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4 最初のステップは大きく踏み出せ!

平民カップル、ヴァンダとレフのお話。

 ――お城は見上げるもので、政治は別世界の誰かがやってくれるものだと思ってた。




 スヴェアルト宮殿の奥、花園の離宮に集った王太子と側近の婚約者たちは感慨深くエプロンを外した。

 幼い王女達の世話をするのは今日で終わりだ。離宮には王女一人ひとりの部屋が作られ、乳母や侍女達が集められた。これからは彼らの手で育てられ、王女としての教養を身につけることになる。


「何だか寂しいですね」

 侯爵令嬢アリツィア・ロジンスカがしみじみとした声で言った。


「本当。最初は目が回りそうだったけど」

 最も小柄なおかげか幼女に好かれていた伯爵令嬢カタジナ・シェヴィンスカも同様の表情だった。


「でも、建国祭でまたお目にかかれますよね」

 子爵令嬢ラウラ・マチェクは懸命に切り替えようとしていた。


「あのぷくぷくした感触とミルクの匂いが恋しくなってしまうかも」

 ヴァンダ・マリシュの言葉に令嬢たちは笑った。


 王太子スタニスワフの婚約者である公爵令嬢カトレイン・ポニャトフスカが改まった口調で彼女たちに言った。

「皆様、今日までのご協力に感謝しております」

「そんな、王女様のお世話が出来て光栄でした」

 アリツィアが慌てて答えると、カトレインは微笑んだ。

「それで、あなた方にもう一つお願いがありますの」

 その内容を聞き、花園の離宮に歓声が起こった。




 王都パデレシチ。平民の中でも富裕層が居を構える区画に、ひときわ大きな屋敷が二つ並んでいた。片方の家のテラスから出てきた少女が、隣の家との境の柵までやってきて、小石を隣家の窓の一つに投げた。


「レフ、いるんでしょ?」

 ヴァンダが隣の家の婚約者を呼んだ。


「何かあったのか?」

 すぐに庭に出てきたレフ・グレツキが幼なじみで昨年婚約したヴァンダに訊いた。


「何かあったどころじゃないのよ。今日、宮殿で王女様のお世話をして、最後にカトレイン様から、とんでもないこと頼まれたの」

「お世話係の延長か?」


 ヴァンダは勢いよく首を振った。ふわふわの金褐色の髪が揺れる。

「王太子殿下の結婚式でカトレイン様のドレスの裳裾とヴェールを持って欲しいって。お世話係のみんなで。よだれだらけになりながら頑張った同志だからって」

「へー、凄いなー」

「凄いなじゃないわよ!」


 婚約者の胸ぐらを掴む勢いでヴァンダは怒鳴った。

「そんなのお貴族様のお嬢様がすることでしょ。絶対場違いだし何言われるか分かんないわよ」

「ああ、反王太子派のこと心配してんのか」


 レフにも彼女の混乱ぶりが分かってきた。

「けど、そこはカトレイン様がうまくお役目振り分けてるって。反対勢力の御令嬢にも色々と声かけてるみたいだし。こんな大きな祝典、参加できるだけでも名誉だから、口ではどう言っても打診されたらいそいそと引き受けるさ」

「でも……」


 まだ不安そうなヴァンダの髪を、レフはかき混ぜるように撫でた。

「大丈夫だって。お前、いざって時には図太く開き直れるから」

「……褒めてるの? それ」

 レフは笑い、しばらく会話を交わしてから二人はそれぞれの家に戻った。




 自分の部屋に入ったヴァンダは窓から隣家の灯りを眺め、今日のことを思い出した。


「リハーサルとか何回もあるのかな…」

 どれだけしごかれるのか、今から頭が痛くなってきそうだ。


「そもそも、何だってこんな事に…」

 裕福とはいえ、マリシュ家もグレツキ家も平民だ。貴族階級は商売相手にいる程度で、王族と知り合いになるなど予想もしなかった。


「去年の建国祭までは平和だったのに」

 愚痴混じりに、婚約に至る回想に彼女は漂った。




*          *




 一年前、ロウィニア王国建国祭。


 この祭りの期間、王国は歓喜に溢れた日々となる。舞踏会は王宮の大舞踏会から地方での小規模なものまで各地で行われ、この時に社交界デビューを果たす者も多い。


 平民階級でも歌い踊り祖国の成り立ちを祝う行事が目白押しだ。政商と呼ばれ国内随一の規模を誇るグレツキ商会会頭、モリス・グレツキの屋敷も例外ではなかった。

 一族や商会の関係者や従業員まで集うため、大きな邸宅は庭まで人が溢れている。そこかしこで楽器が演奏され、歌声が起こり、踊りが始まる賑やかなお祭りの光景が繰り広げられていた。


