第十二話 探り合い
夜の間、包み込んでいた霧は東から登る太陽によって、ゆっくりと薄れ、過去の見えなくなっていたものを照らすように道を開く。
出兵当日、ヴァルディナ城の南方、軍区画は既に人と馬の気配で満ちていた。
軍務室の詰所。その中でジークフリートは、出兵前の最終チェックを行っている。
彼の手の動きは無駄がなく、時折朱を入れ、淡々と次の文面へと流れていく。
ドアを隔てた壁のむこうでは、兵士達の号令が微かにきこえていた。
その空間にトントンというドアをノックする音がすると、続いてハインリヒとアンネリーゼの姿が現れる──
ハインリヒは敬礼をした後「少佐、通訳官を連れてまいりました」と言い、横に半歩移動する。
ジークフリートはその言葉に、書き物をしていた手を止め、顔を上げた。
「うん、ありがとう」
ハインリヒを見た後、その奥にいるアンネリーゼへと視線を移す。
「あなたがアンネリーゼ・リヒタール君?」
ジークフリートの表情はいつもの様に柔らかい微笑。
だが、その眼差しは内心を測るように研ぎ澄まされていた。
アンネリーゼは、視線の圧を感じながらも挨拶をする。
「お初にお目にかかります。軍務資料局員、アンネリーゼ・リヒタールです」
背筋を伸ばしたその姿は、職務を忠実にこなそうとする気構えがある。
軍人と話しをするのは慣れていないのだろう。アンネリーゼが緊張しているのが見て取れる。
ジークフリートはそんな様子もお構いなしに、言葉にする。
「あなたに伝えておくことは二つ」
「一つ目、余計な事に首を突っ込まないこと」
「二つ目、通訳は意訳を含まず正確に行うこと」
そこまで言うと、ジークフリートはアンネリーゼの様子を観察する。
アンネリーゼの身体の前で重ねられた手にキュっと力が入る。
「心得ています」
声は凛としてはいるが、アンネリーゼの指先は緊張からか小刻みに震えている。
アンネリーゼは、役割を逸脱して伝えるなどするつもりはない。
ましてや、今回のタラモンの一件は、自分が出しゃばれるほど簡単な物ではないと分かっている。
そのアンネリーゼの様子をみてジークフリートは、最初はこんなものかと思いつつ、アンネリーゼに問う。
「なにか、聞きたいことがあるならどうぞ」
そう言いながら組んだ指先の上に顎を乗せ、にこやかに話しかける。
自分の考えなど言う事はない。そう思っていたアンネリーゼは、驚いた様子を見せる。
言いたい事は沢山ある。
ハインリヒ大尉の身の上を利用して、アンネリーゼに打診してきた事。
父親のマティアスの心情も察していただろうに話をすすめた事。
人の心がないのかと、言いたいことは沢山あるのだ。
だが、ジークフリートは、少佐として立ち回っただけの事だとアンネリーゼも理解はできる。
そしてそんな事を今、業務の中で言うべきことではない。
(今言うべきことは……)
アンネリーゼは考え、控えめに話し始める。
「あの……ひとつよろしいでしょうか?」
ジークフリートはニコリと頷き「どうぞ」と、どんな言葉が出るのだろうと、楽しみにしているようだ。
許可を貰い、緊張したままアンネリーゼは話し始める。
「私はタラモンの人達に、言葉を届ける役目を仰せつかっています」
「彼らに正確な言葉を届けたいです」
「アイゼンブルク少佐が、とても計算されて行動される方だと分かりました」
「相手へ正確にこちらの考えを伝えるために、アイゼンブルク少佐のお考えを、私にも共有していただくことは可能でしょうか?」
アンネリーゼの言葉を、面白いとでもいうように聞いていたジークフリート。
「あはは、なるほどね?」
「じゃぁ、とりあえず今の考えを共有しておこう」
そこまで言うと、視線が鋭くなり、その場の空気も冷たくなる。
ジークフリートは、アンネリーゼがどこまで覚悟を持って、任務を引き受けたのか試してみたくなり、尖った言葉を出す。
「俺はあなたを信じていない」
そう言うと、ふっと笑い頬杖を付き、ジークフリートはアンネリーゼに興味深げな視線を送る。
その言葉にアンネリーゼは、一瞬表情が固まるがそれをすぐにしまいこんで、コクリと唾を飲み込んだ。
最初から信じてもらい、何事も上手くいくとは思っていない。
だが、面と向かって言われると、寂しさと悲しさがあるのも事実だ。
姿勢を正した状態のハインリヒは、そのやり取りを、ただ無表情に視線も動かさず聞いている。
(少佐、相変わらずだな……)
そう心で思いつつアンネリーゼに同情する。
ジークフリートには思惑がある。
こんな事で打ちのめされていたら、この先やっていけないだろう。
それを試す一言を投げかけ、アンネリーゼがどう出るのか。
彼女は自分とは真逆の人間だろうと思っている。
そういった人間がどの様な言動をするのか、これから先通訳を任せる時に、その人間性を把握しておきたいのもあるのだ。
アンネリーゼはジークフリートの視線の意味を、自分なりに理解しようとするが、慣れない状況に緊張が止まらない。
落ち着かせるように、息を静かにふぅ……と細く長く吐くと話し始めた。
「すぐに信用して頂けないかもしれません」
「信用されるには、実際に私の行動を見て、判断して頂かないといけません」
