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黒の矜持  作者: 川端マレ
第二部 エルデンシュトラ編
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第十六話 数と命の天秤

 アンネリーゼは軍務局資料局に務めてから、年に数回は公式会談の通訳として、首都から離れることがあった。

 だが、今回のような軍務での同行は初めてである。

 どうしても不安がつのってしまい、無意識に眉間にしわを寄せてしまう。


 ヴァルディナ帝国の首都イーゼンブルクから、東南の山岳地帯、エルデンシュトラへ向かう道中。

 首都に近い区域はガス灯が等間隔に並び、道幅も広く整備されている。

 石造りの建物が並ぶ秩序だった町並からは、市民生活が一定水準を保たれていることが伺えた。


 しかし、中心部から離れてゆくと簡素な建物が増え、人通りも減り寂れた空気を感じる。

 整えられた石畳はやがて砂利になり、さらに進めば車輪の通行も困難な、固めた土の悪路へと姿を変える。


 帝国の領土は広大で辺境へ進むと、幾つもの民族の集落が点在しているのが見えてきた。

 そこに建つ建物の様子で、中央と辺境の生活水準の格差は明らかだった。


 窓の外の移ろいゆく眺めに、視線を投げるアンネリーゼの表情には不安が浮かんでいる。


 そんな様子に気がついたのは、ジークフリートの命令で、護衛任務を与えられたリオラ曹長だった。


 彼女はアンネリーゼの肩を軽く叩くと、気さくな人柄がにじむ笑顔で話しかける。


「アンネさん。……あっ、そう呼んでもいいかな?馴れ馴れしい?」


 リオラ曹長は二十代後半の落ち着きがある。それでいて、声の調子は快活で朗らかだ。

 その明るさに、アンネリーゼの緊張も和らぎ、不安気な表情が晴れていく。


「ぜひ!そう呼んでくださるなら嬉しいです」


 出会って間もない二人だったが、会話を交わすうち、まるで旧知の関係のように打ち解けていく。


 悪路に揺られながら世間話を続けていると、やがて馬車が止まり、コンコンとノック音が車内に響いた。

 

 ドアが開き、ハインリヒ大尉が顔を覗かせると手短に伝言を伝える。


「現地到着後の予定を伝える。将校用の馬車へ移動を」


 それだけ言い残すと、ドアはパタンと閉められた──


 将校用の馬車は、向かい合う様に座席が設けられ、小さいテーブルが備え付けられていた。

 テーブルの上には資料なのか、羊皮紙が重ねられている。

 奥の座席には、ジークフリート少佐とハインリヒ大尉が既に着席していた。


 空いている座席に、アンネリーゼとリオラ曹長が着席すると、ジークフリートは話し始める。


「エルデンシュトラに着いたら、屋敷内での調査から入る。通訳の仕事は当面無いだろうね」


 アンネリーゼは、早速の戦力外通告かの物言いに、伏し目がちになり表情に影が落ちる。


 その様子を見ながらもジークフリートは、気にせず業務内容を告げていく。


「けれど、あなたには他に、やってもらいたい事があるんだ」

「軍務資料局員として、今回の遠征の記録をとること」


 少佐は、当然出来るよね?という笑顔でアンネリーゼを見ている。

 

 アンネリーゼは、軍事遠征での現地の記録をとったことはない。

 だが、持ち帰られたものを纏める仕事は、何度か経験した事がある。


 アンネリーゼの不安そうな表情を見て、リオラ曹長がジークフリートに質問をする。


「少佐。伺ってもよろしいでしょうか?」


 ジークフリートは普段通りの飄々とした笑顔で「どうぞ」と答える。


 リオラ曹長が、ジークフリートへ質問をするのはかなり珍しい。

 緊張からゴクリと唾を嚥下して言葉を出す。


「現地では激しい衝突等は、確認されているのでしょうか?」


 戦地を経験したことのない、アンネリーゼを気遣っての質問なのだろう。


 リオラ曹長はジークフリート少佐を、上官だからだけではなく、彼自体を苦手としていた。


 上下関係の厳しい軍。さらに、少佐は表面で見える表情と思考が乖離している。

 つかみ所のない上官ゆえ、リオラ曹長にとって何が正解なのかを、毎回突きつけられているようで、心が休まらないのだ。

 

 ジークフリートはそんなリオラ曹長の、居心地の悪そうな様子を横目でみつつ回答する。


「いや?今の所、民間の小競り合い程度だね」

「俺が行くことで、激しい戦闘に変わっちゃうかもしれないけど。あはは」


 少佐は笑っているが、言葉の意味からその場の空気は冷えきる。

 そんな下がり切った温度を気にもせず、ジークフリートは続けて話す。


「まぁ、民間の小競り合いは、別の隊が動いているようだから心配はないかな」


 ジークフリートは組んでいた脚を組み替えて、涼しい表情をしている。


「あなた達が関わるのは、タラモンの方の問題だ」

「こっちはどの将校も対応できないし、嫌がっている」

「その位、面倒な任務なんだよ。あなたも責任重大だね」


 アンネリーゼにタラモンの通訳を、打診したのはジークフリートだ。

 最終的に任務を引き受けたのは、アンネリーゼの意思。

 だが、その実、選択肢はあるようで、アンネリーゼの性格では断ることが出来なかった。


 その一端を担った、ハインリヒも複雑な気持ちになる。


(真実にしろ、伝え方はあるだろうに……)