 グレツキ家の三男坊、レフ・グレツキは人々をかき分けるようにして誰かを探していた。やがて、彼はようやくその人物を見つけることができた。

「ここにいたんだ、ヴァンダ」


 隣家に住むマリシュ家の次女ヴァンダ・マリシュは息を切らしている幼馴染みを不思議そうに見た。

「どうしたの?」

「こっち来て、早く」


 彼女の手を引いてレフは走り出した。その先にいるのが家長一家と知り、ヴァンダは慌てた。

「何なのよ」

「いいから。兄さん、さっき届いたあれ、ヴァンダに着けてもらうから」


 グレツキ家の長男は仕方ないなと言いたげな顔をして、隣家の少女に申し訳なさそうに頷いた。

 レフが奥に積み上げた荷物から小さな箱を持ってきた。中には紫色の石を使ったネックレスが収められていた。

「これ、今日のドレスにちょうど良いから着けてみて」


 ようやく彼の意図が飲み込めたヴァンダは逆らうことなくネックレスを着けてもらった。

 周囲から感嘆の声が上がった。

「凄く似合うわよ、ヴァンダ」

「確かにいい色だな」

「ほら、今年流行のドレスの色に合うだろ」


 淡い黄色のドレスを着たヴァンダの手を取りくるりと回転させ、レフは家族の反応に満足げだ。


「つまり、今度はこれを着けてパーティーに出ろってことね」

「頼むよ。ヴァンダなら霞むことないし人目を引くから宣伝効果抜群なんだ」

「高く付くわよ」

「分かってるって」


 レフは笑い、彼女と一緒に広間に移動した。

「カール、賑やかなのやってよ」


 フィドルを持つ男にリクエストすると、男はにやりと笑って弓を構えた。陽気な音楽に会わせて民族舞踊が始まった。ヴァンダはレフと組んで何度も位置が入れ替わる複雑なステップに挑戦した。


 シャンデリアの光に紫色のネックレスが輝き、来客の婦人方の注目を集めていた。最後まで踊りきった二人は拍手を浴び、休憩のため庭に出た。

 テーブルに用意された飲み物を手にし、彼らは噴水の縁に腰掛けた。


「カイムさんたちとリーリオニアに行ってたのはこれの買い付け?」

 ネックレスに触れながらヴァンダが質問すると、レフは頷いた。

「うん。やっぱりあそこは流行の発信源だから」


 せっかくの夏期休暇だというのに道理で姿が見えなかった訳だと、彼女は納得した。

 いささかわざとらしく、ヴァンダはネックレスを弄んだ。この装飾品が引き立つのは、今夜の彼女が初めて髪を結い上げているためだ。一人前の女性の装いだというのに、彼は目にも入らない様子だった。


 少しは気付けという思いは、レフが不意に立ち上がったことで不発に終わった。

「兄さんが早速売りつけ先を確保したみたいだ。行こう!」

 こちらをちらちらと見ているご婦人たちになにやら説明している商会の跡取りが視線の先にいた。結局ヴァンダは再度新製品のモデル役をこなすことになった。




「どうしたの、疲れた顔して」

 王立女学院の廊下で同級生に声をかけられ、ヴァンダはうんざりした声を出した。


「商会で仕入れた新しい商品の売り込みに付き合わされたの」

 社交シーズン到来になると、夜会や舞踏会、園遊会などに合わせたドレスや装飾品の受注が増える。当然各商家は顧客獲得に躍起になり、自分の商品がいかに魅力的であるかを印象づける競争になるのだ。


「大変ね。でもヴァンダは可愛いから何を着ても似合うもの」

 友人は羨ましそうに言った。それは彼女も認識している。何しろ商会の新商品を身につけてあちこち出歩くのは小さな頃からのお役目だった。


「行く先がお貴族様のとこだと緊張して倍疲れるのよ」

「そうよね」

「失礼があったら大変だし」


 グレツキ商会提携先の利用者は平民だけではなかった。豪邸が建ち並ぶお屋敷街に小売業者と共に売り込みに行くことも珍しくない。

「うちは父さんが商会の財務を担当してるから一蓮托生だもの」

「偉いわね。あ、次は合同授業よね」


 友人の言葉にヴァンダは頷いた。女学院は元々貴族の子女の教育のために設立され、時代と共に平民階級にも門戸を開くようになった。ただし、識読や計算の基本が出来るなど一定の学力が求められるため、自然と富裕階級の子女に限られているが。

 教養やマナーを身につける貴族階級、侍女や女官、家庭教師を志望する下級貴族、主に商業系の教育を受ける平民といくつかの教育課程に分かれているが共通科目については合同授業となる。


 広い講義室では自然と階級ごとに集まって座るようになることをヴァンダは当然だと思っていた。

「目の保養よね、合同授業って。貴族のお姫様を生で見られるんだし」

「えー、ヴァンダは商会で色んな貴族と会ってるんじゃないの?」


 友人の言葉に赤みがかった金髪を揺らしてヴァンダは首を振った。

「お貴族様はね、うちなんかに足を運ばずにお店を呼びつけるのよ」


 グレツキ商会は小売業ではなく、国内外の生産者と小売業者を仲介することで利益を得ていた。

 そのため各地での必要物資、生産物の情報網を張り巡らし買い付けで一年のほとんどを旅に費やす者もいる。親族揃って商会に関わっているヴァンダの親戚などは何年も顔を見てない者も珍しくなかった。

