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第51話 神楽坂の敗北宣言

 警報は、会見場の天井から降ってきた。


【緊急警報】

【全国複数ダンジョンにて異常反応】

【S級ダンジョン周辺、空間揺らぎ増大】

【探索者管理局、緊急対応体制へ移行】


 会場にいた記者たちが、一斉に立ち上がる。


「神楽坂さん、これはどういうことですか!」


「あなたの会見と関係があるんですか!」


「ダンジョンが反応しているということですか!」


「管理局は把握していたんですか!」


 怒号のような質問が飛び交う。


 だが、神楽坂レイジはすぐには答えなかった。


 彼は大型モニターに映る異常反応の分布を見ていた。


 全国七十二箇所。


 低ランクダンジョンから、B級、A級、そしてS級周辺まで。

 赤い点が、地図の上に次々と灯っていく。


 俺はその画面を鑑定する。


 対象:全国ダンジョン異常反応

 嘘:これは自然災害

 危険:人間の不安

 備考:信頼構造の崩壊に反応


 やっぱりだ。


 自然災害じゃない。


 人々の不安に、ダンジョンが反応している。


 神楽坂という英雄神話が崩れた。

 管理局が隠蔽を認めた。

 ダンジョンはただの敵ではないかもしれないと示された。


 人々が一斉に、不安になった。


 それが、ダンジョンに流れ込んでいる。


「黒瀬透真」


 佐伯が俺の隣に来る。


「見えますか」


「はい」


 喉が乾く。


「自然災害、が嘘です。危険は、人間の不安」


 佐伯の顔が険しくなる。


「澪さんの記録と一致しますね」


「はい」


 澪は見ていた。


 ダンジョンは、人間の恐怖や願望に反応する。


 なら、今起きていることは、その証明に近い。


 けれど、証明なんて言葉で済ませられない。


 このまま広がれば、人が死ぬ。


 リアが配信端末を握ったまま、青ざめていた。


「これ、今も配信に乗ってる」


「切りなさい」


 セイラが即座に言う。


 リアは首を横に振った。


「全部切ったら、また憶測だけ広がる。だけど、このまま流したらパニックになる」


 彼女は歯を食いしばる。


 以前のリアなら、ここで視聴者を引きつける言葉を探したかもしれない。

 衝撃的な画面をそのまま見せたかもしれない。


 でも、今の彼女は違った。


「公式の避難情報だけ残す。コメント欄は閉じる。煽りになりそうな映像は切る」


 リアは素早く設定を切り替える。


「見せる。でも、燃やさない」


 その横で、ミナトが端末を叩いていた。


「SNS側、もうひどいね。『神楽坂が嘘つきだったからダンジョン暴走』とか、『管理局が人類を騙してた』とか、『黒瀬澪の記録は捏造』とか、全部同時に走ってる」


 セイラが言う。


「火消しではなく、避難誘導を優先しなさい」


「分かってる」


 ミナトは複数の情報源を並べる。


「正確な警報、避難所、閉鎖区域、探索者待機命令。デマ潰しは後回し。今は人を動かす」


 カナタはすでに剣袋を担いでいた。


「俺は出る」


 セイラが鋭く見る。


「単独行動は却下です」


「近隣のC級が膨張してる。人員が足りない」


「それでも単独では行かせませんわ」


 カナタは一瞬黙る。


 以前なら、ここで一人で行っていたかもしれない。


 自分が行けばいい。

 自分が負えばいい。


 そうやって、勝手に走ったかもしれない。


 だが、彼は短く息を吐いた。


「なら、誰か来い」


 セイラが少しだけ目を細める。


「よろしい。今の言い方は雑ですが、成長は認めます」


「うるさい」


 緊急対応の空気の中でも、その短いやり取りだけが少しだけ人間らしかった。


 しかし、会場の混乱は増していた。


 記者たちは神楽坂へ詰め寄る。


「あなたが英雄を降りると言った直後にこれです! 責任はどう取るんですか!」


「今こそあなたが国民を安心させるべきでは?」


「撤回するつもりはありませんか!」


 撤回。


 その言葉に、俺は神楽坂を見る。


 もし今、神楽坂が「大丈夫です」と言えば、少しは落ち着くかもしれない。


 英雄として立てば、人々はまた安心するかもしれない。


 《正義》も補正を取り戻し、ダンジョンの不安定化も一時的には収まるかもしれない。


 でも、それは元に戻ることだ。


