第2話 財運の女神は「一緒に豊かになりたい」
翌日。
福の神は、いつものように人々の願いを聞いておりました。
「どうか、今年も商売がうまくいきますように」
「はい。商売繁盛の神様へ取り次いでおきましょう」
「家族みんなが、元気で暮らせますように」
「家内安全の神様へお伝えしておきます」
今日も、いつもと変わらぬ一日です。けれど、福の神の頭の片隅には、昨日の言葉が残っていました。
『福の神様ご自身は?』
美の女神にそう尋ねられたときのことです。
「…………」
福の神は歩きながら、考え込みました。
「私自身は……何をしたいのだろう」
人々が幸せになるのは嬉しい。それは間違いありません。病に苦しむ人が元気になれば嬉しい。商売が繁盛して喜ぶ人を見れば嬉しい。家族みんなで笑っている姿を見れば、もっと嬉しい。
けれど。
「それは……私自身の願いなのだろうか」
福の神は足を止めました。今まで、自分の願いなど考えたことがありませんでした。誰かの願いを聞くことには慣れている。けれど、自分の願いを自分に聞くのは――初めてでした。
「…………分からない」
結局、考えても答えは出ませんでした。
◇
仕事を終えると、福の神は縁結びの神の神殿へ向かいました。
「来たか!」
福の神の姿を見るなり、縁結びの神が勢いよく立ち上がります。
「昨日は残念だったな!」
「はい」
「だが、気を落とすな! 嫁探しはまだ始まったばかりだ!」
「ありがとうございます」
「というわけで――今日は二人目だ!」
「もう決まっているのですか?」
「ああ!」
縁結びの神は、胸を張りました。
「次のお相手は――財運の女神だ!」
「財運の女神……」
「そうだ!」
福の神は少し考えました。
「私とは、相性が良さそうですね」
「そうだろう?」
縁結びの神は、得意げに頷きます。
「お前は人々に福を届ける。彼女は人々に財をもたらす。どちらも、人々の暮らしを豊かにする神だ」
「なるほど」
「それに財運の女神は、しっかり者で現実的だ。お前のような仕事一筋の男には、ちょうどいいかもしれん」
「そうでしょうか」
「そうだとも!」
縁結びの神は、ぽん、と福の神の肩を叩きました。
「今度こそ、うまくいくかもしれんぞ」
「……はい」
福の神は頷きました。けれど、胸の奥には小さな不安がありました。昨日の問い。『福の神様ご自身は?』その答えが、まだ見つかっていなかったからです。
「今度こそ、嫁が見つかるとよいのですが」
そう呟いて、福の神は神殿を後にしました。
◇
翌日。
指定された場所へ向かうと、一人の女神が待っていました。金色の髪をゆるく結い、上品な衣をまとっています。身につけている装飾品は、どれも質の良いものばかり。けれど、華美というわけではありません。彼女自身もまた、飾り立てることなく、朗らかな笑顔を浮かべていました。
「はじめまして、財運の女神です」
「はじめまして、福の神です」
二人は向かい合って座りました。
「今日はお時間をいただいて、ありがとうございます」
「こちらこそ」
財運の女神は、にこりと笑いました。
「福の神様のお仕事については、よく存じています」
「そうですか」
「ええ。人々の願いを聞いて、それぞれの神様へ取り次ぐお仕事でしょう?」
「はい」
「素晴らしいお仕事ですね」
「ありがとうございます」
「福の神様は、長くこのお仕事をされているのですか?」
「ずっとです」
「お好きなのですね」
「ええ」
福の神は、少しだけ笑いました。
「人々が幸せになるのを見るのが好きです」
「……やっぱり」
「?」
「思った通りのお方です」
「思った通り?」
「ええ。優しい方なのだなと思いました」
「そうでしょうか」
「はい」
福の神は、少し照れたように目を伏せました。
昨日よりは、会話が続いています。
「では、財運の女神様は、どのようなお仕事を?」
「私ですか?」
「はい」
「人々の暮らしが豊かになるよう、財の巡りを助けています」
「福の神の仕事と似ていますね」
「そうかもしれません」
財運の女神は、くすりと笑いました。
「だから、福の神様とは気が合うかもしれないと思ったんです」
「それは嬉しいですね」
福の神も笑いました。
そのとき、財運の女神と目が合いました。
「福の神様」
「はい」
「もし私たちが夫婦になったら――どんな暮らしをしたいですか?」
「…………」
福の神は、ドキリとしました。昨日と同じ質問です。けれど今日は、逃げずに考えてみようと思いました。
「そうですね……」
