第四十三話 何も分からないままでも
渚は絵斗を背負い、城の外に出た。火の海になっていたそこを、自身の周りに触手を巡らせることで燃えずに出てこれたのだ。
まだ起きる様子は無いものの、絵斗は大切な写真機を握ったままだ。
咳き込みつつ、渚は走り出す。
先に見えたヒト型の化物の軍勢に、息を呑んで様子を見る。絵斗を下ろし、双剣の柄を握って近寄った。
その方に、エリザとスペクター、イデーが居るのに気付いて、勢い良く軍勢を斬りつける。エリザも彼に目を遣り、状況を察してイデーに声を張り上げた。
「イデー、皆が塔に入った! ここからが頑張りところだよ!」
「分かってる」
イデーは弧を描いて戻ってくる円月輪を掴んでしまうと、スペクターの鎖と襟を握りしめ、渚の方に投げ飛ばす。
「姉さんを頼んだ!」
身長の高いスペクターの体を、鎖が揺れる音と共に受け取った渚は、その衝撃に堪えられず仰向けに倒れる。
渚は反射的につむっていた目を開き、スペクターの身体を絵斗の近くに寝かせた。
そして、その身体を下から上へと眺め、イデーと見比べている。
「…………あの人には角がある。でも、この人には角がない。種族は違うのに、家族だと思って────」
「────ち、げぇ」
頭から血を流している。角の断面を見せつけるように髪を掻き上げて、スペクターは辛うじて意識を取り戻していた。いや、先程の衝撃で目が覚めたのかもしれない。
タフなのが彼女の取り柄の一つでもあるが、鬼の弱点でもある角を失って尚、即死していないのが魔女の力によるものと、渚は理解した。
ただ、彼女は息も絶え絶えだ。
魔女の死の概念に関しては、他の世界でも似たようなものであるため、渚は知っている。
「…………あぁ、クソ。体が重い……思ったとおりに、動かね……」
「喋らない方が良いと思うよ、君」
「ん……そう、か? そこまで、ひどく見えるか?」
「見えるけど」
「分かった。……ちなみに、俺にあんま近付かない方が良い。細胞が勝手に蠢く感覚で気持ち悪くなってきた……無意識に、……魔獣化が進んだみたい、だな」
魔獣化、と渚が繰り返す。スペクターは頷くと、イデー達の方をちらりと見やった。
「魔獣に、イディの魔法が効くかは分からねぇが……」
じゃあな、とスペクターは言い捨て、起き上がる。
全身が黒く染まり、スペクターは影にとけていき、やがて大きな存在となる。蛇のように細長い胴体を翻させ、鬣を水に纏わせ、鋭い瞳が見開かれる。角が新たに生え、マナのつながりを可視化したような、金色の線が彼女の身体に巻き付いて幾何学模様を付ける。
瞳孔も同じように金色に光った。その視線は、まっすぐにイデーへと向けられている。
水竜よりも竜じみた、魔獣化したスペクター・イーリスが、そこにいた。
咆哮を上げると、その場の全員の視線が彼女に向けられる。固まったイデーとエリザはその双眸を見開いて、水竜を見上げた。
「な…………水竜!? 一体どこから──」
「────まずい、姉さんが魔獣化した!」
「はぁ!? 大丈夫だって言ってたのは嘘かよ、馬鹿! こんなの対処できない!」
「…………いちかばちか、やるしかないでしょ!」
イデーは走り出し、円月輪を手に飛び上がる。その飛翔はスペクターよりも格段と低いが、彼女の体に掴まるには十分だ。そのまま駆け上り、竜の頭に来ると、視線が自分に合っていることに気付く。
「──姉さん、こんな時にふざけないでね」
円月輪を法器の形に合わせる。交差させたその中心から、イデーとスペクター二人の瞳孔を光らす金色が粒子となって凝縮されていく。
「“全ての絶望を取り払い、自らの命に従え”!」
そしてその光が、辺りを眩く包み込んだ。
※ ※ ※
岩が落ち切り、不安定な足場になってしまった。皆それぞれが離れた位置に立ち、体勢を立て直す。得物を握る手はきちんと身体に繋がっている。首も同様だ。
