北樺太方面軍④
頭上から近づく影。
その影は兵たちの後ろに下り立った。
しかし、次の瞬間、その影は崩れ落ちた。
小銃を構えていた牟田口が、影を撃ち抜いたのだ。
銃口がずれたことを瞬時に判断した他の影は、一斉に船越を狙う。
しかし、銃撃と銃剣でギリギリ回避する。1度でも回避すれば、牟田口が追い付くので戦いはすぐに終わり、戦力差を感じたのか、影たちは暗闇に消えていった。
「消えた………………のか?」
そう言うと、牟田口は懐中時計を取り出した。針は短針が12。長針も12を指している。
「もう、日が変わったのか………………」
5月24日 0005時
「そろそろ動こうではないか。このままでは殺されかねん」
私は、皆にそう言った。
土を積んで補強されただけの簡素な陣地は、既に敵の手にある。本来、帝国軍人であるならば、何があっても死守すべきだが、死守しなければならないが、町と同様、戦力を磨り減らさぬよう退くのは仕方のないことだ。
そして俺は、このまま15人の兵らを味方に合流させなければならない。しかし、ロシアの忍の攻撃を防ぐことが出来るのは、私と船越の2人のみ。他の兵ではまず役にたたぬ。
「襲って来なければよいのだが…………私と船越の2人で防ぐには無理があるぞ」
奴等はさっき、土中に隠れていた。そして、足下から刀が飛び出してきたが、あれは船越であったから避けられたのだ。狙われたのが他の者たちなら、1人……いや、もっと死人が出ていただろう。
……………………そういえば、あの向こうに見える灯は味方だろうか。まさか、ここまで敵が来ることはあるまい。
であるならば、この辺りで再度攻撃が来るはずだ。
前、後、上、下
この4方向は既に攻撃されたから、次は横からか?いや、と見せかけて別か?
前と横は大丈夫だ。しかし、後ろはまずい。特に後ろを下から狙われたら防ぎようがない。
「船越」
「はい?」
相変わらず失礼な奴だ。上官を敬っているのだろうか。
まあ、変に媚びへつらうよりマシだが。
「敵は何処から来ると思う?」
しばらく考えたのか、数秒黙ってから答えた。
「下でしょうな。いくら帝国軍人と言っても、一般の兵卒を狙われるとお仕舞いだな」
一応敬ってはいるのか?
「ならどうする?」
「後ろも警戒しつつ動くしか無いでしょう。あっち(うしろ)は自分がやるんでこっち(まえ)は頼みますよ」
そう言うと、船越は足早に戻っていった。
前方の灯を味方と仮定すると、そこまでの距離は、大体1kmといったところか。鍛えに鍛えたこの連隊なら、このくらい容易に走り抜けるが、何処に敵が潜んでいるのか分からん以上、迂闊に走るわけにはイカンしなぁ…………
「Стрелец(ステレデーツェ)」
ターン!
「何だ!?」
「大佐ァ!!高橋が撃たれました!!」
「撃たれた!?やはり奴等持ってやがったか!!」
「高橋は生きとりますが放っとくのはまずい!」
「んなこたぁ分かってる!何処から撃たれた!」
「分かりません!!そんなには遠くないはず…………」
ターン!
