オマケ2
「マーフィー、痛み止めをくれ」
「またですか? 隊長」
「おう、名誉の負傷だ」
「いつもの痛み止めと、炎症止めも?」
「一応、貰っておく。すまんな」
「少々、お待ち下さい」
この町の憲兵隊長コニーは薬屋へ足を運んだ。
地方都市としては中規模なこの町にコニーが派遣されたのは、つい最近。しかし頻繁に顔を出すので、既に顔馴染みとなりつつあった。
聞くところによると、この若い薬師も最近この町にやって来たらしい。
跡取りのいない薬屋の老薬師が体調を崩し、店じまいした直後、たまたまこの町に立ち寄ったのだという。
永住先を探しながら旅をしていると聞いた宿屋の店主が、薬師と聞いて必死に頼み込んだのだ。老薬師に会って貰い、店の状況を説明し、何とか跡を継ぐのを了承して貰ったという。
というのもこの町には薬屋が二軒しかなく、東側にある薬屋は評判がとても悪かった。効きが悪いのに値段が高く、店主の態度も横柄なので、町民は遠くても西の薬屋まで足を運んでいた。
だから宿屋の店主は薬師と聞いて目を輝かせ、頼み込んだのだ。
結果的に宿屋の店主は町の人達から感謝された。よくやったと。
薬師は若かったが腕がよく、人当たりもよかった。お年寄りにも親切で、あっと言う間に受け入れられた。
体調を崩していた老薬師まで、マーフィーの調合した薬を飲んで回復したというから驚きだ。
引退宣言をした筈の老薬師が、たまに店にいるのを見かける。
店主はマーフィーだが、手伝いと称して顔を出している。店の裏にある家に閉じ篭もっているより、動いている方が楽だと言う。
老薬師は天涯孤独のようなものだった。息子一家は田舎を嫌って都会に行ったきり、戻って来ないからだ。
体調を崩してそのまま儚くなるのではと近所の者は案じていたが、マーフィーと連れのフランが居着いてくれたお陰で元気になった。
まるで家族のように過ごすようになった薬屋は、以前よりも賑やかになった。
いつも温和で親切なマーフィーは、女性達から人気があった。コニーが立ち寄る度に、どこかの奥様が立ち話をしている。
コニーは待ち時間の間、マーフィーに質問してみた。
「女にもてるコツってあるのか?」
マーフィーは作業の手を止めないまま、小さく笑う。
「俺の場合、もてているとは言えませんよ」
「でも大人気じゃないか」
「それはフランとの関係を公にしてるからです」
「ふうん? そんなものか?」
マーフィーとフランは恋人同士だ。二人は隠すつもりがなく堂々としている。
男女のカップルが一般的なので、偏見を持つ人もいる。年齢の高い層ほど嫌悪しがちだが、二人はお年寄りとも上手くやっている。
体調不良の多いお年寄りは、マーフィーが薬師だから目を瞑っているのだろうか?
「フランとの仲を隠していないので、女性達から対象外と見做されているのですよ。この人は自分をそういう目で見ないから安心だとね」
「そういうもんか?」
「俺が男前ならまた違ったでしょうが、平凡な容姿ですからね。安全圏なのです」
「ふうん?」
ぴんとこないコニーが首を捻ると、マーフィーは可笑しそうに言う。
「隊長のように『恋人欲しい!』と目をギラギラさせていたら、それだけで警戒されますよ。若い女の子は特に」
「えっ! 俺、そんな感じなの?」
まさか、と言う思いで訊き返したら、優しい目でコクンと肯定されてしまった。
「そんなぁ……俺はそんなにガッついて見えるのか」
「普通にしてたら大丈夫ですよ。気負わずに普通に接していれば自然と仲良くなれます。隊長は男前ですから」
「そうか?」
あまりにも自信がないので縋るような目を向けると、マーフィーはにこにこと笑っている。
「あと、単純にもてたいだけなら、お金持ちになるという手があります」
「う? 身も蓋もないな」
「心が伴わなくていいなら、それが一番手っ取り早いでしょう?」
「そうだけど、俺はそんなんじゃなくて、愛し愛される人と結婚したい」
「そうですか」
