自由。なにをしても・・・自由。
※ ※ ※
「待てっ!」
由香子を追いかけようとする不審者の前に、俺は立ち塞がるように回り込んだ。
「行かせるかよっ!」
行動と台詞だけ見ればカッコ良いことこの上ないが、内心では心臓バックンバックン足元ガクガクだ。正直言ってすっげえ怖い。
さて、ここからどうする? タイミングを見て俺も逃げ出したいが、由香子が逃げるための時間を稼がないといけない。
くそう、変質者ってのはもっと弱弱しい外見をしてるもんじゃねえのかよ。なんでこのおっさん暗殺者みたいな顔つきしてんの? 目が合うだけで小便ちびりそうになるんだけど!
「アアあ、ああ………あ、の――」
目の前の暗殺者から発せられた言葉に俺は身構え、すぐにでも逃げられるよう身構える。俺と不審者の視線が正面から混じり合い、そして相手の瞳が冷たく光ったと感じた瞬間。
―――聞こえて来たのは意外なほど流暢な日本語だった。
「――あ、あの、私のこと、分かりませんか?」
――何を言ってるんだこいつは?
俺に不審者の知り合いなんていない。仮にこの男が不審者ではないとしても、こんな年の離れた強面の知り合いなんているはずもない。
「私です! 早苗です!」
そうか。早苗って言うのか。俺達が探している人物と不審者が同じ名前だなんて変な偶然もあるもん――――…………いや待て。
「……へ? 早苗?」
俺がそう口にした瞬間だった。
「ははははははははははははははははははははは――!」
人気の無くなった下校路に響く高らかな哄笑。
その声の発生源は俺でも目の前の不審者でもなく。聞き覚えのある舌ったらずな声にザワリと胸中が波打つ。やがて周囲を伺う俺達の前に姿を現したのは。
「はははは―――、全てこの私がご説明しましょう!」
ずっと先の電信柱の影からヒョコっと顔を覗かせた――小柄な影。
「このニコニコのニコちゃんが――」
「また、おまえの仕業かあああああああああああああ!」
「ひぎゃああああああああああああああああああああ!」
ええ。それはもう全力で頬をつねってやりましたとも。
「さーて、ちゃんと説明してもらおうか?」
「うう……だから『説明しましょう』って最初から言ってるのに……」
涙目で頬をさすりしながら、ニコは不審者のおっさんへと指先を突き付けた。
「汝の正体みたり! 貴方は早苗ちゃんですね!」
「だからそう言ってますう」
ハラハラと涙を流しながらそう口にするおっさん。って、おいおいマジかよ。
「……本当に? 本当に漫研部の早苗なのか?」
「はい。漫研部一年。奥村 早苗です……」
嘘だろ? 変装とか特殊メイクとかそういう次元の問題ではない。
どこをどう見ても、良い年したおっさんにしか見えない。地味な眼鏡少女である早苗との共通点なんてひとつとして見つけられない。いったいどういうことなのか。
「せんぱいは、TSもの、というジャンルを知っていますか?」
「は? なんだいきなり。……あまり詳しくは知らないが、要は性転換もののことだろ? 平凡な男子が学園一の美少女に変身したりとか、おっさんが幼女に転生したりとか」
「その通りです。Transsexual(性転換)。略してTSです」
「……おい、じゃあまさかこれも?」
俺は目の前のダンディなおっさんを見上げる。彫りが深く整った顔立ち。見た目だけで言えば数々の死線をくぐり抜けてきた歴戦の戦士のような趣がある。
しかし現実には――
その戦士が目尻に涙すらを浮かべて、内股で、胸の前で揃えた両拳を握りながらプルプル震えているのだ。うん、絵面的になかなかキツイものがある。
「つまり、このおっさんの中身は本当に早苗で、TSしておっさんになってしまったと?」
こくこくと頷くニコと早苗。
……まじか。にわかには信じられないが、おっさんの挙動不審さと落ち着きの無さは、言われてみると早苗っぽいような気もする。それに、見知らぬおっさんがわざわざ早苗の名を騙ってまで俺を騙す理由なんて無い。嘘をつくとしてももっとマシな嘘をつくはずだ。
だとすれば、今ニコが説明した内容は全て真実、ということになる。
女子高生がおっさんに。
普通、こういうものって男が女体化するから面白いんじゃないかと思うんだが……。
いや、しかしこの際そんなことはどうでもよく。むしろ問題なのは、なんでこんなことになっているかなのだが――
「……ニコ、なんでこんなことしたんだ?」
「はてさて、なんのことでしょう? なんでもかんでも私がやったみたいに言うのは――」
「うん? 違うのか? こんな凄くてラノベ的でTS浪漫溢れる現象、可愛くて有能なお前にしか出来ないことかと思ったんだが?」
「……へへっ(ドヤッ)」
「やっぱりお前じゃねえかあああああああ!(ぐりぐりぐりぐり)」
「ぎにゃあああああああああああああああああ!」
このもちもち肌がどこまでの伸縮性を秘めているのか試すべく力を込める。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいいいい!」
