第4話:『偽りの番人』と『叡智の追放』
「この女を捕えろッ!」
「こいつは『番人』ではない! 私の愛するリリアナに呪いをかけようとした、『偽りの魔女』だ!」
ジュリアンの絶叫が、祝宴の広間に響き渡る。
エリアナは、ジュリアンが床に叩きつけて割った『古書』の石版の破片を、呆然と見つめていた。
(あ……『古書』が……)
(違う、私は、警告を……)
「衛兵! 何をしている、早く捕えろ!」
思考が追いつかないエリアナの細い腕を、二人の衛兵が荒々しく掴んだ。
「離してください! 私は……!」
「黙れ、偽りの魔女め!」
抵抗も虚しく、彼女は祝宴の広間から引きずり出されていく。
貴族たちは、その様子を冷ややかに、あるいはリリアナの「歓喜の光」に当てられて興奮したまま、無責任に眺めていた。
「やはり、あの地味な女は不吉だったのだ」
「そうだ、前から『本の声』などと、妄想に違いないと思っていた」
「リリアナ様という『本物』が現れたことで、化けの皮が剥がれたのだな」
ジュリアンは、震えるリリアナを抱きしめ、勝ち誇ったようにエリアナを見下ろす。
「エリアナ・ノエル。貴様の悪行、即刻裁かねばならん。広場へ連れていけ!」
祝宴は中断され、そのまま「即席の裁判」へと移行した。
エリアナは王宮の広場に引きずり出され、ジュリアンの前に立たされる。 もはや、それは裁判と呼べるものではなかった。 「魔女」を断罪し、「新しい聖女」を称えるための、狂騒的な儀式だ。
「ジュリアン殿下! 違います! これは嫉妬などではない! 封印は真実です! どうか、どうか地下を確認してください!」
エリアナは、最後まで訴えた。 「番人」としての、最後の責務を果たそうとした。 だが、その声はジュリアンには届かない。
「まだ言うか! 貴様のその不吉な妄想で、これ以上リリアナを苦しめるな!」
ジュリアンは、エリアナの最後の訴えさえも、「リリアナへの嫌がらせ」と一蹴した。 貴族たちも、リリアナの「幻惑」に当てられ、口々にジュリアンに同調する。 エリアナは、完全に孤立無援だった。
◇◇◇
ジュリアンは、リリアナを民衆に見せつけるように高く抱き上げ、そして、エリアナに向かって高らかに宣言した。 彼の声は、国の未来を決定づけるにしては、あまりにも軽く、傲慢だった。
「国民よ、聞くがよい! 我々は長らく、古き『聖約』と『番人』の責務という伝統に縛られてきた!」
「だが、それも今日で終わりだ!」
ジュリアンは、エリアナを指差す。
「『番人』の血筋でありながら、『本の声』という幻聴に惑わされ、あろうことか『本物』の聖女リリアナを呪おうとした、大罪人!」
「よって、『聖約』は本日をもって破棄する! 我が国の新しい『聖女』は、リリアナただ一人だ!」
『おおおおおっ!』
『リリアナ様、万歳!』
広場は、ジュリアンの扇動とリリアナの光によって、狂信的な熱狂に包まれる。
「そして―――エリアナ・ノエル!」
ジュリアンは、エリアナに死刑判決を言い渡すかのように、冷酷な視線を向けた。
「貴様は『偽りの番人』として、その不吉な『古書』と共に、今すぐ王国から追放する!」
「追放!」「追放!」「追放!」
民衆が、シュプレヒコールを上げる。 エリアナは、その熱狂の中心で、ただ一人、凍りついていた。
(……追放?)
「さあ、衛兵! その女と、地下にある『古書』の残骸もだ! 全て王都の外へ放り出し、門を閉ざせ!」
エリアナは、もはや抵抗する力も残っていなかった。 衛兵に両腕を掴まれ、まるでゴミでも引きずるかのように、王都の正門へと連れていかれる。 彼女の婚約者であったジュリアンは、リリアナと抱き合い、その光景を勝ち誇ったように見送っていた。
地下書庫から運び出された『古書』――エリアナの一族が代々命をかけて守り、そしてこの国を幾度となく救ってきた「叡智」の塊は、ジュリアンが叩き割った石版の破片と共に、無造作な麻袋に詰め込まれていた。
「……あ」
エリアナは、麻袋からこぼれ落ちた石版の破片を拾おうとして、衛兵に突き飛ばされた。
「触るな、魔女め!」
ゴッと鈍い音を立てて、石畳に倒れ込む。 ずれた眼鏡の奥で、涙が滲む。 悔しさではない。悲しさでもない。 ただ、間に合わなかった。 「第一封印」の崩壊という、最大の厄災を、彼女は止めることができなかった。 「番人」としての責務を、果たせなかった。
衛兵は、エリアナと『古書』の入った麻袋を、王都の正門から荒野へと文字通り放り出した。
「二度とこの国の土を踏むな、偽りの番人め」
嘲笑と共に、エリアナの背後で、重い鉄の門がゆっくりと閉じていく。
ギイイイィィィ……ドンッ!!
門が閉まり、彼女はすべてを失った。 「聖約」という名の婚約者も、生まれ育った国も、そして「番人」としての責務さえも。
荒野に吹く冷たい風が、埃まみれの司書官服を揺らす。
(……これから、どうすれば……)
いや、それよりも。
(……王都は。封印は……)
追放された今も、彼女の頭にあるのは、国の安寧だけだった。
その時だった。
◇◇◇
カラン、コロン……と、馬車の車輪が石畳を叩く、規則的な音。 荒野の街道から、一台の豪奢な馬車が、静かにこちらへ近づいてくる。 こんな時刻に、王都の外へ向かう者などいるはずがないのに。
馬車は、まるで最初からそこが目的地だったかのように、エリアナの目の前で寸分違わず停止した。
ヴァイス国の国章――「叡智の剣」が描かれた、美しい黒塗りの馬車だった。
衛兵に突き飛ばされたまま、地面に座り込んでいたエリアナが顔を上げると、馬車の扉が静かに開かれた。
中から現れたのは、夜の闇よりもなお冷たい、理性の光を宿した男。 銀髪を風になびかせ、金色の瞳は、目の前の惨状を見ても一切の感情を映さない。 まるで、美しい氷の彫像。
隣国ヴァイスの「氷の王子」、セオドア・アークライト・ヴァイス。 彼がなぜここに?
セオドアは、エリアナを一瞥し、次に彼女が抱きしめようとしている『古書』の麻袋に視線を移した。 そして、彼は、何の感情もこもっていない声で、短く呟いた。
「―――見つけた」
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(※明日の更新も20:00です)
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