1.こんな寒空に部屋着で放り出すやつがあるか
「どこだ、ここ……」
淡い青が山向こうの太陽に照らされて、どんどん明るくなっていく。
それと同時に見えてくる周囲は、どこまでも牧歌的な草原。
草の合間に可愛らしく咲く黄色い花を揺らす風がどことなく冷たいのは、状況的に朝と思われる時間帯のせいか。
「いや、おかしいだろ!」
どうして俺がこのような状況になっているのか。それは俺にも分からない。
いつも通り仕事して、いつも通り残業して、疲れた体を引き摺って入ったスーパーで撤去間近の半額弁当を買って、動画をお供にだらだら食って、面倒だから風呂明日でいいや〜明日休みだし〜なんて、床でゴロゴロしながらいつの間にか寝落ちて。
それで、ちょっと寒いな、やっぱ布団で寝なきゃな、なんて目を開けたらこれだ。
一瞬病気を疑ったが、日高暁斗、27歳。耄碌するにはまだ若い。
それに百歩譲って俺が夢遊病者だったとしても、この光景はおかしい。俺のアパートは都内近郊の駅から徒歩15分のちょっと遠いけど広めで安い1DKだ。古き良き昭和レトロな雰囲気が残る場所とはいえ、こんな草原は近所にないし、青々とした山など見えるはずもない。
落ち着け、と言い聞かせて深く吸った息で感じるのは、朝の独特な匂いと草の青み。旅行が趣味なこともあり国内はいろいろ回っているが、やはり土地独特の匂いというものがある。
この匂いは果たして日本なのだろうか。正直、国内とはどうも思えない。となると、脳裏に浮かぶ可能性は絞られてくる。
つまりこれは、あれではないか。最近流行りの異世界転移、ってやつ。
「いやいや、まさかな」
考えてみれば、異世界転移なんて現実味がないパターンよりは、移動距離や状況の疑問が残るけど拉致誘拐の方が可能性がある。昨今物騒な世の中だしな。
「とにかく、移動した方が良いよな」
どちらにせよ、ここがどこなのかというのはハッキリさせないといけないわけだし、本当に誘拐なら犯人に捕まる前に離れた方がいいだろう。
とはいえ、右も左も分からないのにどっちへ行こうかな。せめてコンパスでもあれば……。
「……っスマホ!!」
咄嗟に普段収納してるポケットの辺りへ手を伸ばすが、スマホどころかポケットもない。よく見たら、俺の格好はボクサーパンツにインナーだけの完全な部屋着スタイル……いや。部屋着というのも烏滸がましい下着スタイルだ。家の中に一人でいるからこそ出来る格好で、決して野外でしていい格好じゃない。いい大人が下着で野外をうろうろしてるなんて、通報されてもおかしくない。というか、この時間帯に外にいる格好じゃない。肌寒すぎる。
これは早く服なり暖かい場所を確保しないと色々やばい。
「よし、」
俺は覚悟を決めて、最初の一歩を踏み出した。柔らかな草の感触が足の裏に当たってこそばゆい。これ、尖ったもの落ちてたりしないよな。傷ついて破傷風コースとか、絶対避けたい。災害に備えて枕元に靴って聞くけど、まさかこんな所で痛感するとは。
「せめてスリッパでも履いて生活してりゃな」
山と反対方向に歩けば人が住む場所がありそうな気がしてとりあえず進んでみたけど、平坦に見えていた草原は歩いてみると緩やかな傾斜があって、微妙なアップダウンが地味に体力を削っていく。近くに山が見えるし、麓みたいなところなのかもしれない。
しかし歩けども歩けども草原で、道はおろか人もいないし、人の生活の気配もない。時間帯的なものもあるのかもしれないが、それにしたって何もなさすぎる。
え、これ……大丈夫か。人、いるよな? 人がいない土地にいるとか、ないよな。
最初はなんだかハイになっていたからか景色を楽しんでみたり、途中からは、もし本当に異世界転移なら俺もアニメみたいに特殊能力持ちになってたりして~とか思ったりしていたが、だんだん頭が冴えてくると不安な事ばかりが脳裏に浮かぶ。
財布も何もなくて、どうやって家まで帰ろうか。日本であれば警察なんかに頼る方法もありそうだが、外国だったらすぐに帰れるとは限らない。パスポートやらなにやら、問題は山積みだろう。
