつりとつぶやく。

 自分がその場で、不釣り合いなほどの理想主義者に思えてしまうのだ。


 そのアンネリーゼの独り言のような問いかけに、ジークフリートは階段を上る足をとめた。

 眉をあげ一瞬驚いている様な表情をした後、いつもの微笑にもどり、話しかける。


「これが”普通”でいられるようになったら、もうそれは、普通の人間じゃない」

「あなたはそのまま、俺にその普通の感情を教えて?」

「普通の人がどう思うのか知りたいんだよ」


 視線が合うか合わないかの数秒見た後、ふっと息を漏らすように笑うと、すぐに前へと向き直った。


 その言葉と態度の意味が分からなく、アンネリーゼは眉間にしわを寄せ、考えながら階段をゆっくりと登っていく。


(普通を知りたいって、どういう理由なんだろう……)


 階段を登りきると、ジークフリートと別れ、リオラ曹長とアンネリーゼは客室へと向かった。


 二階の奥は先ほど感じていた臭気は無い。

 ホッとするが、それでもここであった事実は消えていない。

 ただその痕跡が今は感じなくなっただけなのだ。

 そう考えると、また落ち込んでしまう。


 落ち着かない表情の揺れを、見ていたリオラ曹長は心配そうに声をかける。


「初めてだよね?こんなに沢山人が亡くなっている場所。それが普通の反応だから」

 

 アンネリーゼは、気を遣わせてしまったんだと分かり、必死に取り繕った笑顔を作ろうとする。

 だが、どうしてもその笑顔はひきつってしまう。


「うまく誤魔化せないですね……」


 その言葉を受け取り、リオラ曹長はこれからもっと惨い現実を見た時。

 アンネリーゼが、心を疲弊してしまうのではないかと心配する。


「誤魔化せなくて、そのまま受け取る方が辛いよね」


 先ほどのジークフリートの『普通の感情を教えて』という言葉が、どれだけアンネリーゼにとって過酷なのかを思わず考えてしまった。


「少佐の言う事は真に受けず、あなたの変わりたいように変わったらいいと思う」


 アンネリーゼはリオラ曹長の気遣いに、有難みを感じつつ思うのだ。


(普通の人間の私が、できる事はなんだろう……)

(できること……変えたいと思っていること……)


 ──父マティアスが選んだ圧政の果てに、何が壊れ、何が守られたのか。

 タラモンの人々の『今』を、自分の目で知りたい。


 通訳は言葉をつなげる。でも、言葉だけでは届かない。

 通訳者だけじゃなく、媒介者として……


(争わずに進む道を探したい)


 そう思いながら、彼女は胸の奥に小さな決意を芽生えさせていた。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。

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