【芋穴のミイラ】私の庭には、四人の家族が埋まっている 1.消えた兄弟
1.消えた兄弟
2019年6月12日の午前、秋田県警は奥羽村の一軒の農家にある地下貯蔵庫から、二体の男性の遺体を発見した。
二体の遺体は、古いシーツと布団カバーで幾重にも包まれていた。頭部と足首は麻縄や布切れで固く縛られ、遠目には、土の底に押し込められたミイラのようにも見えた。貯蔵庫の中には腐敗臭が充満し、汚物と生活ごみが床一面を覆っていた。
秋に採れた野菜をしまっておくはずの場所に、深い罪が眠っていた。
死んでいたのは誰なのか。
誰が二人を、ここまで引きずり込んだのか。
事件は、一か月以上前に起きた失踪から始まっていた。
4月26日の昼、奥羽村の山裾にある小さな住宅改修の現場では、昼休みの時間になっていた。
作業員たちは道具を置き、ヘルメットを外して、仮設の食事小屋へ向かった。四月の山風はまだ冷たく、朝から働き詰めだった彼らにとって、温かい味噌汁と炊きたての米だけが楽しみだった。
「そろそろ昼にするぞ。午後も詰めていかないと間に合わないからな」
「今日は健さん、何作ってくれたんだろうな。昨日の味噌汁、うまかったよな」
数人が笑いながら小屋に入った。だが、中はひっそりとしていた。かまどに火はなく、鍋に米もない。切りかけの野菜さえ置かれていなかった。
昼食係の山崎健一が、いなくなっていた。
健一は六十五歳。奥羽村の生まれで、二十年以上前に離婚してからは、村の古い木造家屋で一人暮らしをしていた。ふだんは遠出もせず、スマートフォンも持っていない。三日前、この現場でまかないの臨時仕事を始めたばかりだった。
現場監督は数人を連れて、健一の家へ向かった。玄関に鍵はかかっておらず、室内の灯りもついたままだった。脱いだ上着は椅子の背にかけられていて、部屋が荒らされた形跡もない。少し外へ出ただけで、すぐ戻ってくるように見えた。
しかし、近所を探しても、健一の姿はどこにもなかった。
その日の午後、健一の弟である山崎修二が、近くの駐在所へ向かった。
修二は駐在所に入るなり、青ざめた顔で口を開いた。
「すみません。兄がいなくなったんです」
当直の警察官は修二を座らせ、記録用紙を引き寄せた。
「最後に確認したのはいつですか」
「今日の昼です。現場で飯を作るはずだったのに、何も用意されてなくて、人だけいなくなっていました。家にも行きました。灯りはついていたし、鍵も開いていました。村の中も外れも探しましたけど、どこにもいません」
警察官は健一の氏名、年齢、家族関係を確認し、修二の連絡先を書き留めた。
「まずは行方不明者届として扱います。何かわかり次第、すぐ連絡します」
修二はうなずき、帰り際にもう一度振り返った。
「兄は偏屈なところがあります。でも、何も言わずに消えるような人間じゃありません。絶対におかしいんです」
三日後、事態はさらに奇妙な方向へ転がった。
4月29日、兄の行方不明を届け出たばかりの修二まで姿を消した。
修二の家も、玄関に鍵はかかっていなかった。室内の灯りもついたままだった。携帯電話はつながらず、近所の誰も、彼が村を出ていくところを見ていない。兄弟は、同じ見えない手に拭い去られたかのように消えていた。
奥羽村は小さな村だった。噂はすぐに広がった。山に悪いものがいるのではないか、古い家のあたりで夜中に音がしたらしい、何年も前の失踪も関係しているのではないか。人々は声を潜めて話した。
雪山と田畑に囲まれたその村は、急に息をひそめたように静まり返った。
5月1日、秋田県警と所轄署の捜査員たちが奥羽村に入った。
健一は孤立した性格で、交友関係も単純だった。ふだん付き合いがあるのは村の人間くらいで、外部とのつながりはほとんどない。一方、修二は違った。頭の回る男で、農業のかたわら中古農機や山菜の売買をしており、知人も多く、携帯の通話記録も複雑だった。
