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 あの後、すぐにマーフィーは薬師に扮してプリマス伯爵家に潜入した。

 凡庸な外見を利用して他人になりすますのも、人の記憶に残らないよう振る舞うのも得意だ。


 そして寝る間も惜しんでフランを看病し、全力で治療にあたった。フランが一命を取りとめていた事を涙ながらに感謝した。


 暗殺者の訓練の一貫で、マーフィーは薬の知識を叩き込まれていた。そのため毒に詳しく、本物の薬師と変わらないほどの知識を備えている。

 だから伯爵が却下した高価な薬も、マーフィーは自腹を切ってフランに飲ませた。これまでに貯めていた金銭を惜しみなく注ぎ込んだ。

 使った剣が服の中に隠せる大きさの小振りの物で、刃渡りが短いのも幸いした。毒を仕込んでいたナイフを使わなかったのもよかった。

 

 夜になり、医者が帰って行った後。

 二人はお互いの話をした。


「変装しているのに、すぐに俺だと分かったのか?」


 マーフィーが尋ねると、フランはこくりと頷く。


「声は変わらない。忘れてないよ」


「声変わりしている筈だが?」


「それでも僕には分かったよ」


「そうか……」


 マーフィーはベッドに腰かけてフランを抱き締めている。愛しそうに頭を撫で、痛みはないかと心配する。

 フランもその背中に腕を回し、頭をマーフィーの肩に預けていた。


「暗殺者だなんて……」


 裕福な商人に引き取られた筈のマーフィーが、そんな過酷な境遇で生きてきたなんて……とフランは悲しくなった。


「生き残る為には、そうするしかなかった。許されないと分かっている。それでもどうしても、生きてフランと再会したかったんだ」


「僕を殺そうとしたくせに」


「すまない。本当に何という過ちだったのか。下調べを怠ったせいで、まさかこんな事になるとは……。これを見つけた時は絶望で目の前が真っ暗になった」


 マーフィーは約束の指輪を取り出した。血塗れだったそれは、今は磨かれて輝きを取り戻している。


「また嵌めてくれるか?」


「大きさが合わなくなったよ」


 サイズは子供の頃に合わせてあったから、成長して嵌められなくなった。

 それに伯爵に見付かったら問答無用で奪われて捨てられる可能性があった。だからずっとポケットに忍ばせてきた。


「じゃあ今度、新しく別の指輪を買おう。お揃いでな」


「……うん」


「もうここに残る必要はないな。傷が完全に治ったらここから連れ出す。今度こそ一緒に来てくれるよな?」


「……暗殺者の家族として?」


「元暗殺者の恋人としてだ。物騒な仕事は引退する。頭領にももう話をつけてある」


「そうなの?」


「ああ。揉めるかと思っていたが、意外とすんなり了承して貰えた。色々と運がよかったんだ」


 マーフィーは頭領との話し合いを思い出す。


 話を切り出した時、頭領は当然、渋い顔だった。

 しかし最近、マーフィーが手掛けた仕事の共通点に気づいた優秀な憲兵隊長がいたらしい。嗅ぎ回っている男がいるという情報が入り、マーフィーの仕事はやりにくくなっていた。

 どうしたものかと思案中だったらしい頭領は、渋々ながらも了承した。


『身代わりが昔馴染みだったとは……凄い偶然だな』


『はい』


『俺に代替わりしてなかったら、以前の頭領だったら絶対に了承しなかった。処分してお仕舞いだ』


『そうでしょうね』


 マーフィーも覚えている。前の頭領の苛烈さを。マーフィーや他の子供たちを引き取り、暗殺者に育て上げたのはその人だ。

 しかし老齢だったので、最後は呆気なく病死した。


 代替わりした今の頭領が、前任者の気質を引き継いでいなかったのも幸いした。

 憲兵隊も馬鹿ではない。昔ほど自由が利かなくなってきていて、組織全体の仕事がしにくくなっている。前任者が派手にやりすぎたのだ。

 だから今の頭領は慎重になっていて、危うい情報に敏感になっていた。その為、組織は縮小傾向にあった。


 そして複数ある組織の拠点は定期的に移動していたが、丁度その時期に重なっていたのも運がよかった。


『ここを引き払うタイミングじゃなかったら、お前も処分しなくてはならなかった』


 新たな拠点を知ってしまえば、引退などさせられない。しかしマーフィーはその情報を持っていない。最悪、憲兵に捕まって拷問されても、情報を持っていないから見逃せる。

 マーフィーは他の暗殺者も知らない。一緒に訓練を受けた子供たちとは何年も会っていない。会わないように配置されていた。

 だからマーフィーは拠点と頭領の顔しか知らない。放逐しても問題ないと、頭領は判断した。


『最後の仕事だけは完了しろ』


『対象を変えても?』


『任せる。より難しい対象を処分してくれるなら、最初の失敗は忘れると依頼人は言っている』


『了解した』


 マーフィーは薄っすらと微笑む。


 フランは複雑そうな表情だ。


 この大事な愛しい存在が、これまで奴隷のように生きてきたなんて、マーフィーは決して許さない。

 暗殺者を引退するつもりだが、この依頼だけは完遂するつもりでいる。


「子息は僕を虐げなかったよ」


 ただ平民と同じように扱っただけだ。それは貴族子息としては当たり前のこと。


「そうか。では子息は見逃そう。でも伯爵は駄目だ」


「う……ん……」


 ここに来てからずっと、フランは辛い日々を過ごしてきた。躾と称して鞭打たれたのは、とても忘れられない。今でも悪夢で魘される。

 傷が治る頃にまた新しい傷が増えて、長い間、苦しめられてきた。痛みで眠れない夜を、何度過ごしたことか。


 直接手を下したのは教育係だったが、伯爵もその現場を見ても止めなかった。

 あの冷たい視線に見下されて、幼かったフランは未来が暗く閉ざされるのを感じ、悲嘆に暮れた。

 フランには約束の指輪しかなかった。辛い夜は指輪を握り締めて泣き、楽しかった頃の思い出に浸って現実逃避した。


「フラン、これからは幸せになろう」


「うん。もうマーフィーと離れたくない」


「ずっと一緒だ」


「うん」


 二人は固く手を握り合う。新たな誓いを交わして。




 身代わりの少年の傷が完治して床上げが済んですぐ、プリマス伯爵家の屋敷から姿を消した。

 捜索を指示した伯爵は、しばらくして病に倒れた。医者が診たが原因不明で、一カ月の闘病の後、家族に見守られながら静かに息を引き取った。

 屋敷はしばらく混乱したらしいが、社交界で少し騒がれたくらいで済んだ。憲兵隊も動かなかったらしい。

 



 町を出て行く乗り合い馬車に、青年と少年が乗っている。

 地方の田舎町に向かうという二人は恋人同士らしく、繋いだ手には、お揃いの指輪が光っていた。


 青年は薬師だと言うが、少年の方は仕草が洗練されていたので、どこかの貴族子息のようだった。

 訳ありかもしれないと思った御者は、深く追及しなかった。


 晴天に恵まれて、二人の顔は明るい。

 少年の方は見るもの全てが新鮮なようで「あれは何?」と頻りに青年に尋ねていた。

 嬉しそうな青年も面倒がらずに答えていて、とても睦まじい様子だ。


 幸せそうな二人の会話を耳にする御者も、思わずつられて笑顔になった。

 長閑な街道を、ほのぼのとしながら先へ進んだのだった。

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