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黒の矜持  作者: 川端マレ
第一部 始まり編
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第十話 声

 城の正門から東に出てしばらく歩くと、帝都の学芸区へ入る。

 ここは研究者や、芸術家、帝国学校関係者が多く住む区画だ。

 その中心地近くにアンネリーゼの実家がある。


 アンネリーゼは普段、王宮敷地内にある事務職員専用寄宿舎で生活をしているので、久しぶりの実家となる。

 敷地の門をくぐり玄関にたどり着くと、ノッカーに手を当ててコンと鳴らす。


 玄関先から見える庭には、鉢植えと白い小さなガーデン用のテーブルセットが置かれている。

 アンネリーゼが小さい頃はよく庭に出て遊んでいた。そんなことを思い出しながら待っていると、奥の方から人の気配が近づいてきてドアが開かれる。


 白髪交じりの髪を、後ろでひとまとめにした、小柄な還暦前後の女性が顔を覗かせる。

 この家の管理を長年任せている──アルマ・ヴィスナーだった。

 アルマはアンネリーゼの顔を見ると、一瞬目を丸くするがすぐに穏やかな笑顔で出迎える。


「まあ、アンネお嬢様よくお帰りで」


 落ち着いた口調にアンネは、帰ってきたという安心以上の物を感じる。


「アルマさんお久しぶりです。お変わりなかったですか?」


「ええ、ええ、旦那様も私も元気でしたよ」


 アンネリーゼとアルマは何気ない会話を交わしつつ、室内へと入っていく。

 玄関には額縁に入った押し花や刺しゅうが飾られ、花瓶にはライラックが生けられていた。

 管理が行き届いており、どこも暖かく整えられている。


 アルマはアンネリーゼの母親が亡くなってから、住み込みの家政婦としてこの家を守り、アンネリーゼのお世話をしてくれた人物だ。

 父マティアスは忙しく不在になることも多い中、アンネリーゼが寂しさを感じなかったのも、このアルマのお陰でもあるだろう。


 広間へ入った所で、父マティアスの姿が見当たらずアンネリーゼはアルマに聞く。


「まだ、お父さんは帰ってきていないのかな?」


「旦那様でしたら、書斎にいると思いますよ」


「お父さんと話したいことがあるから、書斎に行ってきますね」


 そう告げると、アンネリーゼは二階の父の書斎へ向かい、アルマは穏やかに頷き見送った──


 書斎のドアをノックすると、中からの返事が返ってくる。

 キィと扉を開き室内へ入ると、机で書き物をしていたマティアスと目が合う。

 マティアスは驚いた顔をみせたが、すぐに目を細め娘の帰りが嬉しいのだろう、穏やかな口調で言葉を出す。


「どうしたんだ?急に帰ってきて、驚いたよ」


 アンネリーゼの帰りを、純粋に喜んでいるようだ。

 そんな父親に、話したくない過去を話させてしまうかもしれない。

 そう思うと、アンネリーゼはチクリと胸が痛くなる。

 はにかんで見せるが、眉尻は下がり、申し訳なさそうな表情になってしまう。


 アンネリーゼのいつもと違う様子に気が付いたマティアスは、心配そうに問いかける。


「なにかあったのか……?」

 

 アンネリーゼの表情はますます曇るが、ふぅとひと呼吸置くとしっかりとした口調で話し始めた。


「私、明日の朝に”タラモン語”の通訳としてエルデンシュトラに行くの」


 その言葉にマティアスは止まり、理解できないようだった。


「どうして……」マティアスの普段の落ち着いた様子が崩れ、手元が震えている。


「タラモン語を通訳できる国軍の関係者が、私しかいないから……」

 

 その言葉でマティアスは、それも自分が招いたことだと痛感する。


 昔はタラモン語を扱える通訳者は、マティアス含め数十名いた。

 タラモンの民族の力が失われ、交流する必要がないと徐々に時代は変化していき、今や帝国軍所属でタラモン語が分かる者はアンネリーゼ一人しかいなくなった──


 だが、そこでマティアスは思うのだ。


 アンネリーゼが国の役に立ちたいと王宮の仕事に就こうとしたとき、マティアスは渋々許可したが『タラモン語が使えるのは伏せなさい』と娘に言っていたことを。

 

「なぜアンネがタラモン語を扱えると、他の者が知ったのだ……?」


 アンネリーゼは言葉に詰まるが、きちんと話さなければ先には進めないと口に出す。


「アイゼンブルク少佐は……私がタラモン語を使えるだろうと分かっているようでした」


(ああ……なるほど)


 全てが腑に落ちた。


 マティアスが過去の戦争の通訳者として同行していたことを知れば、そこから娘にたどりつき、タラモン語が扱えると予測をたてるのは、ジークフリートにとっては容易いことだろう。


 そしてアンネリーゼが引き受け、さらに父親に自ら話に来ている現状を考えると──

 逃げ道がない状態で、決断を迫られたに違いないと予測する。

 