再び銃声が鳴り響く。
「…………見つけた!」
そう叫ぶやいなや、船越は銃を構え、引き金を引いた。
ここ数年の内に、内部構造が改造された三八式小銃改の、聞きなれた音が闇を切り裂いた。
「次」
「セルシスタ、見つかりました」
「仕方ないわね…………総攻撃よ。準備なさい。合図は…………分かるわね?」
影の総攻撃が始まろうとしていた。
「高橋!しっかりしろ!!」
左側の草の間に隠れていた影に撃たれた、高橋勝弘一等兵。
幸い、急所は外れていたが脇腹から血が流れ続けている。速やかに治療すべきだが、敵中かつ少人数ではこれといった治療もできない。
「やはり動くしかないか…………」
距離は800m。人1人担いだところで、数分で辿り着けるはずだ。
「走り抜けるつもりか?」
近寄ってきた船越が、小声で問いかけてくる。
「敵が撃ってくる以上仕方あるまい。船越君。君が先導し、私が殿だ。そして、走り抜けるのは森ではなく街道上だ」
「…………分かった。死ぬなよ」
「死ぬかよ」
0020時
街道上を移動開始。
高橋一等兵を背負った船越を先頭に、他の兵が続いていく。そして、俺は周囲を警戒しつつ、最後尾を走る。
「来たっ!!」
先頭の船越が怒鳴る。
「撃て!」
同時に、船越の命令で射撃が始まる。側面からの襲撃だが、月明かりで敵の姿はよく見える。走りながら撃つ以上、狙いは滅茶苦茶だが撃たれながらの接近は…………
「敵、接近!!」
接近するのか!?
「船越ィ!!そのまま走り抜けろ!ここは俺が止める!」
「俺が止める」など………………我ながら痛い言い方だ。
「……了解!」
「ほら!行け!走れ!!」
誰かが走りながら撃った銃弾が、奇跡的に命中したが敵はまだまだいる。
「まあ、ここなら味方部隊も来るだろうし、そこまで気張ることも無いだろ」
味方の陣地は400m。船越らが無事に着けばすぐ増援が来るはずだ。
「火縄!?」
視界の右端で何かが映り、もう一度ちらっと見ると、それは赤く燃える火縄だった。伏せずに堂々と立射の姿勢でいる。
そして、そのまま銃口を向け、撃つ。
火は崩れるように下に落ちていき、消えた。
続いて近づく影。武装は見当たらない。いや、見えないだけだろう。どうせ刀身を黒く塗れば簡単には見えなくなるのと同じことだ。
近寄ってくるなら撃ち殺せば良いのだが、足音を聞く限り、4方位全てから近づいてきているようだ。奴等の足は速い。下手に撃つと至近距離で残りと殺りあうハメになるだろう。
「仕方ないか…………」
後方の陣地方面に走り抜けようと、振り向いたとき、足下に違和感を感じた。横に避けようとするが、もう遅かった。
地中から飛び出てきた剣に、足を斬られ、そのまま前に倒れこむ。ギリギリ切断は免れたが、走ることが出来ない。どうにか移動しようと、完全に包囲されているようだ。
前後左右と真後ろ。
ここまで近づかれると、さすがに無理だ。
しかし、これに対抗する方法が1つある。
それは、段々と近づいてくる味方がここにやって来るまで、ここに居続けるしかない。
勿論、敵もそれには気づいている。
装填済の弾丸は3発。銃剣は取り付け済。左足がやられ走れない。
「そうだな…………まずは」
しゃがんでいた状態から横に転がると、真後ろの敵を狙う。敵も突然のことに反応できていないようだが、俺が引き金を引く直前に斜め後ろに下がった。弾は一発無駄になったが、これで後ろからザクッと殺られることは無くなった。
と思ったのも束の間。
一気にケリをつけようとしたのか、全員が突撃してきた。
「これはまずい…………」
残りの2発の弾丸で、後ろ(陣地側)と右の2人を止めるが、残った敵との距離は目と鼻の先。
「ぬぉぉぉぉぉぉぉおおおおお!!!!!!!」
無理やり膝立ちになると、左を向き、地を蹴る。敵の剣が肩を掠めるが、こっちの銃剣はしっかり刺さり、そのまま倒れる。
急ぎ銃剣を引っこ抜き、構える。残りは2人。しかし、味方も近い。1分もかからぬ内に到着するだろう。
「………………$#%(&!」
何かを言い残すと、2人の敵は去っていった。味方も射撃を開始していたが、結局当たらなかったようだ。
そして、あることに気がついた。
この影の正体が、女だったということにだ。
恐らく、他の影も女なのだろう。確認しようにも、森の中に放置しているから分からん。
0100時
連隊長 牟田口廉也大佐、帰還。
また、敷香に連絡後、291連隊はレオニドヴォまで退却した。