皆生きている。命をつなげている。
ホーリーが、我慢ならないといった様子で、甲高い声を押し出して叫ぶ。
「ふざけるのも大概にしぃや! アンタなんか、アンタみたいな化物、ウチらの仇、絶対に殺してやる!」
「ホーリーさん、落ち着いて下さい……! レグルス、僕から離れないでくださいね」
「勿論ですよ、坊っちゃん」
レグルスは花弁となり、エンチーシスのレイピアに纏うようにしてそこに居る。
物理が効かないとなると、魔法を使うしか戦闘方法が無いように感じられていた。ただ、カストールの投げた自分自身の刃には、ひどくダメージを受けて痛がっている。目には目を、歯には歯を、そういう攻撃の仕方もアリなのだ。
シャロームは頭を回転させる。先代の魔女達が、ミラジェイと戦う時に事態を好転させる起因に直結するとなれば、自分達が窮地に陥らなければカロンが姿を表さないともとれる。
つまり、絵斗は元々自分達では力不足だと予想していたのだろう。
しかし、彼自身としては、この巨体と鋭い金属の身体を持つミラジェイに、どうやって勝てば良いというのだ? 魔法を熟知していた先代でさえ、不意打ちや間接的なものではあるものの、彼女に殺されている。
魔法はこの場に居る全員が扱える。絶対に勝てないとも、勝てるとも言いきれない。
シャロームはしっかりと、胸元に下げたロザリオを握りしめた。片手剣を振り構え、ミラジェイを見据える。
近くの足場に立っているアルブスに目線をやると、頷いてオーシェに変わろうと目をつむった、その時だった。
「クエタ、クエタ、クエタ────! 燃えずの塔の意味を履き違えるなよ、小童ども! 魔女もどきの部外者も、先祖返りの狼も、皆殺しじゃ──!」
ミラジェイがまた地団駄を踏む。と、塔の壁に土塊の結晶が広がっていった。それは周りにマナの粒子を漂わせているように見える。が、カストールがハッとして時を戻そうと手をかざす。
「くっ、遅かっ──」
「カット!」
ポルックスがカストールを押し、飛んできた斬撃に巻き込まれて見えなくなった。
「二人とも、大丈夫!?」
アルブスが慌てて声を掛けるも、全体を見回して青ざめる。
二人だけでは無い。シャローム、ホーリー、エンチーシス、アセロラにも、それぞれ斬撃が飛んできていた。
そしてすぐに、彼の眼前に鮮血が広がる。
「────」
目を見張ったシャロームの、右腕が飛んでいった。
「んぐ…………うぅっ」
下を向き、シャロームは身体を震わせている。血が止まらない。アルブスはすぐさま駆け寄り、自分の胸元にあったリボンを解いて止血しようと縛った。
エンチーシスは素早く斬撃の中心へレイピアの先を突き立て、それに呼応してレグルスが突っ込んでいく。幸い、頬に掠っただけで済んでいる。
ホーリーは斬撃をひらりと躱して飛び立ち、羽を広げて空に浮いた。その時に、アセロラも掴んで飛んでいる。
「シャル、ねぇ、何が────」
「マナを放出しているんじゃない。そうか、そうだったのか……あんな一瞬で気付ける訳が…………」
「シャル?」
「あの張り巡らされた結晶は、この場所にあるマナを全部吸い取ったんだ。それで、ボクの奇跡が発動できず、カストールさんの魔法も使えなかった……!」
「…………」
奇跡で避けようとしたハズなのに、腕を裂かれたシャローム。時を戻してマナの吸収を防ごうとして失敗したカストール。
もし、本当にマナがこの場所に存在せず、全員の魔法が使えなくなった、そうだとしても、絶望的状況では無いと、アルブスは知っていた。
カストールとポルックスが起き上がり、皆の様子を見てから囁き合う。アルブスの方を一瞥し、静かに口元へと指を立てて、微笑んだ。
その顔は、今までに見たことのない、彼女達の人間らしい表情だった。悪戯っぽい笑みに、アルブスは力強い眼を向けて返答する。それからミラジェイの方を見て、弓を構えた。




