第4話 旅立ち
四郎です。
迷い子の羊を探しに森へ行ったら、狼に襲われたとです。
その狼ばやっつけたら、狼よりよっぽど怖か人が出てきたとです。
四郎です。四郎です。四郎です……。
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今日も今日とて、森に通う。木に登って枝から枝へと飛び移り、森の奥にある空き地へと舞い降りる。
円形の空き地の中心にある、地面から突き出た大岩の前。二拝二拍手一拝をしてから前に進み出て、手作りの台座の上に供物を乗せる。母が作ってくれた木の実入りの焼き菓子だ。滅多に食べられないものだが、だからこそ供物に相応しい。惜しいと思う心ごと捧げるのが信心であろう。
拝礼が神道式なのは、何となくだ。邪道に堕ちたとはいえ未だ天主を敬する心は持っているが、異郷の神に十字を切るのは何か違う気がするのだ。岩が青白い炎に包まれて、聞き慣れた声が頭に響いてきた。
(何とも真面目なことじゃのう。そう度々捧げ物をしたとて、今の妾では何も報いてやれぬぞ?)
「尊き御方に敬意を示すのは当然のことゆえ」
(お主は、本当に変わった男子よの。妾の声を聞くのみならず、妾を畏れながら恐れてはおらぬ。何となれば、妾は<死の女神>ゆえな)
「……」
俺は黙したまま膝を折って低頭する。この<死の女神>なる御方に出会って既に二年が経つ。俺は、天草四郎の心を持つ「メルク村のルルス」は、数えで十五歳になっていた。
あの日。この森の社で初めてこの御方の声を聞いた時、俺は探しに来た子羊を脇に抱えたまま平伏し、非礼を詫びた。
「いづくの神か知らねども、神域を血で穢ししこと伏してお詫び申し上げます。何卒、お許しを」
大岩より立ち上る蒼き光の中、浮かび上がる人影より頭の中へ直接、鈴を振るような声が響く。
(よい、よい。久方ぶりに贄を捧げにきた者がおると思うたが、その様子では違うのかの?)
女人の声が聞こえるとともに、大岩の横に倒れ伏した狼の骸が形を失い溶けるように消えていく。広がった血溜まりまで、砂が水を吸うように地に消えていった。俺は子羊を抱える腕に僅かに力が籠るのを自覚しながら、努めて平静な声で答える。
「森に迷い込んだ羊を連れ戻しに参ったのですが、狼に襲われましてそれを打ち倒した次第」
(お主、妾の声が聞こえておるのじゃのう。珍しきこともあるものじゃて)
女人の声はどこか面白がるような、興味深そうな様子がうかがえた。俺は意を決し、この社の主に尋ねる。
「憚りながら、御名をお聞かせ願えましょうや」
(良かろう。妾が名はアイアナ、『死の女神』なるぞ――)
その後、日が落ちる前に俺が子羊を連れ帰ると、家族は大層喜んでくれた。森は危なくなかったかと聞かれたが、俺は笑って答えなかった。以後森の奥の社とそこで出会った女神については、今に至るまで誰にも話したことはない。
それから俺は度々森の社を訪れ、こうして女神に捧げ物をしている。女神は最初驚かれていたようだったが、俺に邪な心がないとお分かりいただけたようで、次第に遠慮なく供物を受け取るようになられた。
(妾の社を訪れし者は、どうにも良くない望みを訴えるものが多くての。誰それに死んでほしいなど、その類じゃ。何しろ死の女神じゃからのう。勘違いする者が多くて、困ったものじゃ)
最近はこのように、愚痴のようなものまで聞かせて下さる。……気安く言葉を掛けていただけるようになったと考えよう。
俺はそこで再度伏して低頭し、本日社を訪れた要件を奏上する。
「アイアナ様。本日は、お暇をいただきに参りました」
(ほう?)
俺の頭の中に響く女神の声に、僅かに驚いたような響きが交じる。
「先日成人の儀を済ませましたゆえ、予てから申し上げておりましたように、街へ行って迷宮に挑む所存」
(……左様であるか。まこと寂しくなるのう。今の妾の力では、この社より離れた場所に声を届かせることは出来ぬ故な)
寂寥を滲ませる女神の声に、決心した心が揺らぎそうになる。街へ行くに当たって家の者にこの社の世話を託そうかとも考えたが、考慮の末にその考えは捨てた。父や兄でもこの森の奥に入るのは危険な上、この社と女神の存在については他に漏らすべきではないと思い直したからだ。
「明朝、村を発って迷宮都市に参ります。当分この地には戻れませぬが、御神におかれましては臣が不在の間も、心安く過ごされますよう……」
(よいよい、堅苦しいのはなしじゃ。妾とお主の仲ではないか。笑って、『行ってまいります』と申せ)
からりと、明るい調子でアイアナ様の声が響く。どうやら女神様におかれては、湿っぽい別れはお好みでないらしい。俺は低頭していた頭をもう一度さらに深く下げ、面を上げて立ち上がる。そうして笑みを浮かべながら別れを告げた。
「では、行ってまいります」
(良し。それではお主に、申しておくことがある)
「承ります」
(堅苦しいのはよせと言うに……。お主には妾の加護をやれぬと申したが、それは妾の力が足りぬだけではない。お主は既に、妾では及びもつかぬ御方からの加護を授かっておる)
「!!それは、どのような……?」
(他の者を導き、癒し、護る力じゃ。覚えがあろう?)