 貴族階級の席をぼんやりと眺め、ここに通うときくらいしかお目にかかれない人達なのだとヴァンダはぼんやりと考えた。




 女学院と背中合わせのようにして男子校の王立学院がある。いつも授業が終わると迎えに来てくれるレフが今日に限って遅かった。

 ヴァンダは王立学院に向かって歩いてみた。貴族の子弟を乗せた馬車と何台もすれ違い、学院の校門が見えてきたとき幼馴染みの姿を見つけた。


 彼は、知らない人と話していた。制服を着ていないので学院の生徒ではなさそうだが、それほど年齢の変わらない男性だ。

 レフがこちらを見て、ヴァンダに手を振った。見知らぬ男性は数人の大人に囲まれて待たせていた馬車に乗り込んでいった。


「ごめん、遅くなって」

「いいけど、今の人、ここの関係者?」

 彼女が尋ねると、レフは信じられないような顔をした。

「知らないのかよ、王太子殿下だぞ」

「え?」


 慌てて馬車を振り向いても、既に走り去った後だった。ヴァンダはレフの制服を掴んだ。

「何でそんな大物と知り合いになってんのよ」

「うーん、初めて会ったのは結構昔なんだけど…」


 政商の三男坊は遠くを見るように答えた。

「父さんに連れられて王宮に行ったことがあって。そこで殿下と会ったんだ。お互い小さかったから成り行きで泥団子作って」

「……泥団子」


 見るからに貴公子然とした今の王太子からは想像も付かなかった。レフは笑った。

「えらく熱心に何個も何個も作って、一番綺麗なのを王妃様にあげるんだって頑張ってたな」


 微笑ましい光景を想像し、ヴァンダもつられるように笑った。そして、王妃が長く生きられなかったことを思い出した。

「…いい人なんだ」

「まあね、賭けてみる価値ありって父さんに報告した」


 何気ない言葉に、ヴァンダは隣の幼馴染みに顔を向けた。グレツキ商会の会頭が、幼い息子を使ってまで王国の継承者の資質を確認しようとしたのだろうか。

 それを口に出せないまま、彼女は家路を歩いた。




 王立女学院と王立学院を隔てる壁に沿って、緩衝地帯のような建物があった。聖ヨアンナ記念館――通称「交友館」と呼ばれる会館だ。

 男女共通の唯一の授業であるダンスで使用される建物であり、週に一度交友名目で両校の学生に開放されている。


 交友会では会館はカフェテラスとして利用できるようになっていた。授業を終えた学生がお茶を楽しみ、有力貴族の子女はサロンのように活用している。

 その中で、ヴァンダは学生の中に隣家の幼馴染みの姿を探していた。


「……もう、用があるからって呼びつけておいてどこにいるのよ…」

 きょろきょろとレフの栗色の髪を探していると、背後で高圧的な声がした。

「おい、そこのお前。以前、うちの屋敷に来ただろう」


 人捜しに集中しているヴァンダは声の内容を素通りさせていた。男子学生は声に苛立ちを加えた。

「お前のことだ、そこの赤毛!」

「…………あ゛?」


 反射的に出た声は重低音だった。一気に不機嫌絶頂の顔でヴァンダは不快な声の主を振り向いた。

 赤毛呼ばわりは彼女にとっての逆鱗だ。幼い頃は今より赤茶けた髪だったせいで散々からかわれた。成長するにつれて金褐色に変わってくれたことをどれだけ感謝したか分からない。


 据わった目で睨まれて、発言元の横に広い男子学生は怯んだ様子を見せた。すぐに忌々しそうな態度で彼女に近寄ると、尊大な口調で言った。

「その髪は見覚えがあるぞ。仕立屋と一緒に我が家に来ただろう」


 新作ドレスのモデルとして訪れた貴族の家のドラ息子か、とヴァンダは判断した。

「それが何か?」


 胡散臭そうな目を向けられて、横幅に恵まれた男子学生は鼻息荒く怒鳴った。

「わざわざ私が声をかけてやっているのだ! 少しは恐縮しろ!!」


 誰も頼んでないと顔を引きつらせる彼女の髪に彼は手を伸ばし、鷲掴みにしようとした。その直前、彼は動きを止めた。割って入った声は可憐なソプラノだった。

「ヴァンダ・マリシュ様でいらっしゃいますわね?」


 声の主は金髪碧眼の磁器人形のような美少女だった。それが無礼な貴族のドラ息子の腕をねじ上げながら優雅に微笑むのを目の当たりにして、ヴァンダは頷くことしか出来なかった。


