第1話 福の神、嫁を探す
昔々、あるところに、福の神がおりました。
福の神の仕事は、人々の願いを聞き届けること。病に苦しむ者がいれば、健康を司る神へ。商売がうまくいかず困っている者がいれば、商売繁盛の神へ。恋に悩む者がいれば、縁結びの神へ。家族の無事を願う者がいれば、家内安全の神へ。
福の神は、人々の願いを一つひとつ聞き、それぞれの神へ取り次いでいました。いわば、神々と人間を繋ぐ中継ぎ役でした。
「どうか、うちの店が繁盛しますように」
「良いご縁がありますように」
「家族みんなが、元気で暮らせますように」
今日も人々の願いを聞いては、あちらの神へ、こちらの神へと駆け回っておりました。
「商売繁盛の神様、こちらの方をお願いいたします」
「縁結びの神様、こちらの娘さんに良いご縁を」
「家内安全の神様、この家族をどうかお守りください」
福の神が取り次ぐたび、人々の顔には笑顔が戻っていきます。それを見るのが、福の神は何より好きでした。
「人が幸せになるのは、よいことですねぇ」
そう呟いて、今日もまた一人、また一人と願いを神々へ届けていきます。朝から晩まで仕事、仕事、また仕事。その働きぶりから、福の神は人々にも神々にもたいそう慕われていました。
――ただし。そんな福の神自身には、ひとつだけ足りないものがありました。
◇
「……そういえば、私もそろそろ嫁を取らねば」
ある晩。仕事を終えて神殿へ戻った福の神は、ふとそんなことを思いました。広い神殿には、自分ひとり。夕餉の膳も、もちろん一人分。静まり返った部屋に、自分の箸の音だけが響いています。
「…………」
福の神は急に食が進まなくなり、箸を置きます。いつもなら気にも留めない静けさが、その日は妙に寂しく感じられたのです。これまで、そんなことを考える暇もありませんでした。人々の願いを聞き、神々へ取り次ぎ、また次の願いを聞く。そうしているうちに、一日が終わる。誰かの幸せを願うことばかりで、自分の幸せについて考えたことなど、ほとんどなかったのです。
「このままで、よいのでしょうか……」
福の神は、ぽつりと呟きました。実は福の神は以前から、嫁探しをしたことはありました。神々が集まる宴――人間でいうところのお見合いパーティーのようなものです。そのような集いに何度か参加してみたことがあるのです。酒を飲み、料理を食べ、互いに自己紹介をする。そんな場でした。
「福の神様って、どんなお仕事をされているんですか?」
「人々の願いを、それぞれの神へ取り次いでおります」
「まあ、素敵ですね!」
最初は皆、そう言ってくれました。ところが。
「ご趣味は?」
「仕事です」
「お休みの日は何を?」
「仕事をしております」
「将来、どんな家庭を築きたいですか?」
「……家族が皆、幸せになれる家庭でしょうか」
「…………」
なぜか、そこで会話が終わってしまうのです。宴が終わる頃には、福の神の隣には誰も残っていませんでした。
「……私は、そんなに魅力がないのでしょうか」
福の神は、毎度しょんぼりと肩を落として帰るのでした。
◇
翌朝。福の神は、いつものように仕事へ向かっていました。そして、その日の昼。いつものように人々の願いを聞いていると、福の神のもとへ一人の娘がやってきました。
「どうか、良いご縁がありますように」
「承知しました」
福の神は頷きます。
「では、縁結びの神様へ取り次いでおきましょう」
娘には聞こえないその言葉を口にした瞬間、福の神は閃き、ぽん、と手を打ちます。
「……そうです。縁結びの神に相談すればよいのでは?」
自分の嫁探しなのだから、自分で探すより、縁を結ぶことを専門としている神に頼めばいい。我ながら名案であると思いました。仕事を終えると、福の神はさっそく縁結びの神の神殿へ向かいました。
◇
「嫁が欲しい?」
「はい」
縁結びの神は、目を丸くしました。
「お前が?」
「私がです」
「……とうとうか」
「とうとう?」
「いや、お前から言い出すのを今か今かと待っていた」
縁結びの神と福の神は友人でした。人の縁を結ぶ仕事をしているため、福の神から人間の恋愛相談を持ち込まれることも多かったので二人の付き合いは長く、福の神から見て縁結びの神は信頼できる相手でした。
「それなら早く私のところに来ればよいのに」
「すみません。自分のこととなると気が回らなくて」
「よし! どれ、私が良い嫁を探してやろう!」
縁結びの神は勢いよく膝を打ち、立ち上がります。
「頼めますか?」
「もちろん。何しろ私は縁結びの神だからな」
胸を張る縁結びの神が頼もしく見えました。
しかし。
「……ただし」
「ただし?」
「神の縁は、人間の縁より難しいのだ」
「そうなのですか?」
「神同士というのは、どうにも面倒でな」
「……」
「まあ、なんとかなるだろう! 任せておけ!」
「ありがとうございます」
力強い縁結びの神の言葉に福の神は、相談して良かったと思いました。
◇
それから数日後。
福の神と縁結びの神は、神殿の一室で向かい合っておりました。
「……うむ」
縁結びの神は、これまでのお見合いパーティーの顛末を福の神から聞きながら、難しい顔をしています。
「それでは駄目だな」
「何がでしょう?」
「お見合いの方法だ」
「方法?」
「お前には、あのような大勢が集まる宴は向いていない」
「そうでしょうか」
「そうだ」
縁結びの神は、きっぱりと言いました。
「お前は人の話を聞くことは得意だ。だが、自分のことを話すのが苦手すぎる」
「……」
「大勢の中では、どうしても他の者に話題を取られてしまう。それに、お前は緊張すると仕事の話しかしなくなる」
「そうですか?」
「そうだ」
「……そうなんですね」