 また、みんなが神楽坂一人に預ける。


 また、神楽坂が黙れば大丈夫になる。


 また、誰かの真実が後回しになる。


 神楽坂はマイクの前に戻った。


 会場が静まる。


 全員が、英雄の言葉を待っていた。


 神楽坂レイジなら安心させてくれる。

 神楽坂レイジなら正しいことを言ってくれる。

 神楽坂レイジなら何とかしてくれる。


 その空気が、痛いほど分かった。


 俺の鑑定にも表示される。


 対象:会見場の期待

 嘘:神楽坂レイジが答えを持っている

 危険:思考停止の再発


 神楽坂も、それを感じているはずだ。


 彼は静かに口を開いた。


「まず、避難情報を確認してください」


 英雄らしい力強い宣言ではなかった。


 淡々とした、実務的な声だった。


「管理局の公式警報に従い、該当地域の方は指定避難所へ移動してください。未確認情報を拡散しないでください。探索者の皆さんは、各支部からの指示を待ってください」


 記者の一人が叫ぶ。


「神楽坂さん、あなたは出動するのですか!」


 神楽坂は答えた。


「必要なら出動します」


 その瞬間、会場に少し安心の色が広がる。


 だが、神楽坂は続けた。


「ただし、私一人が解決するわけではありません」


 空気が止まった。


「今回の異常は、一人の英雄が前線に立てば済む問題ではありません。管理局、探索者、研究者、自治体、そして情報を受け取る一人一人が判断する必要があります」


 記者席がざわつく。


 神楽坂は正面を見た。


「私は、もう『私がいるから大丈夫だ』とは言いません」


 その言葉は、会場全体を揺らした。


 神楽坂レイジが、安心の言葉を拒んだ。


 英雄が、英雄らしい台詞を言わなかった。


「私は人を救います。探索者として、できる限りのことをします」


 神楽坂の声は静かだった。


「ですが、私は一人で正義を背負える人間ではありませんでした」


 誰も、声を出さなかった。


「黒瀬澪さんの記録を封印した時も、私は『混乱を防ぐため』だと考えました。けれど、それは人々から考える機会を奪うことでもありました」


 彼は、ゆっくり頭を下げた。


「私は、英雄として敗北しました」


 会場に、音が落ちた。


 敗北。


 神楽坂レイジが、自分でそう言った。


「これは、私一人の罪で終わる話ではありません。管理局、企業、報道、探索者制度、そして私を正義として扱い続けた社会全体の問題です」


 神楽坂は顔を上げる。


「だからこそ、私を信じて終わりにしないでください」


 その声は、今まで聞いたどんな神楽坂の言葉よりも、人間の声に聞こえた。


「疑ってください。記録を見てください。考えてください。私の言葉も、管理局の言葉も、黒瀬澪さんの記録も、都合よく切り取らないでください」


 俺は、息を止めていた。


 澪の言葉が、そこにあった。


 途中で切り取らないで。


 神楽坂は、ようやくそれを自分の言葉にした。


「私は、英雄ではなく、一人の探索者としてこれからの責任を負います」


 その瞬間、俺の視界に表示が走った。


 対象:神楽坂レイジ

 状態:大衆信頼補正、急低下

 嘘:なし

 危険:能力弱体化

 備考:英雄役割の解除


 初めてだった。


 神楽坂本人に、鑑定が通った。


 完全ではない。

 すべてが見えたわけではない。


 でも、見えた。


 神楽坂レイジは、鑑定不能ではなくなり始めている。


 英雄という巨大な物語の膜が、剥がれたのかもしれない。


 神楽坂は、俺の方を見た。


 ほんの一瞬だけ。


 俺は何も言わなかった。


 許したわけじゃない。


 でも、今の言葉が逃げではなかったことは分かった。


 次の瞬間、会見場に別の警報が鳴る。


【S級ダンジョン周辺、急拡大】

【空間境界、第二防壁を突破】

【緊急攻略隊の編成を開始】


 佐伯が端末を見て顔を上げる。


「S級が動きました」


 セイラが息を呑む。


「ついに、そちらですのね」


 ミナトが画面を出す。


 S級ダンジョン。


 黒く巨大な穴のような空間が、都市郊外の立入禁止区域で広がっている。


 周囲には何重もの防壁。

 管理局の観測塔。

 探索者待機施設。


 その全てを飲み込むように、境界が広がっていた。


 リアが小さく言う。


「これ、入るしかないやつ?」