「……貴様、何を…」

「失礼」

 バランスを崩したドラ息子の軸足を美少女は軽く足払いし転倒させた。ごろごろと転がる彼に見向きもせずに、彼女はヴァンダの腕に手を掛けて誘導した。


「こちらに。皆様お待ちかねですわ」

 訳も分からず従うと、カフェテラスの奥へと連れて行かれた。中でも立派な扉は「貴賓室」と呼ばれる場所だ。


 金髪の少女は軽くノックをして扉を開け、お辞儀をした。

「お連れしました、王太子殿下」


 室内にいるのはこの前見かけた王太子スタニスワフ、そして隣に眼鏡をかけた灰色がかった銀髪の男子学生、いかにも貴族令嬢らしいおっとりとした印象の女子学生、そして幼馴染みのレフ・グレツキだった。

 ヴァンダは慌てて見よう見まねのお辞儀をした。


「ヴァンダ・マリシュです、王太子殿下」

「ああ、すまないな、いきなり呼びつけて。カタジナ嬢、ご足労だった」

 テーブルに着いているレフの隣に座らされて、説明しろとヴァンダは彼の脇腹を小突いた。


「ここの窓からカフェテラスが見えて、何か風紀を乱す行動してるのがいるってカタジナ様が気がついて、絡まれてるのがお前だったから救出してくれたんだよ」


 数度瞬きして、彼女はカタジナに頭を下げた。

「あの、すみません。私、何だか舐められやすいというか、いつも愛想良くて言うこと聞かせやすいと思われてるみたいで、ものすごく冗談じゃないんですけど」


 それを聞くなり、金髪碧眼の美少女は彼女の手をがっしりと握った。

「分かりますわ、ヴァンダ様。とってもよく分かります! 何であの手の男って、人の見た目で勝手に中身を妄想して、実物が食い違うと怒ったり文句を言うんでしょうね。こっちはそんなこと頼んでもないのに」


 このお嬢様は次元の違う被害に遭っているのだろうとヴァンダは推察した。

 王太子と眼鏡の男子生徒は何かを話し合っていた。誰かを待っているようだとヴァンダが状況を理解したとき、扉がノックされた。


 入ってきたのは黒いローブの制服の男女だった。

「失礼します、殿下。王室典範で落としどころを見つけました」


 白っぽい金髪の、やたらと可愛い顔をした男子学生が報告した。

「陛下の養女格と言うことで、王女の称号付与が可能です」

「そうか」

 目を輝かせる王太子に、彼は続けた。


「ただし、適用されるのは存命の妹君のみです」

「いや、十八人全員だ。そうでないと意味がない」


 きっぱりとスタニスワフが拒絶した。黒いローブの女子生徒が提案した。

「その場合、やはり教会に何らかの寄進が必要になるかと」

 テーブルに肘を突いて考え込んでいた王太子は低い声で答えた。

「分かった。後宮のめぼしい物を売り払って財源に充てる」

「側室方の許可はどうしますか」


 眼鏡の男子学生が尋ねると、次期国王は冷徹な声で答えた。

「奴らが娘にしてやれる最後のことだと言っておけ」


 彼らはそれで了承したようだった。ヴァンダはレフにこっそりと囁いた。

「これって何の陰謀なの?」

「後宮生まれの姫君に王女の称号を与える計画」

「でも十八人って……」


 戸惑う彼女にレフは説明した。

「五人、亡くなっているんだよ。後宮で」

 宮殿の奥での勢力争いの凄まじさは庶民の間でも怪談的な話として広まっている。ヴァンダは身震いした。


「どうして死んじゃったお姫様まで…」

 不思議そうな彼女を見て、スタニスワフが苦笑した。

「王女の称号を得られれば、死んだ妹たちは王家の霊廟で眠ることが出来る。俺の力が足りず救えなかったことへの、せめてもの詫びだ」


 誰も、それ以上言及しようとしなかった。

 貴賓室の窓からは、例の男子学生が尚も周囲に怒鳴り散らすのが見て取れた。ヴァンダの中で、それがある人物に重なった。


「あ、もしかしたら婚礼衣装を決めるのに行ったお貴族様のとこかも」

「チャルトルィスキ侯爵家のアンゲリカ様ですか?」


 カタジナが意外そうに尋ねた。ヴァンダは思わず窓から確認した。

「え、侯爵家のボンボンなの? 確かに態度と体格がそっくりだったけど」

 その表現に一同が笑った。

「確かブラウエンシュテット公爵家にお片付きあそばされるのよね」

「元々はカトレイン様と並んで殿下の婚約者候補でした方ですけど」


 それを聞き、王太子は顔をこわばらせた。

「あの方は、その、昔から何というか発育が良くて、初対面の時はいきなり突進されて思わず弓矢で応戦してしまったな」

 物騒な回想に眼鏡の男子学生が注釈を入れた。

「よかったですね、玩具だったから実害がなくて」

「怒り狂ってわめき散らすのからカトラが庇ってくれた。後できっちり怒られたけど」


 とんでもない過去話に、ヴァンダは笑うよりも同情した。

「あそこのお嬢様のドレスは通常の倍以上の布地が必要な上に注文が多くて、仕立て職人が気の毒というか…」


 他の者がさもありなんという顔をした所に、扉が再度ノックされた。登場したのは長身の陸軍士官だった。

「グスタフ・エデルマン入室します」


 テーブルに着かず扉の前に立ち、彼はよく通る声で報告した。

「元帥府から、警務総監の許可及び憲兵隊の協力を取り付けたとのことです」

 王太子は立ち上がった。

「決行だ」

「御意」


 エデルマンはきびきびとした動作で退出した。王太子は眼鏡の男子学生と短いやりとりの後で貴賓室を出て行き、黒いローブの男女も続いた。残されたヴァンダは混乱した様子で幼馴染みと貴族令嬢二人を見比べた。


