第二話 壷の魔神の娘達 後編
場所を近くの公園に移し、青空の下、ミリンダの授業が始まっていた。
ざっと千人は居るのでは無いかと思われた。
子供達を中心に、様々な年代の人々が集まっていて、ミリンダが聴衆に対し、この世界が作られた理由や、幾多の生命体が集められた訳に付いて講義をする。
本格的な内容の講義なのに、彼女の話術がそれを感じさせない。子供達にも理解出来るよう色々な比喩を使った講義は、美耶も本気で引き込まれる程の物だった。
全ての要職から引退したミリンダは、今はこうして週に三度、子供達に勉強を教えるだけの身の上なのだと言う。
それでも人々は、彼女の事を公主と呼ぶのを止めないのだ。
ミリンダの講義を聞きながら美帆が言った。
「彼女は以前、この地に民主主義を根付かせるとあたしに約束をしたの。ミリンダは人々に教育を与え、彼女の職責を継ぐ多くの人材を育て上げた。だからきっと、彼女は自分の責任を果たし終えたのよ」
「つまり、それって・・・」
美耶はその言葉をただ呆然と聞いていた。
王が民衆に権限を委譲するなど、それ自体がファンタジーの様に思える。
けれども彼女はそれを行い、全ての権限を失った後も、王としての尊敬を受け続けているのだ。
詳しい事情は分からなかったが、それでも目の前の女性が偉大な人物である事は理解できた。
そして彼女は今も、一人の教師として、民衆に教育を与え続けて居るのだ。
きっとこの場所からも、沢山の優秀な人材が巣立ったに違いなかった。
美耶は、彼女が千年掛けて造り上げた物が、目の前の光景である事に気が付いていた。
以前父が言っていた。
人が城であり、人が石垣なのだと。
大切なのは入れ物よりも人であり、だからこそ彼女は、千年を掛けて人材による城を築きあげたのだ。
そう気が付くと、それ迄は見窄らしく感じていた周囲の光景が、にわかに色彩を帯びて来るようだった。
どんなに立派であったとしても、人々に希望がない社会では意味が無い。バラックなプレハブに住んでいても、人々に活気と笑顔の有る社会の方が何千倍も豊かで有るに決まっている。
美耶はこの星の事が一変で好きになっていた。
気が付くとミリンダの講義が終わっていて、何故か子供達が美耶の事を見つめていた。視線を返すと一人の子が訊ねてくる。
「お姉さんが橘媛なんですか?」
どうやら美耶は自分の考えに夢中になっていて、講義のその部分を聞き逃したらしい。
曖昧に頷くと、子供達の表情がぱっと輝いていた。
それだけでは無い。まるで、そこから潮が湧くように、美耶を中心にどよめきの輪が広がって行く。
「えっ、どうしたの?」
不審に思っていると、目の前の子供達が教えてくれた。
橘媛が独裁者の手から世界を取り戻し、停滞に苦しむ人々を救った事を。
橘媛が食を通して、この世界に文化の多様性を与えた事を。
そして橘媛が、この世界の人々に、等しく権利を分かち合うよう望んだ事を。
「いつか戻られる橘媛の為に、この世界をより良い物にしなければいけないの」
世界を、橘媛にふさわしい物とする事こそが、世界に暮らす自分たちの役割なのだと、子供達が教えてくれた。
『どう言う事よ!』
こそこそと逃げだそうとしていた穂積美帆の襟首を、美耶が鷲掴みにする。
「いや、あたしもまさか、そんな大げさな事に成っているとは思わなくて・・・」
美帆が思いっきり動揺していた。
「美帆、あなたまさか、紹介したい夏のバイトって・・・」
「は、あははははは・・・」
美帆が眼を泳がせながら、わざとらしい笑い声を上げる。
「ほら、あなた、公務員試験を受けたいとか言ってたじゃない? だったら、この世界の施政官とか、どうかなって思ったんだけど・・・」
美耶は、自分が騙された事に気付いていた。
美帆はこの世界に対する責任を、全て美耶に押し付ける積もりなのだ。
その積もりで橘媛の名を継がせたのだ。
冗談じゃない!
自分はともかく、この場に居る人々の気持ちは、そんな安易に片付けられる物では無かった。
子供達が、橘媛の名に託した純粋な期待は、女神に対するそれと同じであって、決して自分が背負得るような物では無かったのだ。
けれど、それなのに。
小さな女の子が、美耶のスカートの裾を引っ張っていた。
「お姉ちゃん、帰っちゃうの?」
逃げだそうとしていた自分の心を言い当てられて、愕然とする。
美耶の使うプログラムシェルは、ただの翻訳機では無い。精神生命体のbeeが核となっていて、心を共振させ、人の気持ちを伝える物だった。
自らが信じる橘媛に見捨てられたとすれば、目の前の子供達はどれほど傷付くであろう。
美耶は申し訳ない気持ちで一杯だった。
その場にしゃがんで、女の子と視線を合わせる。
「お姉ちゃんはね、まだ半人前の橘媛なの。だから、もっともっと勉強しないと、皆の期待には応えられないの」
例え相手が小さな女の子でも、嘘を付くのは嫌だった。
だから、正直な気持ちを伝えた積もりだった。
後は本物の当事者である美帆に、責任を取らせる積もりだったのだ。
なのに、その女の子は言っていた。
「あたしね、お姉ちゃんが良い」
その言葉に呆然とする。
勉強が必要なら一緒にしようと、女の子は美耶に提案したのだ。
正直困った。そんなのは卑怯だと思った。
だって、断る事など出来無いではないか。
けれど、美耶の中に、生来のお節介焼きの心がむくむくと沸き起こって来る。
美耶は、目の前の子供達の笑顔を、もっと見てみたいと思い始めていた。
その優しい心が彼女の中のスイッチを入れる。
美耶の中の魔神の力が、世界に干渉して物資化現象を生じさせ、ささやかな奇跡を起こしていた。
すなわち。
花の香りが薫っていた。
それは、今が季節の橘の花の香りだった。
非時香菓を実らせる白い花が、甘く爽やかな香りを漂わせて人々の心を楽しませる。
突然一陣の風が吹き抜けて、何処からか運ばれた沢山の白い花弁が、辺りを舞っていた。
それを見た人々が歓声を上げる。
美耶の前の女の子が、眼を丸くしてそれを見守っていた。
◇ ◇ ◇
「言って置くけど、了承した訳じゃ有りませんからね」
そう言って駄目押しをする。
「でも、話だけは聞いて上げる」
美耶は笑って、千年以上も歳の離れた実の姉にそう言っていた。
「私もそれで良いと思うわ」
ミリンダが近づいて来て、美耶に右手を差し出していた。
そして、握手をして言った。
「よろしく、二代目」
人の物語は、人の心によって紡がれて行く。
そしてそれは、壷の魔神の娘である、美耶の物語の始まりだった。
このお話はこれで完結です。
最後まで読んで下さった方、本当に有難うございました。
本文の方は、しばらく置いて文章の手直しをするつもりです。
そして、ぽつぽつと新しい話を始めますので、ご興味のある方はよろしくお願いします。