 カナタが答える。


「ああ」


 神楽坂が俺たちの方へ歩いてくる。


 先ほどまでの会見場の視線が、まだ彼に突き刺さっている。


 でも、彼はもうその視線を力にしていないように見えた。


「黒瀬透真」


「はい」


「澪が見たものは、おそらくこの先にある」


 S級ダンジョン。


 澪が異常を読んだ場所。

 神楽坂が救えなかった場所。

 人間の恐怖や願望が流れ込む場所。


 俺は頷いた。


「行きます」


 リアが即座に言う。


「私も」


 セイラも続く。


「当然ですわ」


 ミナトが肩をすくめる。


「ここまで来て留守番はないね」


 カナタが短く言う。


「行くぞ」


 神楽坂は少しだけ目を伏せた。


「私は、君たちを指揮する立場ではない」


 セイラが言う。


「分かっていますわ。あなたに全てを預けるつもりはありません」


 リアが頷く。


「でも、来るなら一人の探索者として来てください」


 神楽坂は、その言葉を受け止めた。


「ああ」


 俺は彼を見る。


「神楽坂さん」


「何だ」


「俺はまだ、あなたを許してません」


「ああ」


「でも、S級ダンジョンでは、必要なら頼ります」


 神楽坂の目が少しだけ揺れた。


 俺は続ける。


「それと、間違ってたら止めます」


 神楽坂は、ほんの少しだけ笑った。


「頼む」


 その返事は、英雄のものではなかった。


 仲間ではない。

 許したわけでもない。

 でも、同じ場所へ向かう探索者同士の返事だった。


 会見場の外では、管理局職員たちが慌ただしく動き始めている。


 避難誘導。

 探索者招集。

 防壁再構築。

 医療班手配。

 情報整理。


 世界は綺麗にはならない。


 神楽坂が謝ったからといって、澪が戻るわけではない。

 隠蔽が暴かれたからといって、制度がすぐ正しくなるわけでもない。

 真実を出したせいで、今まさにダンジョンは不安定化している。


 それでも。


 もう、隠すだけの道には戻らない。


 俺は端末に表示されたS級ダンジョンの映像を見る。


 黒い境界の奥で、何かが揺れている。


 魔物の群れではない。


 もっと曖昧で、もっと巨大なもの。


 人間の不安。

 願望。

 恐怖。

 責任を押しつけたい気持ち。

 誰かに救ってほしい祈り。


 それらが形になりかけている。


 俺の鑑定に、最後の表示が出た。


 対象:S級ダンジョン急拡大

 嘘:これは人類への侵攻

 危険:願望の暴走

 備考:内部に未確認人型反応


 未確認人型反応。


 俺は画面を凝視した。


「中に、人がいる?」


 佐伯が反応する。


「人型反応ですか」


「はい。未確認です」


 リアが息を呑む。


「生存者?」


 セイラが目を細める。


「あるいは、ダンジョン側の何か」


 神楽坂が低く言った。


「澪の記録にも、似た記述があった」


 俺は拳を握る。


 人型反応。


 S級ダンジョンの奥にいる何か。


 澪が見たものの先。


 俺たちは、そこへ向かう。


 会見場を出る直前、神楽坂はもう一度だけ振り返った。


 記者たちはまだ叫んでいる。

 世間は混乱している。

 英雄神話は崩れた。


 それでも、神楽坂は戻らなかった。


 彼はもう、壇上には立たない。


 代わりに、俺たちと同じ床を歩いた。


 英雄が降りた世界で、次の戦いが始まる。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


第7章はここで一区切りです。


神楽坂レイジは、自分が黒瀬澪の記録を封印する側に立ったこと、そして英雄として敗北したことを公の場で認めました。

彼は「私がいるから大丈夫」とは言わず、人々に考えることを求めました。


その結果、《正義》の大衆信頼補正は大きく弱体化し、神楽坂は鑑定不能の存在ではなくなり始めました。

英雄という物語の膜が剥がれ、一人の探索者として立つことになります。


しかし、英雄神話の崩壊によって人々の不安が一気に広がり、全国のダンジョンが不安定化。

ついにS級ダンジョンが急拡大し、その内部には未確認の人型反応が確認されました。


次回からは、S級ダンジョン侵入編に入ります。

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