なにより、本当に異世界だったらどうしよう。
身分も家も金も何もないで、どうやって生きていくんだろう。
少し冷たい風が通り過ぎる草原はどこまでも爽やかで、こんなに気持ち良い場所にいるっていうのに、年甲斐もなく泣きそうだ。
せめて人間のいる痕跡さえあれば、まだ希望が持てるのに。とりあえず足は止めてないけど、マジで挫けそう。寒いし、腹もへったし、なにより孤独で寂しい。
つらいと思って歩く一歩はどんどん重くて、限界を感じたその時。
「あれ?」
草ばかりの視界に、細長いものが横にずらり。明らかに自然物じゃないシルエットだ。
もしかしたら、人がいるかも。そう思ったら、ダンベルくくりつけたみたいな足がどんどん軽くなっていく。
駆け寄ってみると、広大な草原を区切るようにいくつも打ちつけられた丸太が左右どちらにも果てなく続いていた。全体的に古びていて所々木が割れたり朽ちている部分もあるから今も人がいるかは分からないが、それでも人がやったものを見ると一人じゃない安心感がある。
古びた柵は俺の身長くらいあるけど、根本が腐って倒れてる所からなら、跨いで中に入れそうだ。
本当は断りもなく人様の敷地に入るのはよくないけど、今は緊急事態だからやむなし。ということで。
「すみません、お邪魔します」
会った時に事情を話して謝罪することにして、木の破片に気をつけながら侵入させていただいた。
柵を越えた後も草原はしばらく続いていたけど、知らない実のついた木々が植っているところや、畑と思われるエリアもあって、区分けされているように見えた。畑は大概草が伸びっぱなしだったけど、歩き続けると人の手が入ったように見える畑やら、大きめの建物が見えてきた。
「よっしゃ……!」
ようやく、脱・一人!
建物は本当に大きくて立派なお屋敷で、海外ドラマで見たカントリーハウスみたいな造りに見える。古めかしい壁面に伝う蔦が年月を物語っているけど、それもまた味があって良い。
「ごめんくださーい」
ちょうど小さめの扉を見つけたので数回ノックをしてみたけど、返事はとくにない。
寝てるのかな、まだ朝だしな、一応。
さて、どうするべきか。
日本人的には、訪問にはふさわしくない時間に、人が出てくるまでノックを続けるっていうのはマナー的に気が引ける。でも不法侵入している手前、ここでダラダラしているとそれこそ怪しいのも確かだ。
試しにドアに手をかけてみると、鍵はかかっていなかった。
「罪を重ねるか、否か」
少し考えたけど他に方法も浮かばなく。緊急事態だし、と言い聞かせて、俺は罪を重ねることにした。
「ごめんくださーい。誰かいませんかー?」
扉を開けて叫んでみる。左右に廊下が続き、とくに部屋につながるような扉は見当たらない。連絡通路のような感じなのだろうか。
相変わらず人の気配はないので、空き家とかお留守の可能性もあるが、こんなところまで来ては、もはや事情を説明するまでは帰れない。でなければ、俺は下着で出歩き人様のお宅へ不法侵入する変質者で終わってしまう。
声をかけながら廊下を歩いてみるものの、しばらく経っても人は出てこない。大きいお屋敷だからお手伝いさんとかでもいないかと思ったけど、これは本格的にお留守or空き家説が濃厚だな……。
いくつかの部屋を覗き、広間を抜けて、半地下のようなエリアに来た。お屋敷は外に比べたら格段に暖かったが、ここは少し肌寒い。さっき覗いた部屋は食糧庫でワインセラーみたいに冷えていたから、その影響なのかも。いや、寒いから食糧庫になっているのか。
「ここは……台所か」
調理器具が壁にかかり、棚にはおそらく調味料と思われる瓶や袋が収納されている。中央に置かれた作業台の奥には窯のようなものと、コンロに良く似たものが置かれていた。ガスコンロみたいなビジュアルだけど、ボタンもつまみもついてない。代わりに小さい宝石のような石がついていて、五徳の中央にも同じ色の石が嵌め込まれている。現代にある外国の古き良きお屋敷みたいだ。
動画でたまに見る光景と重なるところが多くて親しみを感じたせいだろうか。疲労感と眠気が一気にきた。