「…えっと……」

「ああ、自己紹介もしていませんでしたわね」

 にこやかにカタジナが言い、レフが続けた。

「王太子殿下の側近の学生がアシュケナージ宰相閣下の長男トマシュで、法学院の制服組がアンジェイ・ミクリと婚約者のラウラ様、さっき入ってきてさっさと帰ってったのがエデルマン元帥の次男のグスタフ。で、こちらがトマシュの婚約者のアリツィア様とグスタフの婚約者のカタジナ様」

「…え、何、それ。一気にそんな大物紹介されても……」


 混乱に輪を掛けた様子のヴァンダに、くすくす笑いながらカタジナが提案した。

「ヴァンダ様、今度嫌な奴を撃退する方法を教えて差し上げますわ。私の婚約者直伝の」

 引きつり気味の笑顔を浮かべ、ヴァンダは幾度も頷いた。




 やたらと疲れた顔合わせの後、目には見えない変化が起きていることが分かってきた。


「後宮が?」

 ヴァンダが不審そうな声を出すと、隣家の老人がパイプをくゆらしながら答えた。

「ああ、あそこに贅沢品を納入してた店が、今後は内宮庁が発注すると言われたそうだ。それもかなり縮小されたようで、頭を抱えてた」

「何かあったのかな」


 柵越しにヴァンダは老人――グレツキ商会の先代会頭に言った。

「レフ坊が査定に必要な鑑定士がどうのと言ってたが、その辺に関係あるんじゃないか」

 息子に会頭の地位を譲り悠々自適な隠居生活を楽しんでいる老人だが、一代で商会を政商と呼ばれる規模に広げた人物だ。商人の嗅覚は衰えていない。


「ミハウ爺ちゃん、後宮がなくなるってことあるのかな」

 ヴァンダに問われ、ミハウ老人は首をかしげた。

「王様の血筋を残すための場所だからな。必要ないと判断されたらどうか分からんぞ」


 老人は煙を吐き出し、感慨深そうに言った。

「時代がどう変わるかだな。うちが大きくなったのは先の戦役でお国の役に立ったからだ。戦争ってのは国家規模の無駄遣いだからな」


 繰り返し聞かされた持論だが、今のヴァンダには別の意味があるように受け取れた。

「後宮も無駄遣いになるの?」

「立場が違えば後宮に限らんだろ」


 対ザハリアス戦争からロウィニアは産業に力を入れ、鉄道も施設された。貴族と平民の間に新興中流階級も生まれた。それ以上に何が変わるのか、彼女には想像付かなかった。


「平民でも色々考えなきゃならないってこと?」

「平民だからだよ」


 老人の言葉に首をかしげた後で、ヴァンダは頷いた。

「うん、とにかく時流に乗って儲けることにする。こっちがビビっても気取られないように手をポケットに入れるんでしょ?」

 先代会頭は声を上げて笑った。




 変化は思いがけず、しかも望んでもいない所から起きることを数日後にヴァンダは思い知ることになった。


 女学院から帰宅後、やたらと畏まった様子の両親から予想も付かないことを打ち明けられたのだ。

「今日な、ケルゼン男爵家からお前を養女に出さないかって話が来たんだ」


 父親の言葉が頭に届くのに数秒かかった。

「……は?」

「何でも、学院でお前が王太子殿下と親しくしてるとか聞きつけたみたいで」

「一つも親しくないんだけど」

「それに、チャルトルィスキ侯爵家の御曹司がご執心だとか」

「何それ、あの酒樽の妾にでもするつもりなの?」


 段々と娘の声と目つきが剣呑になっていくのに、慌てて父親は言い訳した。

「勿論、受けるつもりなんかないけど、念のために確認しただけで」

「あっそう、ありがと」


 吐き捨てるように言うと、怒り覚めやらないヴァンダはテラスから庭に出た。目指すは隣家との堺の柵だ。

 いつものように小石を手に取り幼馴染みの部屋めがけて投げる。ほどなくしてレフが出てきた。


「どうしたんだよ」

「聞いてよ、どっかのバカ男爵があたしを養女にとか言い出したの。王太子殿下の側室かあの侯爵家のドラ息子の妾目当てで」

「は? 本当かよ。で、どうすんの」

「断るわよ! 殿下はどう見たって婚約者に首ったけで、ドラ息子は物珍しさで手を出してきただけでしょ。下っ端貴族だからそんなことも分かんないのよ。何より、こんな話にホイホイ食いつくバカ女だと思われたのが一番腹が立つ!」


