2 side:シルビオ
side:シルビオ
***
腕の中で泣きながら眠ってしまったルカは、赤子のように無防備で頼りなかった。
一年前まで大きな舞台で輝いていたとは到底思えないほどに。それほど幼く、庇護欲をかき立てられた。
「ルカ…私だけの天使…」
唇にキスを落とし、ルカを抱き上げて寝室に向かおうとすると、メイド長の咳払いが聞こえた。
いつの間にかいたらしい。
彼女は父の代から仕えてくれているベテランで、執事と二人でこの屋敷のすべてを管理していると言ってもいい。
そして、シルビオの思考を熟知している一人でもあった。
「旦那様、寝室のご用意が出来ました」
「ああ、ありがとう。感謝する」
メイド長はルカに視線を移すと、母親のような柔らかな笑みを浮かべた。誰に対しても厳しい彼女には珍しいものだ。
「まったく…ルカ様も可哀想に。こんな男に捕まって…」
「なんだそれは。失礼じゃないか?」
彼女の言葉に眉を寄せると、彼女はやれやれとため息を吐いた。
「いいえ。ルカ様だって旦那様がそんな人間だと知ったら…きっと離れて行きますわ」
「そんな人間?」
「ルカ様の後見人に新しい歌姫を差し向けたのは貴方でしょう?しかも、ルカ様の喉が酷くなるのを知りながら歌う事を止めなかった…」
やはり彼女はなんでもお見通しらしい。
「確かにその通りだが、この子の喉の病は全くの偶然だよ。それに、この子が歌いたいなら止められるわけないだろう?」
「さあ、どうだか」
彼女は肩をすくめた。
一年前、ルカは歌えば腫瘍が酷くなり、腫瘍を取ればその綺麗な声が出なくなるという苛酷な状況に置かれていた。
そしてみんなの忠告を無視して歌い続け、歌えなくなった。
全ては後見人を繋ぎ止めるためにした事だ。
だが、後見人はルカを見捨てた。
その声を持たぬならば要らぬと、新しい歌姫へと意識を向けてしまったのだ。
その時、絶望の淵にいたルカを連れて帰ったのがシルビオだった。
「まあ、喉の事が無くても…いつかは手に入れるつもりだったがね」
「旦那様、どうかルカ様には…」
「言うわけないだろう?もう泣かせたくはない」
それだけ言うと、両手で抱き上げたルカを連れて寝室へと向かった。
ベッドに寝かせて自分の身を横たえると、その綺麗な顔をじっと見つめてしまう。ルカは変わらず静かな寝息を立てている。
「歌姫、ね…」
新しい歌姫はシルビオが用意した人間だ。
ただ少し歌が上手いだけの、適当に見繕った仮初めの器。
本人すら利用されているとは気付いていないだろう。すぐに限界が来るはずだ。
その才能は、ルカとは天と地ほどの差があるのだから。
それに気づかない後見人が信じられなかった。ルカを見初めた人物とは思えない。
ルカを初めて見た時、その美しさと歌声に圧倒された。
まだ舞台の主役ではなかったが、それは出会えた事に感謝するほどだった。
その後ルカの舞台は欠かさず観に行き、ルカ自身を知れば知るほど好きになっていった。
ここまで有名になれば、もう少し傲慢で周りを見下すようになっても不思議はない。だが、ルカにはそれが全く無かった。
いつまでも素直で、歌える事こそが喜び。
それが全身から伝わってきた。
この世界でそんな人間はなかなかいない。手に入れたいと思うまで時間はかからなかった。
*
屋敷に連れてきた後、ルカは少しずつリハビリし、短い間ならば歌えるようになった。
昔ほどの大きな声が出ないので、あくまで趣味程度のものにすぎないが、少しずつ笑顔は戻ってきている。
それでもまだ、さっきのように過去にうなされている時がある。ルカの心を捕らえたままの後見人が憎くて仕方なかった。
「ルカ…これからは私だけの為に歌っておくれ…」
ルカの髪を撫で、その額にキスをする。
その身体を抱き締め、目を閉じようとすると、ルカがふにゃりと笑った。夢を見ているんだろうか。
「…ふふ」
早くあいつの事は忘れて自分だけを見て欲しい。
そう願うばかりだった。
この子の為ならどんな事でもしよう。
心の底から幸せだと感じてもらえるように。
「ルカ、愛してる。私だけの歌姫――」
END