「自覚がなかったのか?」
福の神は、しょんぼりと肩を落としました。
「では、私は嫁をもらうのは難しいのでしょうか」
「そう悲観するな」
縁結びの神は、ぱん、と手を叩きました。
「そこでだ」
「はい」
「今度は一対一で会ってみよう」
「一対一?」
「ああ」
縁結びの神は自信満々に頷きました。
「大勢の中ではなく、相手と二人だけで話すのだ。そうすれば、お前も落ち着いて相手の話を聞けるだろう」
「なるほど」
「それに、相手もお前のことをゆっくり知ることができる」
「それは良さそうです」
「だろう?」
福の神の顔が、少し明るくなりました。
「では、お願いできますか?」
「もちろんだ!」
こうして、縁結びの神は一対一のお見合い相手を探すことになりました。
最初に紹介されたのは、美の女神でした。その名の通り、たいそう美しい女神です。艶やかな髪に、透き通るような肌。身にまとった衣も上品で、歩くたびに小さな飾りがしゃらりと鳴ります。
福の神は、向かいに座った彼女を見て、素直に感心しました。
「なんて美しい方なんでしょう」
「まあ……ありがとうございます」
美の女神は嬉しそうに微笑みました。
「福の神様も、とても真面目そうなお方ですね」
「そうでしょうか」
「ええ。お顔立ちも優しそうですし」
「ありがとうございます」
福の神はぺこりと頭を下げます。
「…………」
「…………」
しばしの沈黙。縁結びの神からは、くれぐれも会話を途切れさせるなと言われています。福の神は話題を必死に考えました。
「……好きな食べ物はありますか?」
「甘いものが好きです」
「そうですか」
「福の神様は?」
「私は、人々が食べるものなら何でも」
「まあ、ずいぶん大雑把ですね」
「そうでしょうか」
また沈黙。
福の神は、額にうっすら汗を浮かべながら、なんとか次の話題を探しました。
「では……趣味などは?」
「美しいものを見ることです」
「なるほど」
「福の神様は?」
「人々の暮らしを見ることです」
「まあ……」
「人々が元気に働いている姿や、家族で食卓を囲んでいる姿を見るのが好きです」
「……素敵ですね」
美の女神は少しだけ微笑みました。けれど、その表情にはどこか物足りなさがありました。やがて、お茶を一口飲んだ美の女神が、意を決したように尋ねます。
「福の神様」
「はい」
「もし、私たちが夫婦になったら……どのような暮らしをしたいですか?」
福の神は、真剣に考えました。
「そうですね」
そして、ゆっくりと答えます。
「あなたが困ることのないようにしたいと思います」
「まあ」
「病気になれば健康の神に頼みます。商売をしたいのであれば商売繁盛の神に話を通します。何か願いがあれば、私ができる限り取り次ぎましょう」
「…………」
「あなたには、幸せでいてほしいと思います」
美の女神は、じっと福の神を見つめました。
「……では」
「はい」
「福の神様ご自身は?」
「私ですか?」
「ええ。福の神様は、私と何をしたいですか?」
「…………」
福の神は、困ったように眉を寄せました。
「何を……」
「たとえば、一緒に出かけたり。食事をしたり。お話をしたり」
「……」
「そういうことは、考えてくださっていますか?」
福の神は考え込みました。そして、しばらくしてから答えました。
「もちろん、一緒に食事をするのはよいと思います」
「では、お仕事をお休みしてくださいますか?」
「それは……」
福の神は困った顔をしつつ、はっきりと言いました。
「難しいですね」
「なぜです?」
「私は福を配らねばなりませんから」
「……」
「人々が私を待っています」
美の女神は、静かに福の神を見つめています。
「では、私よりお仕事を優先なさるのですね」
「それは当然です」
「…………」
福の神は何か間違えたことを言ったのだろうか、と首を傾げます。
「仕事を放り出してしまえば、人々が困ります」
「ええ。分かっています」
「ですから、申し訳ありませんが……」
「いいえ」
美の女神は、にこりと笑いました。けれど、その笑顔は先ほどまでより少し寂しそうでした。
「よく分かりました」
「……?」
「福の神様にとって、お仕事はとても大切なのですね」
「はい」
「では、私とは合わないと思います」
「そうですか……」
福の神は、しょんぼりと肩を落としました。
「申し訳ありません」
「謝らないでください」
美の女神は首を横に振ります。
「福の神様が悪いわけではありませんもの」
「ありがとうございます」
「私も、自分を大切にしてくださる方と夫婦になりたいのです」
「……なるほど」
福の神は素直に頷きました。
「それは大切なことですね」
「はい」
こうして、一人目のお見合いは終わりました。
その日の夕方。
福の神は縁結びの神の神殿へ戻ってきました。
「どうだった?」
「駄目でした」
「なぜだ!?」
「仕事より私を優先してほしいと言われました」
「それで?」
「それは難しい、と答えました」
「…………」
縁結びの神は頭を抱えました。
「お前……もう少し言い方というものがあるだろう」
「ですが、嘘をつくわけにはいきません」
「まあ、それはそうだが……」
福の神は、しょんぼりと俯きました。
「私には、嫁をもらうのは難しいのでしょうか」
「いや、まだ一人目だ!」
「そうですか」
「ああ! まだまだこれからだ!」
縁結びの神は、なんとか福の神を励ましました。
こうして、始まった福の神の嫁探し。果たして福の神に、良いご縁は見つかるのでしょうか。
それはまだ、誰にも分かりません。――ただ一つ確かなのは。この後、縁結びの神が何度も頭を抱えることになる、ということでした。