 憤懣やるかたない様子の幼馴染みを前にして、レフは首を振った。

「あー、考えてみりゃ、お前って結構まずいことまで知っちゃったよな」

「何よ」

「ほら、殿下達の密談とか、あれって色んなとこから狙われるかも」

「ちょっと、脅かさないで」

「だからさ、結婚しよ」

「…………は?」


 唖然とするヴァンダに、レフはうんうんと頷いた。

「俺たち、ほとんど生まれたときからの付き合いだし、お前って流行に敏感で商才あるし、うちの家族はすっかり嫁認定だし……、ずっと好きだったし」


 危うく聞き流しかけたヴァンダは、彼に向き直った。

「何で肝心なことをついでのように言ってんのよ」

「あー、バレたか」


 笑って誤魔化す彼が、両手をポケットに入れているのにヴァンダは気付いた。表情だけでなく、手の動揺を気取られるなというミハウ老人の教えが頭に浮かぶ。


 レフが緊張しているのだと分かり、彼女は反射的に答えていた。

「……いいわ」

「え?」

「あんたと結婚するって言ってんの!」


 その言葉とほぼ同時に、グレツキ家とマリシュ家双方から歓声と拍手が沸き起こった。二人は自分たちの家族が庭に集結しているのを見た。

「何? いつからいたの!?」

「いや、そろそろかなと思って」


 のんびりと答えたのはミハウ老人だった。二人の父親は柵越しに握手し、母親は早くも結婚式の相談に入っている。

「……嵌められた…」


 父親があんなしょうもない話を持ちかけたのはこのためかと、ヴァンダは唸った。

「でも、助かった。よその奴にかっ攫われる前で」

 レフが彼女の手を取り、周囲にはやし立てられるまま頬にキスをした。

 こうしてヴァンダのお隣の幼馴染みは婚約者になったのだった。




*          *




 それからは目まぐるしい日々だった。

 正式な婚約の手続きを終えて女学院の友人達に散々冷やかされ、そして新たに知己となった貴族階級の令嬢達と行動を共にすることが多くなった。


 中でも印象的なのはやはり花園の離宮での育児任務だ。

 初めて王太子の婚約者カトレイン・ポニャトフスカ公爵令嬢と言葉を交わしたときはさすがに緊張した。だが、彼女が幼い王女の世話をするために王宮に日参し、口さがない者から地味令嬢などと陰口をたたかれても意に介さない様子には感心した。最初、嫁いで双子を出産し世話に追われる姉を連想して所帯やつれなどという失礼な言葉を思ってしまったが。


 小さな怪獣集団のようだった王女たちも、一人ひとりの個性が分かってくると情が湧いた。このうちのほとんどが生みの母親と二度と会うことがないのだと思うと尚更だった。


「それもお役御免か……」

 寂しさが入り交じるが、王女としてきちんとした教育を受けるようになったのは目出度いことだろう。


「それより建国祭」

 自室のテーブルの上には招待状が置かれている。スヴェアルト宮殿での建国祭大舞踏会のものだ。


「まさかお城の舞踏会に出るなんて…」

 幼い頃の夢物語が現実になるなどと思わなかった。今年もお隣のグレツキ邸で身内で賑やかに過ごすものだとばかり考えていたのだ。


「でも、殿下の結婚式に向けて少しは顔を売っとかないと」

 既に商会総出で準備をしてくれている。勿論、新作のドレスやアクセサリーを売り込んでこいという無言の要求込みだ。


「ま、ダンスならレフと散々踊ってきてるし」

 民族舞踊の複雑さに比べれば、貴族社会のお上品なステップなど楽勝だ。思考を切り替え、初めての宮廷舞踏会を楽しもうとヴァンダは考えた。




 建国祭舞踏会当日。

 婚約者であるレフ・グレツキにエスコートされ、ヴァンダはスヴェアルド宮殿に到着した。


 馬車寄せには既に多くの馬車が順番待ちをしており、階級ごとに割り当てられた場所に二人の馬車は横付けした。

 先に降りたレフが彼女に手を貸す。ドレスを汚したり引っかけたりしないように、ヴァンダは慎重に降り立った。


 王女たちの世話名目で幾度も訪れた宮殿だが、人のいない通路をこっそりと通っていたときとは違い、堂々と正面からの登城だ。ヴァンダは自分の目と同じ淡い紫色のドレスの裳裾に手を掛け、レフに腕を取られて歩き出した。

「自信持てよ、凄く綺麗だから」

 婚約者の言葉に多少なりとも元気づけられ、彼女は人混みの中をゆっくりと進んだ。


 招待客は多岐にわたり、見知った平民階級の者も多数いることに彼女は少しだけ安心した。黒い礼服を着て髪を後ろになでつけたレフがいつもより頼もしく見えることもある。


 順番に案内係に招待状を渡し、階段を上がればそこは大広間だった。シャンデリアが星のように煌めく中をヴァンダは夢心地で歩いた。幾人かの知り合いと挨拶をすると、ここで共に王女のお世話をした仲間が声をかけてきた。