「アンネ……お前は優しすぎる」

「その優しさは美徳だが……情が通じる相手なら分かってくれるかもしれない」

「だが、あの少佐は、過去の優しい思い出話のジークフリートではない」

「今は情を持たない軍人だ」

「お前はきっと傷つく……だから行って欲しくない」

「そして、アンネ……自分の理想を抱いてもどうしようもならない事がある」

「私と同じ過ちを、お前にはして欲しくない……」


 そこまで言うとマティアスはうなだれ、握りしめた拳を見つめている。


 アンネリーゼは、自分の決断が父親を苦しめているのがとても苦しい。

 でも何かがあるとわかっているのに、知らないまま過ごそうとしていた事、それで良いのだろうか?とアンネリーゼは思うのだ。


「お父さん……私はエルデンシュトラも、その地に住むタラモンの人達の事も、本でしか知らない」

「そして、私がタラモン語について知ろうとした時、お父さんが苦しそうなのは気がついていた」

「子供だった私は、聞いてはいけないんだと思って聞けなかった」


 それまでマティアスの顔を見ていたアンネリーゼの表情は、不安げに色を変え、視線は床へと移される。


「私がタラモンの翻訳者の任務を引き受けた事は、浅はかだったのかもしれない……」


 ゆっくりとまぶたを閉じ考え、そしてもう一度父マティアスを見つめる。


「でも……自分で引き受けてしまったし、何かがあると気がついているのに、知らないふりをして逃げ出した方が自分を許せなくなる」

「お父さん……ごめんなさい……」


 どうしても諦めるつもりのないアンネリーゼの様子に、マティアスは重い口を開く。


「アンネ……綺麗事じゃないんだ」

「三十年程前──あの地で行われていた事」

 

「それはエルデンシュトラの地に住む、タラモン一族の根絶だ」

 

『根絶』という言葉の残酷さに、アンネリーゼの肩がビクッと跳ねる。


 マティアスはアンネリーゼをみながら、言葉を選び、続けて話していく。

 

「それは戦いに慣れている、軍人達の心すらも削れるほどの地獄だ──」


 帝国軍が通り過ぎた道は、そこに住んでいた者は最初からいなかったかの様に扱われていた。

 タラモンの民族だと分かれば、集められ処刑される──


「永続的な経路の安定、さらにエルデンシュトラ制圧の先にまだ侵攻は続く……」


 冷静に話そうとするも、マティアスの記憶に刻まれた物は鮮明で、それをかき消す様に額に手を当て指先に力が入る。


「侵攻の裏をかかれないように、根絶を求めた当時の皇帝陛下の決定は、理にかなっているとも言えるだろう」


 マティアスは瞬きをゆっくりとし、焼き付いた記憶をぬぐえぬまま言葉を続ける。


「だが人道的には、もってのほかだ」

「それは戦闘を指揮していた、当時のマグナー皇子も悩んでおられた。そして、私に代替案を求めてきた」

「代替案を求められた私は、最初は言葉での説得を提案した」

「だが……そんな生半可な提案では、根絶の代わりとしては不十分だった」

 

「だから……圧政を強いる提案をした──」

「今、タラモンの人民は人として扱われていない」


「それが私の差し出した提案によって、もたらされた未来だ……」

 

 あまりの内容の壮絶さに、アンネリーゼはただその場に立ち尽くすしか出来なかった。

 今自分が立っているその地面すらも、歪んで倒れそうになる感覚を覚える。


 しっかりしなきゃと激励するように頬に手を当てると、自分の頬が濡れているのに気がつく。

 手に付いた雫を見つめる。


(涙……?)


 無意識のうちに泣いていたのだ。

 感情を超えた涙に動揺する。


 そんな動揺しているアンネリーゼの肩にそっと手を置き、マティアスは穏やかに話しかける。


「お前ができる事は他に沢山ある。現地へ行く事だけが救う方法ではない」


 諭すように出される言葉を、アンネリーゼはしっかりと考えて飲み込む。

 

(私に出来ること……今考えなければいけない事は……)

(まず、戦場という物を知らない……)

(話を聞くだけで泣いてしまうような私の考えは、甘いのだろう……)


 でも、アンネリーゼはこのままでは納得できない。


(……国軍関係者で、タラモン語の通訳ができる者はいない……ということは──)


 アンネリーゼは、マティアスの目を見つめ問いかける。


「お父さん……」


「もし通訳がいなかったら……彼らの声を、誰が届けるの……?」


 その言葉にマティアスの眉間にシワがより、不安が広がって行く。

 アンネリーゼはその様子を申し訳なさそうな顔で見つめながらも、しっかりと言葉を紡いでいく。


「現地で通訳を雇っても……それはきっと、お互いの本心に届く言葉を、伝えられないで終わってしまう」

「帝国軍に所属している私しか、タラモンの人達の言葉を届けられない」


 そこまで言うと、アンネリーゼの表情は心配そうに父を見つめるが、その奥には揺らがない物がもう宿っているようだった。


「私は知りたいと思ってしまったら、もう止まれないみたい」


 その言葉にマティアスは深くため息をはく。


「私に似てしまったんだろうな……」


 そういうとアンネリーゼの頭を撫でるマティアスの手はわずかに震えている。


「帰ってきたらちゃんと、元気な顔を見せにおいで」


 自らが招いてしまった事が、娘に辛いであろう道を選択させてしまっている。

 それでも娘の覚悟を応援出来ないままも辛いのだ。

 複雑な心境を抱え、マティアスは娘の決断をそっと見守る事にするのだった──

最後まで読んでくださりありがとうございます。

彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。

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