警察は、まず修二の人間関係を洗うことにした。
聞き込みの途中、一人の村人が妙な話をした。
「健さん、前に女に金を貸してたことがあるんですよ。修二も同じ女に貸していました」
岩城誠司刑事が目を上げた。
「誰ですか」
「佐伯久美子です」
佐伯久美子。四十歳。奥羽村の生まれだった。若いころ町の看護専門学校に通い、その後、診療所で看護助手として働いたことがある。医師ではないが、薬や簡単な手当ての知識はあり、村の老人たちは風邪や腰痛になると、よく彼女を頼った。
村人たちの評判は、ほとんど同じだった。
穏やかで、面倒見がよく、気取ったところがない。
だからこそ、健一が彼女に金を貸していたことは、多くの村人にとって意外だった。健一は節約を通り越して金に細かい男で、百円玉一枚を使うにも考え込むような人間だった。実の兄弟でさえ、簡単に金を借りられなかった。
それなのに数年前、健一は久美子に五万円を貸していた。
その後、修二も彼女に十万円を貸していた。
刑事たちは銀行の入出金記録を確認した。二つの借金は、すでに返済されていた。表向き、久美子と山崎兄弟の関係は、ただの貸し借りにすぎないように見えた。
だが、修二が消えた日の通話記録が、久美子を再び捜査線上に浮かび上がらせた。
4月29日の午後五時ごろ、修二は久美子の家の固定電話に一度電話をかけていた。さらに夜九時ごろ、もう一度かけている。二度目の通話からほどなくして、修二は消息を絶った。
刑事たちが佐伯家を訪ねたとき、久美子は庭でプラスチックのかごを片づけていた。淡い色のニットを着て、髪を低い位置で結んでいる。警察官を見ても、目立った動揺はなかった。
「山崎修二さんから、あの日電話がありましたね」
「ありました」
「何の話でしたか」
「足が痛いと言っていました。痛風かどうか聞かれたんです。私は昔、診療所にいましたから。村の人は、ちょっとした体のことをよく聞いてくるんです」
「その日、修二さんはあなたの家に来ましたか」
久美子はわずかに間を置き、首を横に振った。
「来ていません」
返答は落ち着いていた。警察にはまだ決定的な証拠がなく、捜査は続けるしかなかった。
手がかりは、そこで途切れた。
兄弟は、まるで煙のように消えていた。村は広くない。四月下旬は農作業の準備で、日中は田畑に人の目がある。夜になっても、家々の灯りは互いに見える。もし二人が殺されているなら、遺体はどこにあるのか。もし村を出たなら、なぜ誰も車や人影を見ていないのか。
5月10日、一通のショートメールが状況を変えた。
送信元は修二の携帯電話だった。受信したのは、山崎家の三男、三郎である。
三郎が警察に携帯を差し出したとき、指先は震えていた。画面には、妙に整った文章が表示されていた。
「三郎兄さん。あの日、兄貴と俺は俺の家で酒を飲みました。土地のことで口論になり、かっとなって押したら、兄貴は柱に頭をぶつけて動かなくなりました。刑務所に入るのが怖くて、逃げます。子どもたちのことをお願いします」
これが本当に修二の言葉なら、事件の答えは見えたように思えた。
修二は健一を誤って死なせ、罪から逃れるために姿を消した。
しかし、岩城は画面を見つめたまま、表情を緩めなかった。
警察は修二の家を改めて調べた。
柱に新しい衝突痕はなかった。室内にも、事故死を裏づける血痕や引きずった跡は見つからない。さらに、修二の家の押し入れの奥から、六十万円の現金が見つかった。
逃げるつもりの人間が、現金を家に残すはずがない。
修二にも、何かが起きている。
あのメールは、修二が打ったものではなかった。