「ヴァンダ様、グレツキ様、ごきげんよう」

 青い絹地にレースを重ねたドレスの華やかなカタジナが彼女に歩み寄った。隣には陸軍騎兵の華麗な礼装姿のグスタフ・エデルマンがいる。更に青緑色のドレスを着たラウラとアンジェイ、銀鼠色のドレス姿のアリツィアとトマシュ、王太子派というより花園の離宮の育児チームが久々に集結した。


「何て素敵なドレス! 商会の新作ですの?」

 スカート部で薄い生地が花びらのように幾重にも重なり裳裾に流れていくドレスは今期の流行を占う一着で、商会肝いりのメゾンの新作だった。


 手放しで賞賛するカタジナがあれこれとドレスのことを尋ね、他の令嬢たちも興味津々の様子だった。

「何しろ婚礼衣装を決めなければならない時に来てますもの。どうしても流行は気にしてしまいますわ」

「このメゾンはリーリオニアの首都で一番人気のお店で修行した人のものですから、必ずご期待に沿えます」


 しっかり商品アピールをするヴァンダの隣で、レフは笑っていた。

「その調子。貴族たちにも負けてないぞ」

 小声で囁かれて、商会の一員でもある婚約者は周囲の注目を集めていることを感じて頭を上げた。


 大広間にはその間にも続々と貴族や農場主、商人や工場主など国内の主立った者が姿を見せた。彼らにとって因縁浅からぬ者もいた。


「チャルトルィスキ侯爵家御令息、ブラウエンシュテット公爵及び令夫人」

 酒樽体型の侯爵家御曹司と、その姉である公爵夫人、体積は妻の半分以下の公爵は様々な意味を込めた注目を集めた。


 公爵夫人アンゲリカはありったけのレースとリボンと宝石で確かに輝いていた。取り巻きに褒めそやされて、彼女は傲然と言い放った。

「あの地味な王太子妃候補が霞んでしまいそうで気の毒ですわ」


 ヴァンダたちの間の空気が一瞬帯電した。

「まったく、姉弟揃って趣味の悪いこと」

 辛辣にカタジナが斬って捨てた。それに頷きながらラウラが冷静に指摘した。

「宝石の着けすぎで、ドレスがずり落ちかねませんけど」

「それは大変ね。あの方の着替えになれる物がこの宮殿にあるのかしら」

 にこやかにアリツィアが言うと、彼女たちは扇の陰で笑った。男性陣は無言を貫くのみだった。


 ヴァンダは侯爵家の御曹司がこちらを見ているのに気付いた。値踏みするような視線が不快で、彼女は婚約者の腕に掛けた手に力を込めた。レフも察したようで、軽く手を重ねてくれた。


 いよいよ舞踏会の主催、王太子と婚約者の入場が告げられた。

「ロウィニア王国第一王子スタニスワフ殿下、ポニャトフスキ公爵家御令嬢」


 人々が一斉に最敬礼をする。その中を王国最高位の一組が進んでいった。

 ようやく顔を上げたヴァンダは、感嘆の吐息を漏らした。


 公爵令嬢カトレインの装いはロウィニア国旗の赤と白を効果的にあしらったドレスだった。絹地の品質の高さを効果的に引き立て、裾に使われたレースは動くたびにさざ波のように揺れる。胸元には王家の紋をあしらった首飾りが燦然と輝き、結い上げた髪に公爵家のココシュニックティアラを戴いた彼女は「地味令嬢」などという言葉を消滅させる気品と美しさだった。


 その手を取る王太子は心底幸福そうに賛美の目を婚約者に向けている。彼は集った人々に言った。

「共に建国祭を祝えることを光栄に思う。国王陛下は欠席であるが、王室に新たに加わった者を紹介したい」


 その言葉に導かれるように幼い王女たちが白いドレスで現れた。一人ひとりが紹介され、年上の者は淑女の礼を取り、より幼い者は乳母に抱かれて手を振った。

「私の妹たちだ。王国の繁栄のために力になってくれるだろう」


 人々は愛らしい一団に拍手をした。式典官の合図を受けて、楽団が最初のダンスの曲を奏で始める。

 そこに、乳母の目を盗んで一人の王女が兄に向けて歩いてきた。

「マジェナ……」

 スタニスワフはカトレインと視線を交わし、抱っこをせがんでくる妹を抱き上げた。そして、そのまま三人で踊り出した。周囲から拍手と笑い声が沸き起こる。


 それを合図に、人々は次々に広間の中央へと歩き踊り出した。

「行こう」

 王太子の側近たちも、それぞれの婚約者を連れて踊りに加わる。教則のように隙のないステップを披露するトマシュとアリツィア、ダンスと言うより武闘訓練のようなグスタフとカタジナ、踊りながらも何やら討論を戦わせているアンジェイとラウラ、ただ晴れの場でのダンスを楽しんでいるレフとヴァンダ。