涙目での謝罪に仕方なく解放してやると、「うう、ひどい……」と赤くなった頬をさすさすと撫でるニコ。そんななんちゃって幼女の姿を見て自然と漏れる溜息。そして告げる。
「……まあ、お前がなにか企んでるのはなんとなく分かってたけどな」
「ほえ?」
「あれだけ諦めの悪かったお前が、今日は一度もイラストのことを口にしないなんて……どう考えてもおかしいだろ」
「……ふふ、せんぱいは私のことをよく分かってるんですね」
どこか照れたようにはにかむニコ。しかし、ふと何かに気づいたように。
「あれ? それならなんで私は頬をつねられたんでしょう?」
「ふんっ、少しとはいえ俺をビビらした罰だよっ」
そんな俺達のやりとりに、すぐ横で黙って見ていた早苗が遠慮がちに口を開く。
「あのあの、その、よくは分からないんだけど……これって、天津さんがやったことなの?」
明らかに混乱した様子の早苗。無理も無いよな、こんな状況を理解しろなんて無茶振りもいいとこだ。しかしそんな早苗に対してニコが返したのは、
「ぶいっ」
意図も意味も分からないVサイン。
大人しい早苗もさすがにこれには表情を変えた。
「な、なんで!? 朝起きたらこんな姿になってて、学校にも行ける訳ないし、なんとか部長とか友達の子に事情を話そうと思っても皆怖がって逃げちゃうし、ようやく岩岡先輩たちに会えたと思ったら不審者扱いされるし、もう散々だったんだよ!?」
ぷんぷんと頬を膨らませ両手をぶんぶん振りながら怒りを表現する。
いや、それいつもの早苗がやる分には可愛いのかもしれないが、実際には良い年したおっさんがやってるのだから勘弁してくださいお願いします。
ニコは早苗へとまっすぐに向き直ると、らしくもない真剣な表情で語り出した。
「わたしは早苗ちゃんに分かってほしかったんです」
「わたしに?」
「はい。たとえ見た目はおっさんでも、早苗ちゃんは早苗ちゃんです。その本質が可愛い女の子であることに変わりはありません」
「か、可愛い!? ――そ、そんなこと急に言われても///」
だからそう萌え仕草はおっさんじゃない時にしてくださいホントお願いします。
「逆もまたしかり、だと思うんです」
ニコはそう言うと早苗の大きな手をそっと握る。
「今のライトノベルではTSものの作品も増えてきています。中身と外見が違うことなんてもはや普通にありえるんです。いえ性転換に限らずともモンスターになったり無機物になったり―――自由なんですよ」
目尻に幾重もの皺の刻まれた瞳をまっすぐに見つめ、ニコは柔らかく微笑んだ。
「……じ、ゆう……?」
まるで初めて口にする言葉のように。吐き出した言葉をゆっくりと反芻するかのように、早苗の太い喉ぼとけがごくりと動く。
……ったく、相変わらず説明の下手な奴だな。
ニコが何を言わんとしているのか俺には良く分からない。この状況と今の話になんの関係があるのかも。
しかし、それでも、早苗にはニコの意図がちゃんと伝わっているようで。
目の前で早苗の見開いた瞳が輝きを増し、口元がにんまりと弧を描いていくのを眺める。
「……なんか少し、分かった気がします」
瞳を閉じ、胸元に手を添え。
「中身と外見は必ずしも一緒である必要が無い。自由。なにをしても……自由」
ひとつひとつ噛み締めるように言葉を紡ぎ、そして次の瞬間、覆いかぶさるようにしてニコの小さな身体を抱きしめた。
「私、描けるかもしれない! 可愛いヒロインのイラストを描けるかもしれない!」
「そうですか。良かったです」
まるでこうなることが分かっていたかのように頷き、ニコは早苗の背中へと手を回した。
「では改めてお願いしますね。早苗ちゃん」
「うん。ありがとう天津さん!」
なにやら通じ合っている様子の二人と完全に置き去りにされている俺。
つまり――早苗の抱えていた悩みが解決した、ということだろうか?
俺にしてみればライトノベルの「自由さ」なんて、強引さやご都合主義という言葉と大差無い。それがどうして早苗の悩みを解決へと導くのか。やはりよく分からない。
でも。それでも。
早苗本人が「描ける」と言っているのだから、きっと描けるのだろう。
なら、あとはまあ、それを楽しみにさせてもらおうじゃないか。
……にしても目の前のこの光景。
小学生ぐらいにしか見えないニコとトレンチコートのおっさんが抱き合い、おっさんの方にいたっては嬉し涙すらを流している――
うん、事案以外のなにものでもないな。
「お前ら、問題が解決したんなら、とりあえず場所を移すなり姿を戻すなりしないと――」
そう俺が忠告した瞬間、背後から駆け寄ってくる足音。
「祐介! 無事!? 警察連れて来たわよ……って、きゃあああ! 天津さんんん!?」
目撃した状況をある意味で正しく理解した由香子と警察官たちが猛然と駆け寄ってくる。
「やばい! お前ら逃げるぞおおお!」
「ええ!? なんで!? なんで祐介まで逃げるのよお!?」
全力で駆け出した俺達の耳朶に、困惑した由香子の声がいつまでも響いていた。