「ですので、アイゼンブルク少佐の視察などに、私を連れて行っていただきたいです」
「タラモンの人たちとの会話を通じて、現地の人がどう思っているのか、私は知りたいです」
「知った上でアイゼンブルク少佐に、タラモンの人たちの言葉を届けたいと思っています」
視察では危ないことも多い。
ナーヴァルとの公式会談での通訳で充分だろに……と思うハインリヒは、視線をチラっとアンネリーゼに向ける。
ふーん。とでも言いたげな表情をした後、ジークフリートは言葉を出す。
「視察の同行ねぇ」
「あなた、初任務で視察についてきて大丈夫?失神しても、俺はおぶってあげないからね?」
その言葉を聞いてアンネリーゼは、自分が無謀なことを申し出てしまったのかもと考える。
(私が倒れたりしたら迷惑が掛かっちゃうんだ……)
思いつめた表情のアンネリーゼをみて、ジークフリートはからかう様に笑う。
「あはは、真面目だねぇ。危ないほどに真面目だ」
「そうだなぁ、そんな真面目なあなたには、やかましいリオラ曹長を護衛でつけてあげよう」
そういうと、害の無いような笑顔でアンネリーゼを見つめる。
視線を受け止めたアンネリーゼは、ますます自分がお荷物になってしまっているのでは?と不安を抱えながら言葉にする。
「護衛……ですか?」
「そう、彼女は力持ちだからね。これで心置きなく倒れてくれて問題ないよ」
アンネリーゼの不安な気持ちもお構いなしに、ジークフリートは対策を進める。
「まぁ、あなたの考えは分かった。視察の同行を許可しよう」
その言葉を聞いてハインリヒは、ジークフリートを一瞬みるが、すぐに視線を正面に戻す。
(少佐……本気か?いや、本気じゃなかった事など一度もない)
ジークフリートはハインリヒをチラっと見ると、その考えを見透かすようにふっと冷笑を送る。
そして、アンネリーゼへ視線を戻すと続けて話し出す。
「ただし、あなたが邪魔だとなった場合は、それ以降の同行は認められない」
「血なまぐさい所を見るかもしれないのに、覚悟できてる?」
言葉は試すように鋭くなる。
アンネリーゼはその圧で、無意識に額の横から冷や汗が出るのを感じるが、ここで心を折っていては、現地で何もできないだろう。
空想でしか知らない自分の考えは、甘いのでは?という不安もある。
現地で実際に目にした時、自分は耐えられないのではないか?と恐怖もあるのだ。
だからといって今ここで『実際見たら、出来ないかもしれない』なんて予防線を張るのは無責任では?とも考えている。
大丈夫なのだろうか?耐えられるのだろうか?色々な思考がぐるぐる巡り、手の震えも止まらない。
それでも言葉を振り絞って出す。
「私には経験が足りません。軍への同行は今回が初めてになります」
「不安が無いと言えば噓になります……」
「ですが、経験の機会を乗り越えなければ、いつまで経っても知らないままです」
「理想論かもしれませんが、覚悟はしています」
震えていた手は、語り終える頃には静まっていた。
自分の言葉で、自分の覚悟を確かめたように──
「そう。わかった」
「とりあえず、失神しそうになったら、リオラ曹長に助けてもらえばいいよ。あはは」
ジークフリートにとって、軍人でもないアンネリーゼの、失神や経験不足による失敗など、どうでもいいのだ。
「ハインリヒ」
突然呼ばれたハインリヒはピクッと眉を動かすが、すぐに無表情を保ち「はい」と返事をする。
「アンネリーゼを、支援部隊で使っている馬車まで案内してあげて」
そう指示をすると、アンネリーゼへ視線を移し、ニコニコと話かける。
「これでもあなたには期待しているんだ。頑張ってね?」
と言うと、もう話は終わりなのだろう。ジークフリートは手元にある書類に視線を落とし、確認作業を再開する。
ハインリヒはアンネリーゼに目配せすると、手でドアを促し「案内します」と誘導すると、退出まえにジークフリートへ軽く敬礼を送り部屋を出る。
その様子に、ジークフリートは軽く手をあげ答えるが、目線は書類を追っている。
軍務室の詰所に一人残ったジークフリートは、紙束を追いながらも別の事を考える。
(マティアスから聞いていた印象と、ずいぶん違ったな)
ジークフリートの前知識として正義感、知的好奇心の強さ、人に対しての誠実さ。
そのどれもが今回の対話で読み取れた過去の情報と一致している。
だが実際見てみると、その声のトーンや仕草、雰囲気がどれも少しづつジークフリートのイメージしていたものと違ったのだ。
(百聞は一見に如かずという事かな)そう考えてジークフリートは作業を続ける。
──朝日が山稜からその姿を全て現した時、準備も整い、黒い帝国軍の軍服が並ぶ。
隊列の先頭へと、ジークフリートの姿が現れると、そのまま馬へと騎乗した。
グレイシルバーの瞳は整列した隊士達をゆっくりと見渡す。
「さぁ、出兵だ」と飄々と言葉を出すと、号令が走る。
城門を開く音が、低く、鈍く地面を揺らす。
エルデンシュトラの地へ向かう足音が、石畳に響いていく。
旗が風にたなびき、朝の光は静かにそれを照らしていた──
最後まで読んでくださりありがとうございます。
彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。