 内心そう思いつつも、表情はいつもの通り無表情を貼り付けている。


 ジークフリートは眉をひょいとあげ、そのまま世間話をするように続ける。


「何より、どう対処したにしろ、過去の皇帝陛下の判断を反故にしたとみなされたら、処罰を受ける」

「こんな任務、誰もやりたくないよねぇ」


 ジークフリートは相変わらず笑みを浮かべていたが、胸中では乾いた結論を繰り返していた。

 

(やらなきゃ、代わりの誰かがやるだけだ)


 ふぅと余計な邪念を振り払うように溜息をこぼすと、アンネリーゼへの話は済んだのであろう。

 ジークフリートは正面に座るハインリヒへと顔を向ける。


「ハインリヒ。ナーヴァル会議への参加打診、タラモン側から返事は来た?」


「いえ。まだです」


 ジークフリートは無意味に指先でテーブルを叩き、気のない笑みを浮かべる。


「ああ、そう」

「話す気がないのかなぁ。立場分かってもらわないと困るんだよね」


 小さく息を吐くと、窓枠に肘をつき車窓の外に視線を移した。

 普段通りの穏やかそうな表情のままで、外の景色を楽しんでいる様子からは、発言の意図は読み取れない。


 その姿を、アンネリーゼは横目で見ながら、掴みどころのない人だと改めて感じた。


(どういう意味なのだろう……)


 彼女の考えうる範囲の中に答えはなさそうで、隣のハインリヒ大尉の表情を見るが、彼もまた無表情で何を考えているのかわからない。


 アンネリーゼは、遠慮がちに質問をしてみる。


「あの……ひとつ伺いたいのですが」


 その問いに、ジークフリートは窓枠に頬杖をついた状態のまま、目線だけアンネリーゼへ向けて「どうぞ」と答える。


 柔らかい声色の返事に安心しつつ、アンネリーゼは質問をする。


「会談自体が出来ない場合、どうなるのですか?」


 ジークフリートは目を細め、ふっと笑った。その笑みには、どこか試すような色が混じっていた。


「ああ、根絶しなきゃいけないね。って事だよ」


 時が止まったかの様な感覚の後、アンネリーゼは『根絶』の言葉に絶句する。


 ハインリヒは、そのやり取りに一言も挟まず、まるで車輪の音に耳を傾けているかのようだった。

 我関せずに徹することで、任務として割り切っている。

 

 車内のごちゃ混ぜになった空気を統一するように、ジークフリートは淡々と説明し始める。


「あの地が従順でいてくれていないと、困るんだよ」

「不凍港グローテハーフェンへの通り道だからね」


 帝国の中心地から東南に、要の港街グローテハーフェンがある。

 寒冷地において不凍港は重要なのだ。


「反抗されると、ヴァルディナ帝国民の四千万の生活をまもれない」

「タラモンの民四万と、他の民四千万の生活。どちらを選ぶべきか明白だよね?」


 曖昧にして放置しておけば済む、なんて単純なことでは無い。

 『数』という明白な線引きで判断する。


「タラモンが拒絶するのに放っておく義理はない」

「話が出来ないってそういう事だよ」


 まるで他人事のように肩をすくめ、声も出さず笑っているような目つきをしていたが、些事にする事で納得しているようだった。


 アンネリーゼは、眉間にしわを寄せたまま考え込んでしまった。


(タラモン四万と帝国四千万。……まるで命を天秤にかけるような選択)


 数でみればそうなのかもしれない……でも納得はできない。

 だからって、拒絶した態度の相手に、こちらだけが下手に出る義理が無いのもわかる。


 現状、話し合いすらできない程に溝があるなら、その溝はどうやったら埋まるのだろう……

 こちらが出来る事、アンネリーゼが出来る事は何なのか。

 どうにかならないものなのだろうか、と必死に考えるが良い答えも見つからない。


 タラモンの人たちの事、今の彼らの様子は分からない。

 自分が置かれている状況で今出来る事は……少しでもジークフリート少佐に、タラモンの人たちと話し合う機会を模索して貰えるように訴える事だ。


(タラモンの人たちも、同じヴァルディナ帝国の民……)

(同じ扱いを受ける権利はあるはず……)

 

 すぅっと息を吸い込むと、アンネリーゼは窓外の景色を楽しんでいるジークフリートへと、願う様に言葉をかける。


「人の命は、数で区別できるものなのでしょうか……」


(数は少なくても一人一人に想いはある)

(少佐にもそういった、大切な人がいるはずだ)


 誰かの敵は、誰かの大切な人。

 それを数で線引きし、割り切る事はあまりにも残酷だ。


「これでは、存在しているだけで罪に問われているようで……」


 こんな感情から出る言葉を、ジークフリートに言った所で意味は無いのかもしれない。

 それでもアンネリーゼは伝えずにはいられなかった。


(誰もが平等に仲良くなんてできないのかもしれない。それでも……)


「どうにか話し合いが出来るように模索したいです」


 アンネリーゼはそこまで言うと、それ以上何も言わず、ただ黙ってうつむいた──


 ジークフリートは彼女へと向けられていた視線を、再度窓の外に移し、誰に聞かせるわけもなくこぼす。


「存在しているだけで罪ねぇ……」


 ジークフリートの瞳は窓外に向けられていたが、そこには何ひとつ映していなかった。

 まるでその問いを、自らに投げ返しているかのようだった──

 

最後まで読んでくださりありがとうございます。

彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。

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