しばらく考えたあと、福の神は答えました。
「財運の女神様が困らないようにしたいと思います」
「まあ」
「もし財に困ることがあれば、私が財運に関わる神々に取り次ぎましょう」
「…………」
「商売を始めたいのであれば、商売繁盛の神にも話を通したり。何か願いがあれば、できる限り力になりたいと思います」
財運の女神は、じっと福の神を見つめました。
「……福の神様」
「はい」
「それは、とてもお優しい考え方ですね」
「ありがとうございます」
「でも――」
「はい?」
「私は、そういうことを聞いたのではありません」
「……?」
福の神は首を傾げました。
「私は、福の神様に私と一緒に、どんな暮らしをしたいかと聞いたのです」
「一緒に……」
「はい」
福の神は考えました。
「それなら……二人で穏やかに暮らすのがよいのではないでしょうか」
「穏やかに?」
「はい」
「それだけですか?」
「それだけ……?」
福の神は問われていることの意味がよく分からず、キョトンとしてしまいました。その様子を見た財運の女神は少し考えたあと、ふっと笑いました。
「では、もっと具体的に言いましょう」
「お願いします」
「私はね、豊かな暮らしが好きなんです」
「なるほど」
「美味しいものを食べたり」
「はい」
「綺麗な家に住んだり」
「はい」
「たまには旅行をしたり」
「旅行……」
福の神の目が、ほんの少しだけ動きました。
財運の女神は、それに気づいたのか気づかなかったのか、そのまま続けます。
「欲しいものを買ったり」
「なるほど」
「そして――」
財運の女神は、福の神をまっすぐ見ました。
「夫婦で、一緒に豊かになりたいんです」
「…………」
福の神は、目を瞬きました。
「一緒に……?」
「はい」
「豊かに……?」
「はい」
福の神は、しばらく黙っていました。
「それは……財運の女神様ご自身が、豊かになりたいということでしょうか?」
「もちろん、それもあります」
「では、財運の女神様の財運を上げれば――」
「違います」
「違う?」
「そうではありません」
財運の女神は、困ったように笑いました。
「私は、自分だけが豊かになりたいわけではありません」
「では……?」
「福の神様と、一緒に豊かになりたいんです」
「私と……」
「はい」
財運の女神は、楽しそうに続けました。
「二人で働いて」
「はい」
「二人で美味しいものを食べて」
「はい」
「二人で欲しいものを買って」
「はい」
「二人で旅行をして」
「……はい」
「そうやって、一緒に豊かになっていくのが理想なんです」
福の神は黙っていました。そんな考え方は、今までの自分にはありませんでした。人々を豊かにすることは知っています。誰かの商売が繁盛するよう願うことも。誰かが財を得られるよう取り次ぐことも。
けれど――。
「……私自身が、豊かになる」
「はい」
「それを、誰かと一緒に喜ぶ……」
「はい」
「…………」
福の神は、ふと先ほどの言葉を思い出しました。
「旅行……」
「はい?」
「二人で旅行をする、というのは……」
「ええ」
「……少し、楽しそうですね」
「まあ!」
財運の女神が嬉しそうに笑います。
「でしょう?」
「……はい」
福の神も、ほんの少し笑いました。
けれど、すぐに難しい顔へ戻ります。
「ただ……」
「はい」
「申し訳ありません」
「え?」
「私には、やはり難しいかもしれません」
「どうしてですか?」
「私は、人々に福を届ける仕事があります」
「ええ」
「自分のために財を増やすことを、あまり考えたことがないのです」
「…………」
「それに、私が豊かになれば、その分だけ誰かに回せる福が減ってしまうような気がして」
「福の神様」
「はい」
財運の女神は、優しく笑いました。
「豊かさは、誰かから奪わなければ得られないものばかりではありませんよ」
「……そうでしょうか」
「ええ」
財運の女神は、静かに頷きました。
「二人で働いて、二人で得て、二人で使う」
「二人で……」
「そういう豊かさもあるんです」
「…………」
「それに」
財運の女神は、少しだけ笑いました。
「誰かを幸せにすることばかりが、福ではありません」
「…………」
「自分が幸せになることだって、立派に福をもたらしていることになると思いますよ」
福の神は、何も言えませんでした。
「……そう、ですか」
「はい」
財運の女神は立ち上がりました。
「でも、今日はとても楽しかったです」
「私もです」
「本当ですか?」