 一曲目が終わると、人々は互いの相手に拍手をし、そのまま踊り続ける者と歓談に移る者に分かれていった。

 王太子とその婚約者は大勢の客人たちと言葉を交わした。外国からの者とは、早くも王女たちの嫁ぎ先を探ってくるやりとりもあった。


 レフとヴァンダは平民から貴族まであらゆる階級の婦人たちからドレスやアクセサリーについて質問を受けた。

「ええ、リーリオニアからの職人のものです。注文はメゾンからできます」

「この宝石は新鉱山から発見されたもので、このクリマ酒のような色が特徴です」


 ここぞとばかりに彼らの興味を引くように説明を続け、さすがに疲れた二人は水分補給をした。

「今夜のノルマは達成してるわよね。でもさすがに殿下たちは素敵ねえ。お二人の肖像画入りの記念品は何を発注してるの?」

「絵皿かな。あと、陶板の細密画と」

「カップも追加して」

「分かった」

「それと、カトレイン様のネックレスは紋章を別のにしたレプリカなら流行しそう。クリスタルガラスを使って、上位品は半貴石でも良いかな」

「内宮庁に許可申請がいるけど行けると思う」


 それぞれの頭の中で満足のいく試算が出来て、二人は乾杯した。

「せっかくだからもっと踊ってこようよ」

「いいわよ」


 再び大広間の中央へと向かったヴァンダは、突然横から腕を掴まれ、引っ張られた。

「……え?」


 状況が分からないまま腰に腕を回され、引き寄せられる。目の前にはチャルトルィスキ侯爵家の御曹司がいた。

「私の相手を務めさせてやる。光栄に思え」


 顔を引きつられたものの排除も出来ず、仕方なくヴァンダは一曲だけ我慢することにした。だが、侯爵令息は重たげなステップで次第に大広間の端へと移動していく。そこは宮殿の奥に通じる廊下があり、数人の若い貴族が待ち構えていた。彼らのにやけた顔からろくなことを考えていないのが簡単に想像付いた。


 逃れる手段を考えるうちにも段々と大広間から連れ出されようとしていた。焦るヴァンダの側を一組が接近した。彼女の婚約者レフと伯爵令嬢カタジナが踊っていた。

 すれ違いざまに、カタジナがこっそりと親指を下に向けた。ヴァンダは急速に冷静さを取り戻した。小柄な伯爵令嬢から教わったことを思い出す。


 まず、わざと足をもつれさせて相手のステップを乱した。御曹司が踏みとどまろうとする瞬間、体重を乗せた左足めがけて足払いをする。

 チャルトルィスキ侯爵家の令息はあっけなくひっくり返った。やっと手が離れたと思った次の瞬間に、彼女は別の腕に捕らえられた。なじみ深い感触は婚約者のものだった。


「レフ?」

 見ればカタジナは相手を交換しグスタフと組んでいる。二組は踊りながら中央へ移動した。


 アリツィアに事の次第を知らされたカトレインは、ヴァンダの無事を確認すると警備隊長に視線を向け、扇をぱちりと閉じた。警備隊長は頷き、配下の者に侯爵家の御曹司を回収させた。

「大丈夫ですか、どうぞこちらに」


 形だけは丁寧に大広間から連行される彼を見て、姉である公爵夫人がきーきーと騒ぎながら後を追った。


「凄いね、いつ覚えたの?」

 レフに問われ、カタジナの方を見ながらヴァンダは答えた。

「淑女の嗜み」

 二人は笑い合い、疲れ知らずで軽快なステップを踏んだ。


 トマシュと踊るアリツィアが王太子たちを見ながらうっとりと言った。

「何てお似合いなのかしら。結婚式であの方の裳裾を持つのが待ちきれないわ」

「私たちの結婚式も楽しみにして欲しいんだが」

 少し拗ねたような婚約者の言葉に、アリツィアはその耳元に何事かを小さく囁いた。


 ぎこちなく、押さば引け引かば押せ状態で踊るグスタフだが、小柄な婚約者の扱いはあくまでも丁重だった。カタジナは時折彼の大きな腕の中で回転し、きっちりと抱き留めてくれるのを楽しんだ。


「足が止まってるわよ、アンジェイ」

「あ、ごめん。じゃ、これからはおしゃべり禁止で」

 アンジェイとラウラは議論に夢中になるとおろそかになるステップを回復させ、今だけは無言で楽しむことにした。


 各方面への挨拶が終わり、王太子スタニスワフとカトレインはやっと二人で踊ることが出来た。

「王女様たちはこれで正式に私たちの家族なのですね」

「そうだ。あなたや協力してくれたみんなのおかげだ」


 嬉しそうな彼を見ると、カトレインは自然に笑顔になる。スタニスワフは最愛の女性を抱き寄せた。

「結婚式はおとなしくしてくれるかな」

「大丈夫ですよ、きっと」


 十年の月日を経てようやく成婚へと辿り着く二人は、互いの存在をより近くに感じていた。

 建国祭の賑わいは王都の隅にまで広がり、恋人たちは幸福をかみしめながら踊り続けた。


最後まで読んでいただきありがとうございます。この後は王太子カップルの過去話を書くつもりです。

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[一言] 各カップルとも、信頼関係がきちんとあるのがステキです 次回作もお待ちしてます
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