第三十四話 竜の肉は苦い
湿った地を踏み付け、歩き、俺は下ばかりを見ている。顔を上げれば、憎たらしく俺達を見下す太陽が、青い空が、目に入ってしまうだろう。
目をつむったまま、更に歩いて。
俺が着いたのは、自分のテリトリー────池になった街並みの前。
透き通った水は、マナを多量に含んでいる。これは、先代東の魔女“ロータス”が死ぬ際に放った魔法による水であるからだ。揺らぐ水面に映る自分の顔は、とても兄が妹に見せて良い顔ではなかった。
水しぶきを上げて、水竜がこちらに顔を寄せる。
「……食った腕の対価でも払えと言いに来たのか、スペクター?」
「君のせいじゃないのは、知ってるさ。ミラジェイが心の魔法を扱えるのには驚いたが……特段、俺は君を罰しようとここまで足を運んだわけじゃない。……この体たらくだ、傷を負った、全力を発揮できない状態で竜を殺すのは不可能というものだろう」
「お前は強い、今のお前でも十分に俺を消せる」
「俺がそうしないのを、君は良く知ってる」
しばらく、水竜は黙る。
それから顔を上げて、空を見つめる。こちらに視線をやり、俺にも天を仰ぐよう促してくるが、俺は首を振った。
「いや、見たほうが良かろう」
「ぐえっ」
硬い鱗に無理やり上を向かされる。嫌々目を開けて空を見るが、その光景に唖然とした。
上空、遥か高くに、白い扉が現れ、それが開いて誰かがこちらに落ちてきたのだ。俺は水竜から離れ、彼の瞳孔が鋭く光ったのを合図に、思い切り地面を蹴飛ばす。
水竜は勢い良く水面から体の全てを出すと、そのまま空に飛び上がって落ちてきた人型を背に乗せ、一回転して俺の方に投げてきた。竜の背にある一つの鱗に触ると投げられても衝撃が緩和されるので、俺は特に魔法を使うことなく体で受け止めた。
受け止めようとしたところで、その人物が二人────そして、ポルックスと先程時の書庫に戻った筈のエリザなのだと気付く。
驚きのあまり固まったが、ポルックスは冷静な面持ちでエリザの服を摘むと、軽々と持ち上げ、俺に会釈した。
「ポルックス、なんでエリザとあそこから落ちてきたんだ」
「この子、手遅れだったから。“ロータスのマナを食らい尽くした水竜”にでも聞いてみようと思って……移動手段に関しては、殆ど“ちーと”みたいなものだよ」
「…………? おい、待て。エリザが手遅れって、どういう──────」
「魔獣化か」
水竜が俺の言葉を遮ってポルックスに問うた。すると、彼女は頷いて気絶したままのエリザを水竜の眼前に掲げる。それをマジマジと見つめたあと、水竜は小首をかしげて唸り、ふんと鼻を鳴らす。
「残念だが、魔女の血は呪いの一種だ。竜一匹にはどうも出来ない難題だな」
「そんなに、ポック達の体を流れる厄災の血は恐ろしいの? エリザの魂を侵食しているこのマナと同じと考えて……良さそうだけど」
「魔獣化を抑える方法は無い。それは血が濃すぎるからだ。先代から継承され少しは薄くなったが、それでもまだ影響力が強い。……解決法は、そうだな」
「────アタシを死なすか、魂石を破壊するか、…………厄災か世界自体を書き換えたり……消したりするしか無い、だろ……?」
朧気ながら意識を取り戻したエリザが、水竜の言葉に続く。ポルックスも水竜も目を細めたが、ポルックスはどうも納得行かない様子だ。一方、水竜はマナの動きに怪訝そうな顔をしている。
俺自身も、エリザの体内で動く血に混じったマナを見て、すこし寒気がした。
絶望したままなら、俺もいずれこうなるのか。……あぁ、なんて救われないんだと、叫びたくなるのは山々だが。
「魔獣化はどういう仕組みでなる?」
「黒に近しい感情に飲まれると、かな……。エリザはアセリアに復讐心を燃やしていたようだし」
「……殺すか消すか。まーた鬱な展開だな……俺等の運勢ってなんでこんな乏しいんだよ」
「聞かれても、ポックにはわからない。世界自体が、ポック達をけしかけてる……何をさせたいのかが、思い付かない」
「ミラジェイの事もある…………アタシは皆に、迷惑かけたくない」
エリザが弱々しく呟く。
「…………ポルックス。俺に一つ案がある」
「どんな案?」
「ひみつー。……、ま俺に任せてポルックスは帰ってくれ。水竜、お前も手伝ってくれるか」
「…………良いだろう」
何か言おうとしたポルックスは、少し口を開けたまま数秒悩み、水竜を見つめて何かを訴えると、ゆっくり降りてきた白い扉に再度入っていった。
扉が閉まると、不思議にもそれは消えていく。
「そういや、塔にあるデカイ扉と似てるな。…………わーぷげーと?」
「それで、あの人形は帰った。どう解決するつもりだ?」
「……そりゃ勿論、水竜──────今からエリザの魂石から侵食中のマナを取り出してくれ」
水竜は目をぱちくりとさせるが、すぐに頷いてエリザの魂石へ器用に指先の爪を添える。それからその指をゆっくりと上に引っ張ると、爪に引っかかったマナの粒子がおぞましい赤色に発行しながら線上に出てきた。
俺はそのマナに指を引っ掛け、ひょいと────────自分の魂石に移した。
「────なっ、馬鹿、何やってる!?」
エリザが驚いて俺の胸倉を掴んでくる。
「んー? ちょっとは待ってくれよ」
「待つも何も、アンタ、おま、────スペクター! 死ぬ気か!」
「死ぬ気はねぇ、消える気もねぇ、殺す気もさらさらねぇ。俺は、俺なら、移したって問題ねえって話だ」
「はぁっ!?」
「水竜、今度は────………………」
水竜を見上げる。俺の目線に、自分が何をすべきか分かってくれたようだ。鱗の無い手を出し、片方の爪でブロック状に自分の肉を切断し、俺に渡す。
それを受け取ると、なんの躊躇いもなく感謝と共に口へ運んだ。
血生臭くはない。どちらかというと、マナの味が酷い。子供が間違えて食べないようにと塗った苦味のあれみたいな感じだ。
さて、これを食わせろと頼んだ理由だが、竜は呪いという概念が存在しない。呪いは呪いでも、封印やら何やら、間接的に影響を与えるものでなけりゃ効力は無い。つまり、精神的汚染には屈しない身体の仕組みな訳だ。
「にっが…………」
「折角渡した血肉に文句を言うな」
「…………うへぇ……。アタシ、死ぬ気満々だったんだよ?」
「アルブスに頼んだんだろ、知ってるさ。でもなー、アルブスより俺等の方が長く接してるだろ? アセロラだって、エリザに真っ先に助けを求めたんだ。仲間内に迷惑かけたくないのは分かったが、それだとアルブスは仲間じゃねぇと同義だな。……ん、仲間じゃないのか?」
思わず長々と言ってしまった。
「……最初は敵みたいな感じだった。でも、再開するまでにミラジェイと色々あって…………」
「ほうほう。…………後味にがっ……。それで、ミラジェイに何か脅されたりだとかしたのか? にっげ……」
「いい加減にしてくれ、スペクター」
「…………にげぇんだ、許してくれ給えよ……水竜殿」
「相変わらずの言葉遣いだ、どうしてこうもボケとやらにつっぱしるのか……」