「はい」
福の神は素直に頷きました。
「旅行の話は……少し興味が湧きました」
「ふふ。では、いつか良い方と行ってくださいね」
「…………」
福の神は、少しだけ黙りました。
「良い方……ですか」
「はい」
財運の女神は、にこやかに微笑んでいます。
「きっと、福の神様にも素敵なご縁がありますよ」
「…………そうですか」
その言葉を聞いて、福の神はようやく気づきました。
――ああ。自分とは、一緒に行きたいとは思っていないのだ。
「……分かりました」
胸の奥が、ほんの少しだけ沈みました。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
二人は頭を下げました。
こうして、二人目のお見合いも終わりました。
◇
その日の夕方。今日のお見合いの報告をしに福の神は縁結びの神の神殿に向かいました。
「どうだった!?」
門をくぐる前に縁結びの神が飛び出してきて、勢いよく尋ねました。
「駄目でした」
「なぜだ!?」
「一緒に豊かになりたいと言われました」
「ほう」
「二人で働いて、二人で美味しいものを食べて、二人で旅行をしたいそうです」
「いいじゃないか」
「……はい」
福の神は頷きました。
「私も、少し楽しそうだと思いました」
「だったら、何が駄目なんだ?」
「私の仕事は、人々に福を届けることです」
「それが?」
「自分の福については、あまり考えたことがないのです」
縁結びの神は、じっと福の神を見ました。
「……お前、本当に自分のことを考えないな」
「そうでしょうか」
「ああ」
「ですが、私は福の神ですから」
「福の神だから?」
縁結びの神は首を傾げて続きを促します。
「私と夫婦になる方には、できるだけ不自由なく、幸せに暮らしてほしいと思っています」
「…………」
「困ったことがあれば私が助けたいですし、何か欲しいものがあるなら、できる限り叶えてあげたいと思います」
「なるほどな」
縁結びの神は腕を組みました。
「お前は、相手を幸せにすることを考えているわけだ」
「はい」
「じゃあ、相手は?」
「相手……?」
「お前の妻になる人は、お前に何をしてくれるんだ?」
「…………」
福の神は黙り込みました。
「私が……してもらう?」
「ああ」
「考えたことがありません」
「だろうな」
縁結びの神は、ため息をつきました。
「財運の女神は、お前に何と言った?」
「二人で豊かになりたい、と」
「そうだろうな」
「はい?」
「それはつまり、自分だけが幸せになりたいんじゃない」
「…………」
「お前にも一緒に幸せになってほしいってことだ」
福の神は、目を瞬きました。
「私にも……?」
「ああ」
「…………」
「お前は、夫婦ってのを『自分が相手を幸せにするもの』だと思ってないか?」
「……はい」
福の神は、素直に頷きました。
「そう思っていました」
「でもな」
縁結びの神は、少しだけ笑いました。
「夫婦ってのは、一人が一人を幸せにするものじゃない」
「…………」
「二人で幸せになるものだ」
「二人で……」
「ああ」
福の神は、その言葉を繰り返しました。
「二人で、幸せに……」
「そうだ」
「…………」
福の神は、しばらく考えました。美の女神にも尋ねられたことを思い出します。
『福の神様ご自身は?』
財運の女神には言われたことも。
『福の神様と、一緒に豊かになりたいんです』
そして今、縁結びの神は言った。
『二人で幸せになるものだ』
どれも、少しずつ違う言葉なのに。言っていることは、同じことのように思えました。
「……私も、幸せになっていいのでしょうか」
福の神が、ぽつりと尋ねました。
「当たり前だろ」
縁結びの神は、呆れたように笑いました。
「むしろ、今までどうして考えなかったんだ」
「…………」
福の神は、自分の胸に手を当てました。
「私も……幸せに」
その言葉に、まだしっくりときていませんでした。けれど。昨日までよりも、ほんの少しだけ。自分のことを考えてみたいと思えました。
「では、まずは……」
「まずは?」
「私が何をしたいのかを、考えてみます」
「それがいい」
「…………」
福の神は考えました。
「……ですが」
「なんだ?」
「やはり、よく分かりません」
「…………」
縁結びの神は、天を仰ぎました。
「これは長い戦いになりそうだ……」
福の神の嫁探しは、まだ始まったばかり。けれど、この日から。福の神は少しずつ、自分自身の幸せについて考えるようになったのでした。