頑張って下さい、とマーフィーはくすくす笑っている。
「頑張ってどうにかなるなら、とっくに結婚してる」
「ですから、隊長はぎらつかないようにすれば大丈夫ですよ」
「俺ってそんなにギラギラしてるか?」
自覚がないので尋ねると「はい」とあっさり肯定されてしまった。
異論あるコニーは口を尖らせる。
「でも現実問題、金は必要だよな」
「憲兵隊長の給料はいい方なのでは?」
「そりゃあ一般兵に比べるといいけど、自慢できるほどじゃないな」
「そうなのですか? ではもっと出世しなくてはなりませんね」
にっこり言うマーフィーに、コニーは呆れた。
「左遷された俺に向かって言うか? 出世なんか出来るもんか」
「おや? すみません。知らなくて」
「王都から地方都市への異動だぞ? 左遷以外にないだろう」
「何をしたか伺っても? 隊長さんは有能と聞いておりますが」
「え? 俺、有能なの?」
「はい。隊長さんが来てから、この町の治安はよくなったと聞きましたよ」
「それは前の奴が怠け者だっただけだ」
コニーは渋面になる。
ここに来てすぐに驚いたのだ。勤務時間があまりにも短く、勤務態度もおざなりで、あまりにも憲兵隊が機能していなかった。
犯罪率も高く、泥棒天国かと思った。賄賂を受け取って見逃しているのかと思いきや、ただ怠惰なだけだった。
元の憲兵隊長が怠け者だったせいで、それを基準に全員が緩い勤務をしていたのだ。
当然、コニーが一新した。
隊長の副官として赴任したコニーが王都へ詳しい報告書を提出し、前任の憲兵隊長は引退して貰った。取り巻きの老害達も一緒に。
みんな平民だから成せた事だ。位が低くても貴族位なら不可能だった。
そしてコニーが繰り上がりで隊長になった。
中堅どころは歓迎半分、不満半分だが、若い憲兵隊員には概ね好評だった。これまでのやり方に疑問を持っていた隊員も多かったようで、短い期間でコニーは受け入れられた。
そういう面だけ見れば、確かに有能かもしれないが……。
「俺は上司運がないんだ」
「上司運?」
「そう。頑張って働いても、大体、嫌な上司の元に配属されてしまう。直近の異動は酷かったぞ? 隊長として頑張って働いた俺が検挙率一位だったのに、どこぞの侯爵の二男だか、三男だかがポッとやって来て、俺の席を奪ってしまった。上のひと言であっさり左遷だ。俺は子爵家の三男だから反論の余地なしだ」
「それはついてないですね」
「そうだろう? それにあの時、怪しげな暗殺者の尻尾を掴みかけていたのに、台無しにされたんだ。上手く隠されていたから誰も関連性に気づいていなかったのに、俺だけが気づいたのに……」
「………………」
ブツブツ不満を漏らすコニーを、マーフィーはにこやかな笑顔のまま見詰めている。
「あ~あ、あの件だけはもう少し捜査したかったな~」
「詳しく伺っても?」
「いやっ、機密だ。話せない」
ハッとした表情で首を横に振るコニーを前に、マーフィーは「でしょうね」と納得するように頷いている。
「俺のような平民からすると、貴族というだけで羨ましいのですが、貴族の中でも色々あるものなのですねぇ」
「そうなんだ! 貴族の家に生まれたからって楽じゃないんだぞ? 嫡男には責任がついて回るし、勉強も物凄く大変だし。父上の跡を継いで当主になったら、今度は他の貴族達と社交という名の貶め合いだ。陰湿だぞ? 俺は嫡男に生まれなくて本当によかった」
「そうなのですねぇ」
「あっ、そうだ! 言うのを忘れてた!」
「何でしょう」
「俺の副官のバースの薬も調合して欲しいんだ。発熱していて、以前買っていた薬を飲んだらしいが、あまり効かなかったみたいで、数日、寝込んでるんだ。とりあえず解熱剤を……」
「バース様ですか。あの方に売る薬はありません」
笑みを消してキッパリ断るマーフィーに、コニーは目を丸くする。
「えっ、なんで?」
「俺の大事なフランを口説いたので」
「え? あ……」
そういえば、そんな話を聞いたような気がする。