ああ、家主にご挨拶もしてないのに寝るなんて。でもどうにも立っていられず、ひとまず近くにあった丸椅子に腰掛けたが、体は流れるように作業台に突っ伏してしまう。経験上、この手の眠気は少し寝た方が頭がしゃっきりするものだ。職場の昼休みと同じように。
10分だけ、そしたら起きよう。
そう思うと同時に意識を手放した。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
「……す……れ……にゅう……い」
「……も、……れてる……よ」
なんだか、耳元が騒がしい。
「ま……かも。たす……い?」
「そう…………ひい……まうよ」
複数人の子供みたいな声。もしかして、家の人が帰って来たのかも。
「あ、目が開いた!」
俺を覗き込んでいたらしい藍色の大きな瞳が、好奇心旺盛に光る。がばりと上体を起こして周囲を見ると、俺を取り囲むように3人の子供達が立っていた。
不思議そうに、楽しそうに、不愉快そうにこちらを見ている3人は、同じふわふわの茶髪にとんがり帽子を乗せてオーバーオールみたいなぼろぼろの服を着ていたが、それぞれ瞳の色が違っている。
赤い瞳の髪の長い子は、おそらく女の子だろう。この子より少し背の高いオレンジ色の瞳の子は多分男の子で、短い髪の毛先がくるくる跳ねている。最初に俺を覗き込んできた藍色の瞳の子はおかっぱ髪で女の子に見えるが、さっき聞いた声は声変わり前の男の子のようにも感じた。
いや、ちょっと待て。この子たち子供じゃないな!?
寝ぼけてサイズ感がつかめてなかったけど、ちょっと背の高いポットくらいのサイズしかない。体型のバランスとしては幼稚園かそこらの子供みたいだからマスコットみたいなずんぐりむっくり感はないけど、机の上に立った藍色の瞳の子の目線は、椅子に座った俺の少し下くらいだ。
「えっと、君たちは……?」
「それはこっちのセリフよ! 断りもなく家に入り込むなんて、あんた何者!?」
赤い瞳の子がびしりと指を指す。
「まあまあ、話は出来るみたいだし」
オレンジ色の瞳の子が宥めるように間に入り、俺へ挨拶してくれた。
「やあ。君はだれ? どうしてここにいるの?」
「断りもなく入って申し訳ない、実は気がついたら草原にいて、ここがどこだかも分かってないんです。情報が欲しくて人を探してたらここを見つけて、家主を探してる間に疲れてついうたた寝を……」
「ほら! やっぱり迷子だ!」
藍色の瞳の子が楽しそうにはしゃぐ。
迷子か……。確かにそうだけど、この年でそう言われると、ちょっと心にくるものがある。
「君たちが家主さん、ですか?」
「ヤヌシサンって?」
「あー、この家の持ち主の方かな? って質問なんだけど」
ああ、と納得したように3人が頷く。
「アタシたちはブラウニー。この家は住み処だけど、持ち主じゃないわ」
敵じゃないと分かったからか、赤い瞳の子は警戒心を緩めてくれたようだ。
それにしてもブラウニーか、美味しそうな名前だな。
「ん? あたしたちって……?」
「あれ、僕たちを知らないんだ。珍しいね、たしかにあんまり姿は出さないけど、知ってる人の多い種族だと思ってたよ」
「じゃあ自己紹介だね! ボクたちブラウニーは屋敷妖精って呼ばれてるよ。気に入った家に住んで、家の仕事をしたり家を守ったりするの!」
藍色の瞳の子が、手をいっぱいに広げて話してくれる。なんだか甥っ子と話す時を思い出して、思わず頭に手が伸びてしまった。
勢いで撫でてしまったけど、失礼だったかな。様子をみる感じ嬉しそうにしてくれてるから、とりあえず問題なしのように思うけど。
「そうなんだ、ご丁寧にありがとう。俺は日高暁斗っていうんだ。よろしくね」
可愛らしい雰囲気に呑まれて、初対面の人にはとりあえず敬語を気を付けていたのにそれも取れてしまってた。
なんだかめちゃくちゃ和むけど、種族とか妖精とか、現代においてはかなり馴染みのない(漫画やアニメでは馴染みあるけれども)、現実離れしたこの状況。まさかの異世界転移、確定じゃないか?
