第一章 韋駄天の出立(序)
人の一生の価値は、その足でどれほどの大地を踏みしめ、どれほど他者の痛みに寄り添えたかで決まるのかもしれない。
幕末から明治という、日本が最も激しく揺れ動いた時代。伊勢の裕福な家庭に生まれながら、退屈な日常を捨てて最果ての北の大地へ向かった男がいた。
その名は松浦武四郎。
当時の人々が「蝦夷地」と呼び、未開の蛮地として見下していた場所で、武四郎は誰よりも走り、誰よりも深くアイヌの民と生きて、彼らの誇りに出会った。
本作は、国家の都合や権力という巨大な濁流に抗い、一人の探検家が文字通り命を削って「本当の名前」を大地に刻もうとした、孤独で熱き情念の旅路を描いたものである。
言葉を持たない民の叫びを帳面に書き留め、生涯の友との約束を果たそうとした武四郎の、激しくも切ない生き様をここに紐解きたい。
「本書(本作品)はフィクションです。作中に登場する人物、団体、名称、地名、事件などはすべて架空のものであり、実在するいかなる対象とも一切関係ありません。また、特定の思想・信条・宗教を支援または誹謗中傷する意図はございません。」
北加伊道の約束
第一章 韋駄天の出立(序)
人の足というものは、まことに不思議なものでございます。
ある者は己の身を平穏な安住の地へと引き留めるために地を踏みしめ、またある者は、まだ見ぬ異郷の風に誘われるがまま、命を削るようにして地を駆ける。
文政の世、伊勢国一志郡小野江村――現在の三重県松阪の、さして広くもないが、藍玉の商いや農業でそれなりに名の通った松浦家に生まれた武四郎という男は、あきらかに後者の業を背負ってこの世に生を享けた男でございました。
「武四郎、また地蔵堂の裏で泥だらけになって……。お前という子は、どうしてそうじっとしていられないのかねえ」
母のうめの嘆き節は、それこそ武四郎が物心ついた頃からの、我が家の極まりきった挨拶のようなものでございました。
兄の利庫太郎は、生まれながらに家を継ぐ者の落ち着きを払い、書物に向かっては静かに筆を走らせている。
それに引き換え、四男坊の武四郎ときては、朝に家を出たかと思えば、昼には隣村の法田まで走り抜け、夕暮れ時には鈴鹿の山並みを遠くに望む峠の上で、ただ一人、雲の流れを凝視しているという始末。
その足の速さたるや、村の悪ガキどもが束になって追うても、風が髪をかすめるほどの間に、影さえ見失うという韋駄天ぶりでございました。
しかし、この少年の胸の内に燃えていたのは、単なる悪戯盛りの血気ではございません。
この地平の果てには、一体何があるのか。
お伊勢参りにやってくる、全国津々浦々の旅人たちが落としていく、垢抜けない異国の言葉、見たこともない布切れ、そして、語られる怪異や美談の数々。それらが、武四郎の小さな耳から脳髄へと染み込み、まだ見ぬ広い世界への渇望という名の、烈しい炎を燃え立たせていたのでございます。
「ここにいては、私は干からびてしまう」
天保四年、武四郎、わずか十六歳の春のことでございます。
梅の蕾がようやくほころび、まだ夜着の冷たさが肌に刺さるある夜、武四郎は誰にも告げず、一通の書き置きを机の上に残しました。
『江戸へ参りたく候。これより諸国を巡り、己の目を養うて参ります。探さないでくだされ』
ただそれだけの短い言葉を残し、竹皮に包んだわずかな握り飯と、すり減った草鞋を二足、腰に括り付けただけで、少年は闇夜の街道へと滑り出しました。
背後で小さくなっていく故郷の灯火に、一度たりとも振り返ることはございません。
ただ前へ、前へと進む足の軽やかさだけが、彼の唯一の道標でございました。この時、親兄弟はもとより、武四郎自身さえも気づいてはいなかったのです。
その足が、やがて日本という国の形を、そして北の果てにある凍てつく大地の運命を、根底から揺るがすことになるなどとは。