この町の高級料理店で働き出した給仕を、バースは気に入ったらしい。男だと聞いたが足繁く通い、熱心に口説いていたようだ。
それに相手が応える事はなかったようだが……。
「え? あの店で働く給仕って、お前の恋人のフランか!」
「そうですよ」
「それは申し訳ない事をした!」
コニーはガバッと頭を下げた。
「知らなかった事とはいえ、部下が迷惑をかけた。すまなかった!」
「隊長に謝られても……」
「今後つきまとわないよう、きつく言っておく。だから勘弁して貰えないだろうか?」
「嫌です」
「マーフィー……」
「東の薬屋へ行って下さい」
けんもほろろにあしらわれたコニーは悄然と肩を落とし、自分用の薬を手に帰って行った。
◆
店を出て行く憲兵隊長の背中を、マーフィーは目を眇めて見送る。
まさかこんなところで例の憲兵隊長に会うとは思わなかった。先ほど、うっかりコニーが漏らさなければ知らないままだった。
まさかあの憲兵隊長がコニーだったとは……何という偶然か。
そうなるとコニーが左遷された経緯は、違ってくる。まさか本人も犯罪組織が関与したとは思わないだろう。
犯罪組織の顧客は貴族。裏を返せば、貴族の弱味を握っているということ。
頭領がちょっと伝手を辿れば、憲兵隊長の人事を操作するなど容易い。
前の頭領だったら暗殺命令を出しただろうが、慎重派の頭領はそれで済ませたのだ。憲兵隊長の暗殺となると、どうしても注目を集めるから。
マーフィーがあれほど簡単に組織から抜け出せたのは、コニーのお陰でもあるという事だ。コニーが嗅ぎ回ってくれたお陰で、マーフィーは解放された。
この町に派遣されてすぐに憲兵隊組織を大改革したのに、禍根を残さず、あっと言う間に部下達を掌握した憲兵隊長。凄腕と言っていい。
それなのに女性にもてないと嘆くコニー隊長。
下位ではあるが、一応、貴族子息なのに偉ぶらない。早く結婚したいと嘆く姿に、町の人達もマーフィーも親しみを抱いている。憲兵隊員だけでなく町の人達からの信頼も厚く、快く受け入れられている。
捜査官としては、本当に優秀だと思う。なにせマーフィーの手口に気づいたのだから。
まさか部下のバースがいま寝込んでるのは、マーフィーの仕業だと思いもしないだろうが。念の為、慎重にならなければならない。
フランに手を出す輩は始末してもいいと思っていたが、改めなければならないようだ。コニーの勘は鋭い。下手な真似は出来ない。
これからは地道な嫌がらせで勘弁してやろう。フランを煩わせた輩に対して、かなり寛大な処置と言える。
コニーから謝罪されたからといって、手加減するつもりなど、マーフィーには一切なかった。
マーフィーは人知れずうっそりと笑った。
この町に居着いたのは本当に偶然だった。
地方の仕事で様々な町へ赴いた経験から、永住先として何箇所か目星をつけた。
そこへ行く土地でこの町に立ち寄ったのだが、宿屋の店主に思いがけない提案をされて今に至る。
薬師という仕事と住処、店まで用意されているという。こんな好条件、他にない。
何より二人を受け入れてくれた老薬師との暮らしを、フランが楽しんでいるのが大きい。
鞭で体罰を受けながら育ったフランは、体格のいい男に脅える仕草を見せた。でも介添えが必要な老人相手には身構える事がなく、すぐに打ち解けられたのだ。
近所の人が薬師を大歓迎してくれて、フランの勤務先の紹介までしてくれた。
フランは文字通り血を流しながら身につけた所作を活かして、高級料理店で働き出した。何の問題もなく貴族の相手がこなせるフランは、すぐに店主から気に入られたようだ。
フランは自信を持ち、よく笑うようになった。休みの日は老薬師と共に近所の人達とお茶したり、お喋りしたりしている。
そんなフランを見守るだけでマーフィーは幸せな気分になる。
これからずっと、この穏やかな生活が続くよう頑張る。
マーフィーにとってフランの笑顔が最優先なのだから。