まさか、そういうことなのだろうか?俺は腰から小刀(父から、成人祝いに貰ったものだ)を引き抜くと、自分の指先に当てた。す、と引くと傷が入り、朱い血の珠が指の腹に生じる。しばらく指先の朱玉が膨らんでいく様を見ていたが、その時ふと思い立ってその指を御神体の巨石に押し付けた。御神体の表面にひと刷毛、朱筆を置いたような点が生じる。
(――ッ!!)
頭の中に女神の声なき声が響いた気がするが、俺は目下の所別の問題に集中していたので聞き流した。傷が入ったままの指先にもう片方の手をかざし、祈りの文句を唱える。
「天に在す我等が父よ、その下僕の傷を癒し給え」
言葉とともに掌より柔らかな光が生じる。それがふっと消えた時には、指先についていた傷は消え去っていた。
「主は、天主は、我を見捨てておられなかった……」
我知らず膝をつき、天に祈る。遠い昔、自分が天草四郎と名乗っていた頃の術。怪我を癒し、病を治し、海面を歩く主の奇跡。
あの島原の炎の中で死に、この外つ国ともつかぬ異郷の地で目覚めて以降、主に奇跡を願ったことはなかった。主を疑い、教えに背き、魔道に堕ちた己にはその資格がないと思っていたからだ。
しかし、主は我が願いに応えて下さった。それも日の本や南蛮の国々の、影形すら見えぬ遠きこの地で。
ひとしきり胸の内で主に感謝を述べ、また疑ったことへの許しを請うた後、もう一柱礼を言わねばならぬ御方がいることを思い出す。俺は再び跪き、御神体に向かって低頭した。
「アイアナ様。我が主の加護に気づかせて下さり、誠にありがとうございます」
(何という芳醇な血……。幼いながらも年月を感じさせる風格があり、薫り高くありながら背景に苦難と怨嗟が覗き見えるコクと渋み。何よりこの純度の高い霊力の味わいときたら……)
頭の中に、独り言のような女神の言葉が伝わってくる。見れば、御神体に付けたはずの血の跡は何もなかったように消え去っていた。
「……あの、アイアナ様?」
(お、おう?う、うむ、どうやら信心を取り戻したようじゃな。なにゆえお主が信仰を半ば捨てておったのかは聞かぬが、良かったではないか)
「……お望みでしたら、もう一回指を切りましょうか?」
(ん、んーーっ!あー、いや、よしておこう。際限なく求めてしまいそうじゃわい)
「……左様でございますか」
(と、ともかくじゃ!)
何故か、御神体から咳払いの声が聞こえてきたような幻聴に襲われる。
(この先お主が挑む迷宮には、おそらく他の神々が仕掛けた罠がある。それこそ、妾を封じた神々が生と死の理を乱すに至ったからくりであろう)
「……」
(お主がこの地の神々をどう判ずるかは、お主に任せる。じゃがもし、お主が他の神々を悪しきものと断ずるならば、ルルスよ。迷宮を踏破しその秘密を暴いてはくれぬか)
「承知しました」
俺は平伏したまま答えると、面を上げて宣言する。
「大恩あるアイアナ様に報いるべく、このルルス微力を尽くさせていただきます」
(うむ。迷ったら、いつでも相談しに戻ってきてもよいぞ?その際にはその、あれじゃな、お主の血を供物に……)
俺は無言で立ち上がると、再度指に小刀を走らせて御神体に押し付ける。
(――ッ!!――――ッ!!)
「では、行ってまいります」
頭の中に女神の歓喜の叫びが響き渡るが、俺はそれを無視して御神体に一礼すると、背を向けた。
翌朝。まだ夜も開けやらぬうちに、俺は旅支度を整えて家の扉を開ける。一歩踏み出して振り返ると、家族全員が俺を送り出すために揃っていた。
「気をつけて行ってこい」
「何かあったら、いつでも戻って来ていいんだからね?」
父と母が、心配な様子を隠さずに言う。
「頑張れよ」
兄クラウスの言葉は短かった。その分、信頼されていると強く感じる。
「ちい兄ちゃん、行っちゃやだぁ~~」
九つになって少し大人びてきた妹のリーヤだが、今日は幼い頃のままの言葉遣いで涙ぐんでいる。俺はしゃがみ込んで妹と視線の高さを合わせると、そっとその頭に手を添えて言った。
「何年かしたら、また戻ってくるよ。その時は、お土産買ってきてあげるからね」
妹はとうとう言葉もなく大泣きし始め、母がそれをそっと抱きとめた。その母の眼差しが「もう行きなさい」と言っている。俺は腰を上げ、俺を育ててくれた家族と生家に向かって深々と頭を下げた。
「では、行ってきます」
長々とした言葉は要らない。俺は家族に背を向け、外へ続く道を歩き始めた。
畑の中を通る道を真っ直ぐ歩き、まだ寝静まっている家々を通り過ぎ、村の入口まで至る。そこで一度振り返ると、遠目にまだ家族が家の前で俺を見送っているのが見えた。米粒ほども小さい姿に大きく手を振ると、俺は今度こそ振り返らず街道を目指して歩を進める。
この街道の先に、目指す迷宮都市アモルファスがあるのだ。俺の歩みは、我知らず早まっていた。
第4話です。まだまだ始まったばかりですが、次回より新たな舞台で新たな展開が始まります。お楽しみに。




