第十五話 行政の麻痺
エルデンシュトラの地では、三十余年に渡り統治していた伯爵が粛清されたことで、行政の最終決定権が不明瞭となり、各地で混乱が広がっていた──
この地は帝国から移住してきた者、元々住んでいたタラモン民族が混在する地域だ。
公的機関に従事する者は、全て帝国からの移住者たちが取り仕切っている。
飼いならされることに慣れ過ぎた人間は、判断を任されたときに行動できず、現地では小競り合いが頻発していた。
行政は役目を果たさず、現地警備団も責任を避けて動こうとしない。
悪巧みをするならず者たちには、都合のいい無法地帯となり窃盗が横行し闇市は賑わう。
治安の悪化に一般市民は怯え、日常に陰りが差していた──
第十三特務大隊本隊は、今朝出陣し、郊外を超えたあたりだ。
ジークフリートは出発時、騎乗で隊を導いていたが、途中でハインリヒと共に将校用の馬車へと移る。
車内に用意されていた羊皮紙の束に視線を落としつつ、ハインリヒの報告に耳を傾ける。
「現地、最新の報告です」
「先発隊は予定より早く、本日夕刻には現地に到着し、伯爵邸を軍事転用する準備に着手します」
いつもと変わらぬ調子で、淡々と報告するハインリヒに、ジークフリートは相槌を返していく。
「わが隊は優秀だなぁ」
口角をあげて言葉穏やかだが、そこに感情は入っていない。
軍務報告の時はいつもそうだ。
発する言葉に意味はあっても、感情は無い。
それを知っているハインリヒは淡々と報告を続ける。
「現地警備団は、形ばかりの詰所を構えているだけで、住民同士の諍いが起きています」
「また、小規模ですが、帝国管理の駐屯兵へ襲撃があり、負傷者が数名出ていると報告を受けています」
負傷の報告を受けてもなお顔色を変えず、ジークフリートは必要な情報を求める。
「双方の被害状況は?」
紙束を数枚めくり、ハインリヒは返答する。
「襲撃を謀った者、計三十二名はその場で処理されました。駐屯兵側は重傷者三名、軽症者八名です」
装備差が歴然なのだろう。
それでも行動せずにいられないのは、日頃の苦しさの表れだ。
ジークフリートの眉間にしわが寄るが、それを指先で抑える。
封じ込めている感情が浮き上がってくるが、それをフッと呼吸と共に吐き出し、再度冷静な仮面を貼り付けた。
それは周囲から見れば、小さく息を漏らし、笑みを零したように見えただろう。
淡々とした調子を崩さず、確認作業を続ける。
「そう、大規模な混乱はまだ起きていないのかな?」
正確な指さばきでハインリヒは報告書をめくる。
「はい、責任を嫌がる彼らの代わりに、ブロイアー大佐の隊が動いております」
ジークフリートは現地の混乱を想像し、皮肉を込めて笑みを浮かべる。
誰かが盾になるうちは強く出るくせに、自分自身で責任を取る立場になると、皆がそれを押し付け合う。
実に滑稽だ。
「なるほどねぇ」
「まぁ、大佐クラスの軍が動いていると、ならず者も迂闊には騒げないんだろうね」
ブロイアー大佐の隊が動いていなかった場合、誰がそれを抑えたのか。
おそらく誰も動かないであろう。
そして、そのしわ寄せを受けるのは弱い立場の人々だ。
ジークフリートの表情はいつもと変わらず、飄々としている。
だが、瞳の中に沈んだ灰色は冷たく張り付いていた。
ハインリヒは、チラっとジークフリートの表情を確認すると、次の報告へと移る。
「あと、流通や資源の生産活動にも支障が出ています。こちらは財政管轄なので介入が難しいようです」
ジークフリートは、読み終えた羊皮紙を脇のテーブルに置くと、背もたれに体を預け腕を組む。
「ブロイアー大佐は男爵だからね、政治や財政判断に関われない」
「衝突がまだ、小規模で済んでいるのが不思議なほどだ」
一通り情報の確認を終えると、ジークフリートは揺れる馬車に身を預け、目を閉じた。
そのまま思考の渦に任せ、根本の原因である皇帝陛下の、粛清について考えを巡らせていく──
一年程前から、皇帝陛下の粛清判断が明らかに変わった。
以前よりも、軽率に、機械的に粛清を行うようになっているのだ。
その答えはまだ掴めていない。
(思い過ごしか……?)
まだ以前は、証拠を揃えてから粛清が執行されていた。
最近は特に、証拠不十分な状態で身柄を拘束し、口を割らせることで粛清の理由を後付けている。
そのような印象を持つことが多くなった。
今回粛清された貴族も、帝国軍を通さず皇帝陛下の私兵により身柄を拘束され、最終的に『人身売買の疑い』で処罰されている。
何か変わったきっかけがあるのか……
或いは、ただ単純に人心を失った存在に成り果てたのか……
皇帝陛下には後継の血筋が不在だ。
全てを皇帝の血と共に、破滅へと道づれにしようとしているのか──
(地獄に堕ちるなら、一人で行ってほしいんだけどなぁ)
心の中で、毒づいて見せるも、本心は正直に身体症状となって現れる。
ジークフリートは広げた手のひらに視線を移す。
無意識に握りしめていた手のひらは白く、血の気を感じない。
その白さを数呼吸分、ただぼんやりと眺める。
しばらくすると、次第に指先から赤みがさしてくる。
無意識に強ばっている自分に対し、自嘲するように短く息を漏らすと、そのまま感情を押し込め無表情を取り繕う。
皇帝陛下の本当の思惑は断定できない。
エルデンシュトラは帝国にとって、重要な硝石鉱山を抱える地域。
そこの伯爵貴族を処すれば、影響が甚大になる事は解っているはず。
さらに、表には出されていない『根絶』命令、そしてそれを回避した『圧政』という代替案。
そのどちらも帝国中枢としては、不都合な真実である。
それをうまく処理できる人間は少ない。
(──陛下は最初から、俺がこの地へ出兵することを見越していた……?)
アイゼンブルク家は代々、軍務において皇族の右腕として機能してきた。
ジークフリートはその嫡子であり、少佐の中でもトップの軍実績がある。
つまり『発言力』と『機動力』を兼ね備えた存在だ。
皇帝陛下にとってはまさに──汚れ仕事を任せるにはうってつけの駒なのだろう。
命令か、血か、或いは己の意思か──何がジークフリートを縛り付けているのか。
(俺に、何を任せ、判断させようとしているんだ……)
詰めていた思いを吐きだすように、ふっと息を漏らすと、ジークフリートは視線を窓にやり思考を止めた。
流れる景色をただぼんやりと眺める──
先を進むと点在していた民家も消え、代わりに手つかずの木々が広がり道を細くする。
足元が悪路に変わる頃、太陽は真上からゆっくりとその身を傾けだしていた。
密度を増してくる木々を避けるように、隊列はその進路を突き進んでゆく──
最後まで読んでくださりありがとうございます。
彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。




