トーキチ
フナバシの外周に当たる草原地帯を聖帝号が通過すると、オープンな車内には異臭が漂ってきた。
これはGM魔法による守護がない外界特有の腐った匂い。
本物のモンスターが生み出す、汚染されたエーテルから発するモノだ。
外界のモンスターには「天然モノ」と「人工モノ」があるのだが、その違いを知るのは神と一部の人間だけ。
パウロですら、強さに個体差があると知っている程度だ。
これはまだ転移から一週間と少ししか経過していない彼らには仕方がない話であろう。
「なんですか? この匂い」
「モンスターが放つ腐臭っス。今までわかっている経験上、臭いほど強くて危険なモンスターな場合が多いっスね」
「キツいようならシールドを強化しようか? クララ」
「それは却下。いくらクララちゃんが可愛いからって、危険予測にうってつけの鼻を潰すのは危険過ぎる。だからクララちゃんも我慢……いいや、キツイと感じたらすぐ教えてね。臨戦態勢に入るから」
「だったらその……いまこの瞬間が耐えられないというか……」
「いくら外界とはいえ、まだフナバシを出たばかりだぞ。やっぱりクララは鼻が良すぎるんだ。彼女のためにもシールドを強化したほうが……」
「それよりも車を止めろ、よっちゃん。いきなりだが、クララちゃんの歓迎パーティみたいっスよ」
「ぬ!」
ハイジの指示を受けたパウロは聖帝号を停止させると、音波で周囲の地形を読み取るエコー魔法を発動させた。
するとその音波に反応する大きな影が一つ。
使用者であるパウロはいち早く察したので二人に注意を呼びかけた。
「デカいモンスターいるぞ!」
パウロの声に合わせて二人も「ふくろ」から武器を取り出した。
クララは当然ながら支給品の拳銃「ヴェスパー」。そしてパウロとハイジは棘付きの棒「セイショクシャ」を構えた。
「ふくろ」の中はサイズなどお構いなしに入る異空間なので、二人の使う棒は二メートルほどの長さがある。
この棒は神がGMに与えた専用装備であり、普通の種族では使用できない強力な武器だ。
「とりあえず二人は私の後ろに!」
エコー魔法でモンスターの動きを把握しているパウロは、先頭に立ってGM魔法の壁を作る。
その壁を上から押しつぶさんと、百メートルほど離れた位置にいたモンスターは上空へと飛び上がり、パウロめがけてのしかかった。
「ぬおおお!」
棒の先に意識を集中させたパウロはとっさにGM魔法を発動させた。
使用したのはバウンドシールド。展開した盾にぶつかってきた相手を、文字通りに跳ね返す防御魔法だ。
モンスターは二十メートル近い長さを持つ巨大な蛇で、パウロの魔法で跳ね飛ばされても、勢いを利用して天に向かって立ち上がるのみ。
巨大なタワーが目の前に現れたかのようにしか見えない巨大な影に、クララは驚いてすくんでしまう。
「あ、あわわ」
「おちつけクララ。キミの目ならば、モンスターの頭まで見えるだろう?」
「う……うぷ!」
「デリカシーってもんを考えろよ。あのモンスターは、初見にはグロいって」
ハイジが言うようにこのモンスターは酷くグロテスクな見た目をしていた。
全体像は蛇によく似ているのだが、その頭は口を広げたまま地面に押し付けられて、潰れてしまったかのような形をしていたからだ。
おまけに危険度に見合ったとびきりの悪臭。
これで吐き気をもよおすなと言う方が無茶苦茶だ。
「すまないクララ。だけどすまないついでに、私の指示に従ってくれ」
「何をするつもりっスか?」
「今からコイツは私たちを飲み込もうと、もう一度突進してくる。それに合わせて開いている口に、銃弾を撃ち込めるだけ打ち込んでくれ」
「で、でも……」
「大丈夫。攻撃は私が防ぐから、クララは気持ちが悪いのを我慢してくれるだけでいい」
「勝算はあるんスか? よっちゃん。このサイズのモンスターは、僕らだって初めて見るっスよ」
「さっきの攻撃を防いだときに、口の中にキラキラと光るものが見えた。多分あれがアイツの核だ。アレに当たればコイツを倒せる」
パウロの言うとおり、この巨大モンスターの口には、核というべきモノが存在していた。
腐ったエーテルの集合体にモンスターとしての骨格を与えている、地球上の滅びた生命体の遺伝子情報。
それが詰まった生体チップとも言うべき輝く球がこのモンスターの口の奥に存在していた。
この核は「天然モノ」も、その模倣品である「人工モノ」でも等しく存在している。
今のクララには知る術もない、この星を作り変えた存在が世界中にばらまいたモンスターの種とも言うべきこの核は、同時にモンスターにとっての弱点である。
核の大きさはモンスターの大きさに比例して巨大化していく。
サッカーボール大の核から生まれたモンスターにしてはこの蛇は最大級のサイズなのだが、ここまで詳しい生態を知っているのは三人の中ではハイジのみ。
クララもパウロも目の前の相手に必死なので、それを気にする余裕すらない。
一人それを知るハイジはニヤリと笑うと、友人に見せ場を譲った。
「だったら壁役は僕がやる。迎撃はお前とクララちゃんの二人でやれ」
「大丈夫か? 私のほうがこの手の魔法は得意だぞ」
「それを言えば、プライベートでもやり込んでいた僕のほうが元のゲームになれている。ロールのレベルではよっちゃんのほうが上でも、僕のほうが基本のレベルだから確実に防げるっスよ」
「……わかった。任せたぞ灰村」
「りょ!」
作戦が固まるのを待っていたかのように、予想通りの突撃を始めたモンスター。
迫ってくる大きな口にもよおす吐き気を我慢しながら、クララはヴェスパーを真上に構えた。
言われてみると、たしかに口の奥がキラキラと光っている。
あれが弱点の核のようだ。
「(狙いを定めるときは呼吸を整えて……見つけたら心臓を止める)」
一緒にゲームをプレイしていた幼なじみ。
この世界に来てからはまだ出会えていない初恋の彼。
トーキチくんの言葉を思い浮かべることで吐き気を抑えながら、クララは引き金を絞った。