マジか。ほんとにあるのか、そういうの。
漫画やアニメではちょこちょこ見てたけど、まさかそんなことが本当に起こるなんて。グルメ系のやつとか、美味しそうでつい見ちゃうんだよな……ってそうじゃなく。
真面目な話、どうしよう。
だいたいアニメではこういう時、王宮とか、とにかく人がいるところに召喚されてないか?
もしくは真っ白な世界で神様とかから事前説明されてないか?
こんなだだっ広い草原に、何の説明もなく放置のパターンってあるのか?
こんな平凡なサラリーマン取っ捕まえて、寒空に下着で放り出すやつがあるか。
俺をこんな目に合わせたやつに腹が立って仕方がないが、ぶつける相手がいないんじゃどうしようもない。
気を取り直して、3人の小人たちと向き合う。とにかく情報がほしいところだ。妖精って長生きのイメージだし、もしかしたら何か知ってるかもしれない。
「住んでるってことはこの家には詳しいのかな。家の人に挨拶したいんだ、勝手に入ってしまったから謝罪もしたいし」
「人間かあ、前の主人がいなくなってからしばらく見てないなあ」
「え、マジ……?」
「たま~に人が来て掃除する程度ね」
「でも、最近来る人はいるよ。一月に数回くらいだけどね」
まじか。ってことはここ空き家じゃん。たまに掃除する人が来るってことは管理人はいるみたいだけど、今日会える保証はないしなぁ。
「たまに来る人が誰だか知ってるかな。どこに住んでるとか」
「知るわけないでしょ」
「だよね……」
うーん。よし。
ここは人に会うのは一旦諦めよう。ひとまずここにいればいつかは人に会えるわけだし、話はその時だ。
「たまに来るって人に会えるまで、俺も少しの間ここにいてもいいかな」
一番最初は敵意むき出しだった子もいたし、あまり良く思われないかもしれないけど、ここが俺の知っている世界ではない事がほぼ確定した今、このまま何も知らないでぶらつくのも命取りな気がする。
「好きにすれば? アタシたちだって勝手に住み着いてるだけだし」
「えっそんな軽い感じでいいの? さっきは怒ってたのに」
「さっきは君が家に害をなす存在の可能性があったからね。今は違うって分かるから大丈夫だよ」
オレンジの瞳の子の穏やかな笑みからはマイナスな感情は伝わってこない。
知らないところで、初めて受け入れてもらえた事が、すごく、すごく嬉しかった。
「じゃあさっそく家を案内しなきゃね!」
「紹介するよ、行こう」
「ボサっとしてないで! この屋敷はすごく広いんだから!」
不安なことはまだ多いけど、それでも心は暖かい。さっきまでの、草原に一人でいた時とは大違いだ。
「よし、行こう!」
両手を背中を小人たちに引っ張られ、俺は彼らの勧めるまま歩き出した。
続




